笑福亭鶴瓶流“テレビ魂” 「自分の言葉で喋るのがテレビ」【前編】

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笑福亭鶴瓶流“テレビ魂” 「自分の言葉で喋るのがテレビ」【前編】

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民放公式テレビ配信サービス「TVer(ティーバー)」が4月1日にリニューアル。「このドラマを今、見たい」「この笑いを今、見てほしい」……さまざまな番組に宿っている思いや、人々の“今”をつないでいく役割を担う場所として進化を遂げます。

そして現在、笑福亭鶴瓶さんが出演するCMシリーズがオンエア中です。TVerプラスでは、長年テレビと深いかかわりを持つ鶴瓶さんに、笑福亭鶴瓶流“テレビ魂”と銘打ちインタビュー。【前編】ではデビュー当時の思い出や、ご自身とテレビの関わりなどについて伺いました。

――子供の頃から、テレビに憧れはありましたか?

そういうのは、あまりなかったかな。自然とワクワクしながら見ていたわけでしょ? 全国ネットがどれなのか、関西ローカルがどれなのか、まったく知らないような状態でテレビの世界に入ったくらいですから。実は、民放のラジオが生まれたのと、僕が生まれたのが同じ昭和26年(1951年)。民放テレビの開局が、僕が2歳の年なんです。だから、ずっと民放とともに生きてきて、“民放何十周年”の企画とかにも呼ばれるわけですよ。そういう縁はあるんやろうね。

――六代目笑福亭松鶴師匠に弟子入りして落語家になられましたが、テレビデビューは早かったですよね?

20歳頃にはテレビに出てたから、早かったね。当時は、現場で指示されても「なんでそんなことせなあかんの?」と、あまり言うことを聞かなくて(笑)。台本に書いてある通りに言うのがイヤで、今でも言わされるのはイヤなんですよ。でも、今日のCM撮影は本当に僕の言葉で作ってくれてるから、言わされてる感じはないのよ。

僕とか(明石家)さんまとかは、“自分の言葉でなければイヤ”っていうところからスタートしている。自分の言葉で喋るのがテレビなんですよ。

――若い頃、鶴瓶さんは番組の企画で「白い粉の中に顔を入れて、飴を探す」のを断ったというエピソードを聞いたことがあります。

ABC(朝日放送)でやった運動会ね。そんなの「おもろない」って言っても、それでもやれって。でも僕は、「おもろないのはやりたくない」と。しかも、僕がチームのキャプテンになっていて、「キャプテンもおもろないから、やりたくない」って(笑)。そこから僕の考えを理解してもらって、ABCでは『9年9組つるべ学級』とかをやりました。当時は生意気なヤツやなと思われてましたけど、「イヤなもんはイヤだ」と言えた大阪での環境には感謝してます。

――東京進出については、いかがですか?

1回目に出てきた時は、むちゃくちゃして帰りました。当時のディレクターが、コントに出てくるような人で「お前さぁ~」とか上から言うので、「やかましいわ」ってなるわけですよ(笑)。それで生放送でむちゃくちゃして、「帰れ」と言われたから「ほな帰るわ」って。でも、だんだん大人になって、それはあかんと思うようになりました。今考えると、うまいことくぐり抜けてきましたよね。

――たとえば、どんなむちゃくちゃを?

裸攻撃(笑)。絶対にディレクターがイヤがるだろうと思ったから。でも、そこから手を取るわけじゃないけど、「お互いにおもろい番組を作ろうよ」と、理解してもらえるようになりました。後に『27時間テレビ』で裸になったのは、完全に酔うてたからですけどね。

アフロヘアをしていた27歳頃には、『てなもんや三度笠』を作った澤田隆治さんという方に可愛がってもらいました。ある時、フジテレビの『花王名人劇場』に呼ばれましてね。「僕は名人でもないし、『名人劇場』に名前が出るのがイヤなんです」と伝えたんです。その時に、「お前、東京に出たくないの?」と聞かれて、「出たいけど、自分の歩幅で出たいから出る時に出ますよ」って。それで出られなければそれでいいと思っていたし、澤田さんはわがままじゃないとわかってくれました。

――ちなみに、最初に出演したテレビのギャラは覚えていらっしゃいますか?

たぶん1000円やったんちゃうかな。で、100円源泉引かれて900円やったけど、もっと欲しい、とは思いませんでしたね。ただ、当時は1回出るたびに「これ」って袋で渡されるので、沢山溜めてから嫁に渡していました。結婚したてだったので、やっぱり給料としてまとめて渡したいじゃないですか。それから、今この歳になるまで僕は嫁に内緒で貯めている“へそくり”はなくて。全部渡してるから、途中からはなんぼもらってるのかわかりませんね。

でも、やりたいことをずっとやれてきているんだから、ありがたいですよね。20代の頃は、現場に行くと「聞いてたこととちゃうやんけ」っていうところから始まっていましたから(笑)。

――(笑)。やりたいことをずっとやれている、というのは素敵です。開拓者でもあるのでは?

27歳くらいの時に自分の冠番組『鶴瓶のミッドナイトトレイン』を作ったんですけど、中島みゆきさんも出てくれました。中島さんはテレビにあまり出ない方だけど、北海道の仲間の繋がりとかがあったりして実現しました。道を歩いてる人に自分で声をかけて、客を集めてからスタートするっていうこともやりましたね。

――生のお客さんを前にして、番組をやっていたんですね。

公開収録の番組は、すごく多くて『突然ガバチョ!』『9年9組つるべ学級』『ざこば・鶴瓶らくごのご』『鶴瓶上岡パペポTV』とか……。僕は、生で笑ってもらう感覚を重視しているんです。テレビなんですけど、言うたらライブ。そうしないと自分が燃えないところがあるんです。そして、作られた台本ではなくフリー(即興)で喋る。『パペポ』はフリーのトーク番組、『らくごのご』はフリーでお題をもらって落語を作る番組、そして、フリーで芝居するのが『鶴瓶のスジナシ!』。みんなフリーなんですよね。その中で、いかに丁々発止していくか。

たとえば『スジナシ』の場合、一緒に演技をする中に、絶対に私生活が出ます。即興で仮の名前を付ける場合でも無意識に付き合ってる人の名前とかをふっと出してしまうんですよ。のちに「あの子と付き合ってたんや」ってね(笑)。だから、一番フリーがおもしろい。『鶴瓶の家族に乾杯』も、何も決めていない状態で素人の方と絡んでみる。そうすると、これまで全然スポットが当たっていなかった人たちに、たまたま出会えたりするんです。

――トークもお芝居も、フリーならではのおもしろさがありますね。話は変わりますが、10年ほど前、鶴瓶さんは「テレビに出てる人は全員すごい」とおっしゃっていました。そう思われる理由は?

自分を褒めることにもなってしまうけど、テレビに出てる人はやっぱりみんな考えてますよね。コンプライアンスとかいうけど、この限界の中でいかに勝負するか。コンプライアンスのギリギリを楽しむのが大事で。「これ言うたらあかん」とか言われるけど、こっちは全部わかってますよ。そのキワキワをいく楽しさがあるんです。だから、バラエティタレントと呼ばれる人たちはみんなすごいと思います。この前、滝沢カレンさんに「僕にあだ名つけて」と言ったら即、「快楽名人」って(笑)。あの子すごいなと思いましたね。

――鶴瓶さんは、若い才能を見つけるのも早いですし“嫉妬”がない印象があります。

音楽でもお笑いでも役者でも、これはおもろい、と思えるものに引き寄せられるというか。最近だと「緑黄色社会」とかね。「調べようと思ったわけではなくて、パッとテレビやラジオをつけた時に、「誰?」からスタートするんです。自然と目に止まる強さのような何かがあるんでしょうね。でも、「好きや」と思うということは、嫉妬があるから。嫌いも嫉妬やけど、好きのほうが嫉妬だと思いますね。

【後編】へ続く……

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