『silent』は恋愛だけじゃない、大きな愛の物語だった

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『silent』は恋愛だけじゃない、大きな愛の物語だった

人は、何でできているのだろう。現実的な話をしたら、水とか、タンパク質とか、そういうことなんだろうけど、そうではなくて。

僕たちはみんな人からもらった優しさとか、思い出とか、言葉とか、そういうものでできているんじゃないだろうか。

この秋いちばん泣けるラブストーリーとしてスタートした『silent』。最終話を終えて、このドラマが辿り着いた場所は、単純な恋愛だけじゃない、もっと大きな、大きな愛の物語だった。

人と人が関わることは、何かをお裾分けし合うことなんだと思う

青羽紬(川口春奈)の声が思い出せなくなったことに、佐倉想(目黒蓮)は深く傷ついていた。「また好きになんてならなきゃよかった」と悔やんでいた。

そんな想が「青羽の言葉が見えるようになってよかった」と笑った。声は聴こえなくなったけど、言葉はちゃんとそこに残り続けている。そんなラストシーンだった。

でも、想ひとりではそう思えるようにはなれなかった。きっかけをくれたのは、桃野奈々(夏帆)だ。

「私たちはうつむいてたら優しく声かけてもらっても気づけないんだよ」

変わってしまったものばかりに目を向けるのではなく、変わらずに今もここにあるものを抱きしめること。自分の悲しみばかりに沈むのではなく、相手とちゃんと向き合うこと。音を失ったからこそ、もっと顔を上げて見なくてはいけない、目の前に広がる世界のすべてを。そう奈々は伝えた。最後に想が変わることができたのは、奈々からお裾分けしてもらった言葉のおかげだと思う。

きっとそんなふうに、人と人が関わるということは、何かしらお裾分けし合うことなんだと思う。奈々が春尾正輝(風間俊介)に渡すつもりだった花束から、戸川湊斗(鈴鹿央士)に一輪だけかすみ草をお裾分けし、それが最終的に紬の手に渡ったように。人から人へ。また人から人へ。リレーのように優しさは広がり、受け継がれていく。

萌(桜田ひより)の使っていた手話ハンドブックが、光(板垣李光人)の手に渡ったのもそうだ。いつか大好きな兄に、自分の声が届けられなくなる。そう知った妹が、いち早く買い込んだ手話ハンドブック。そこには兄とこれからもたくさんたくさん話したいという妹の思いがあった。それを今度は光が受け継ぐ。いつかちゃんと想と話ができるように。

光がそう決意したのもまた、真剣に手話を勉強していた紬の姿を見たからだ。話したいこと、話せるように。姉の言葉が弟に受け継がれ動かしていく。そうやって世界は少しずつ変わっていく。

そして、花束の主であった奈々は、花束のお返しに、ハンドバッグを春尾にねだる。2人がこれからどんなふうに歩んでいくかを僕たちは見ることはできない。でも、想像はできる。ショーウィンドウの向こう。自分はふれることがないと思っていた場所に、奈々は手を伸ばす。片手で手話ができる春尾となら、ハンドバッグを持ちながらでもたくさんおしゃべりができる。話し疲れたら手をつないで歩こう。言葉がなくても、2人で同じ景色を眺めながら歩けたら、それはきっと最高のお散歩だ。

実らなかった恋は「可哀想」なんかじゃない

かすみ草は、湊斗から紬へ、奈々から想へとお裾分けされた。いわば、恋が叶わなかった者たちからの贈り物だ。でもそこに後ろ向きなニュアンスはまったくない。かすみ草の花言葉は「感謝」。出会えてありがとう。あなたを好きになれてよかった。2人からお裾分けされたかすみ草から、ちゃんとその気持ちが伝わったからだろう。

そんな湊斗や奈々を見ていると、前半から何度か繰り返された「可哀想」という言葉が、どんなに浅はかなものかがわかる。湊斗も、奈々も、別に紬と想の幸せのための踏み台じゃない。2人の恋の犠牲者でも引き立て役でもない。ついつい僕たちは振られた側の人間を「可哀想」と同情してしまうけれど、そんなのは大きなお世話なのだ。実らなかった恋は「可哀想」なんかじゃない。

だって、湊斗も、奈々も、とても幸せそうだ。だから、「幸せになって」と願うことすらお門違いなのかもしれない。自分が、幸せかどうかは、自分で決める。別に湊斗に新しい恋の相手がいなくても、最終的に奈々が春尾と結ばれなくても、それは「可哀想」ではないし、幸せじゃないわけでもない。

主に、メインの花を引き立てるための名脇役として使われることの多いかすみ草に、今回、たくさんの人がときめいたように、時に地味に見えるすべての人たちの人生が、可憐で、いとおしいものであることを、湊斗と奈々が教えてくれた。

湊斗と奈々こそが、かすみ草のような人だった、と思う。そして、そんな2人との思い出をポケットにしまって、紬と想は生きていく。人生は、いろんな人からもらった優しさと思い出と言葉でできているのだ。

2人の間に「好き」も「付き合って」もいらなかった理由

そういえば、最後まで紬と想の間には「好き」とか「付き合って」という言葉はなかった。高校時代にはあった言葉が、8年後の2人には必要なかった。

「人それぞれ違う考え方があって、違う生き方をしてきたんだから、わかり合えないことは絶対ある。他人のことを可哀想に思ったり、間違ってるって否定したくもなる。それでも一緒にいたいと思う人と一緒にいるために言葉があるんだと思う」

そう言ったはずの2人の間に、どうして「好き」や「付き合って」の言葉はなかったのか。少しだけ考えてから、気づいた。

想は昔使っていたiPodを家に取りに帰った。そして、それを「壊れてないか確認して」と紬に聴かせた。流れてきたのは『魔法のコトバ』。あの告白の日、「よろしくお願いします」と返事をした紬に聴かせた曲だ。

きっとあの『魔法のコトバ』が、想にとって告白と同じ意味だったんじゃないかな。それが紬にもわかるから、だから2人の間にはもう改まった言葉なんて必要なかった。言葉はとても大事だけど、でも時に僕たちの間には言葉を超えるものがある。その次に流したのは『スカーレット』。「離さないこのまま時が流れても」という歌い出しから始まる、変わらぬ思いを誓った愛の歌だ。

そんなふうに2人はこれからも気持ちを伝え合っていくのだろう。想にはもうあのメロディは聴こえない。でも、大好きなあのメロディを聴いてニコニコと笑っている紬の笑顔はいつもすぐそばにある。そうやって想はこれからも音楽を楽しんでいく。

時が移ろえば、いろんなことが変わる。その中で、変わりゆくものも、変わらないものも、一緒に慈しむことができることを、僕たちは愛と呼ぶのだろう。

2人はやっと愛を見つけた。その道のりを見守ることができた3か月は、とても幸せなものでした。このドラマに関わったすべての人へ心を込めて伝えたい。

最高のドラマをありがとうございました!