『silent』いつかまた春尾先生の呼び声に、奈々が振り返る日がきっと来る

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『silent』いつかまた春尾先生の呼び声に、奈々が振り返る日がきっと来る

人は出会いによって変わっていく。

誰かと出会い、その人のことを知ることで、世界が広がり、自分自身も変わっていく。奈々(夏帆)に出会った春尾(風間俊介)も、春尾に出会った奈々も、きっと。

2週間ぶりに再開した『silent』。第8話で描かれたのは、奈々と春尾の悲しいすれ違いだった。

奈々と春尾なら、あの階段を乗り越えていけるはずだった

最初は、ただの得点稼ぎだった。就職活動のネタになればと始めたボランティア。耳が聞こえない人は、春尾にとってコミュニケーションをとる必要がない相手だった。

奈々はそうやってこれまでも「いない人」同然の扱いを受けてきたのかもしれない。聞こえないから話す必要はない。春尾だって、最初はそのつもりだった。

でも奈々の笑顔を見て、胸の奥に、ほんの少し温かいものが灯った。ノートの端に書かれた「ありがとうございます」を見て、耳は聞こえなくても話す言葉はあるんだという、当たり前のことに気づいた。そこから2人は変わっていった。

春尾にとって、奈々は「耳の聞こえない人」ではなく、桃野奈々になった。奈々にとって、春尾は「ボランディアの人」ではなく、春尾正輝になった。そんなふうにして始まった淡い恋だった。

グッと来たのは、やっぱり春尾が「奈々」と呼びかける場面。その声に反応するように、奈々は振り向いた。声が届いたわけじゃない。偶然に決まっている。でももし許されるなら、その偶然に奇跡という名前をつけたい。人を好きになるということは、奇跡を信じることだから。

あのときの無邪気に笑う夏帆が本当に愛らしくて。射抜かれたように奈々を見つめる風間俊介から恋におちた音が聞こえた気がして。2人の間は階段によって段差がついていたけれど、きっと2人なら階段を上るみたいにその差も乗り越えていける。そんな気がした。

世界を広げてあげたかった春尾と、2人の世界を守りたかった奈々

でも、現実は違った。奈々がもっとたくさんの人と話ができるようになったらいいな。奈々が喜んでくれたらいいな。そのために立ち上げた手話サークル。だけど、聴者の仲間と一緒に、自分が教えた手話をしている春尾を見たとき、奈々は言いようのない疎外感に打ちのめされた。

あのとき、手話を遊び道具みたいに扱われて不快だったと奈々は怒ったけど、奈々が本当に怒った理由はそうじゃないんじゃないかな。まだ好きという気持ちを伝える前だったからちゃんと言えなかっただけで、2人だけの特別な絆にドカドカと土足で踏み入れられた気がして。自分が大切にしていたものを春尾が同じくらいに大切にしてくれていたわけではなかったことが悲しくて、あんなふうに怒ったんだと思う。

奈々は誰かと何かを共有することについて強いこだわりがある。それはきっと奈々が声を持たないからで。まだ親しくなる前、食堂で春尾を見かけたとき、聴者の女の子と話しているのを見て立ち入れなかったみたいに、何度も、何度も、自分だけが持っていない孤独を味わってきた。だから、誰かと何かを分かち合えると、ものすごくうれしくなってしまう。ずっと独り占めしたくなる。

授業中に、春尾とパソコンの画面上で交わした言葉もそう。周りは聴者ばかり。でも、ここで交わされている言葉は誰にも聞こえない。自分と春尾にしかわからない。それが、うれしかった。

世界が広がった方が幸せだと思う春尾に対し、奈々は世界に好きな人と2人きりでいられれば幸せと思う人だった。だからすれ違った。

奈々はいつも怒ると言わなくていいことばかり言ってしまう。春尾とのときも、佐倉想(目黒蓮)とのときも、いつも最後は僻みっぽいことを言って相手を困らせたり、がっかりさせてしまう。

でもそれは奈々の性格がねじ曲がっているからじゃない。いつもいろんなことを我慢して。無理して笑って平気なふりをして。だから、何かあったときに塞いでいたものが全部噴き出してしまうのだ。

結局、2人はそのまま別々の道を歩むことになった。でも、お互いの中にずっと相手の存在は残っていた。リュックの口を開けっぱなしにするという奈々のあざとい切り札は、春尾にしてもらってうれしかったことを繰り返していただけだし、春尾が戸川湊斗(鈴鹿央士)に言った「絶対いい人なんだろうなって勝手に思い込むんですよ、ヘラヘラ生きてる聴者のみなさんは」は自分が奈々から浴びた言葉だった。

8年経ったけど、8年経っても、ずっと2人の中にお互いの存在があった。

だから、青羽紬(川口春奈)と想が8年の空白を越えて、もう一度心を近づけようとしているように、奈々と春尾もまたここから歩きはじめることができたらいいなと思った。

「2人、うまくいくといいなって思ってる。聞こえるとか、聞こえないとか、関係ないと思いたいから」

ずっと聴者と聾者の間に線を引いていた奈々が、初めてその線に縛られないで生きてみたいと思った。想との恋が実ることが奈々の夢だったけど、紬と想の恋が実ることが今度は奈々の夢になった。もしその夢が叶ったら、自分もこの線の向こうに行けるかもしれない。そんなことを奈々は考えていた気がする。

奈々が手話教室にやってきたとき、春尾は「桃野さん」と名を呼んだ。そのときは、あの大学の階段前みたいな奇跡は起きなかった。でももう一度、春尾が「奈々」と呼ぶ日が来たら、きっと奈々は振り返るんじゃないかな。

だって、人を好きになるということは、奇跡を信じることだから。

役に立ちたかった春尾と、ただ一緒にいたかった奈々

そして、紬と想もまた一歩前に進んだ。役に立ちたい、少しでも生きやすい世の中になってほしい。そんなことを願いながら奈々のそばにいた春尾とは対照的に、紬はただ一緒にいたい。だから、そばにいるだけ。そう伝える。

どちらかが間違っていて、どちらかが正しいなんてことはないと思う。ニコッという音が聞こえるような奈々の笑顔が好きで、ずっとニコニコと笑ってほしいから何かをしてあげたいと思った春尾の気持ちが偽善だとは僕は思わない。

ただ、どうしてもケアされることの多い想や奈々にとっては、ただ一緒にいたいからいる、そんな紬の気持ちの方がすっと入ってくるのも、なんとなくわかる。

ラストの食卓のやりとりは、こんなに微笑ましい光景を見るのは久しぶりだなと、こわばっていた肩がほぐれるくらいほっこりとしていて、「通じているよね?」と笑い合う2人がたまらなくいとおしかった。

言葉が通じ合うなら、こんなジョークは成立しない。まだ手話が上手じゃないという設定があるから生まれた素敵なシーンだ。

そう思うと、同じものを完璧に分かち合えることだけが素晴らしいわけじゃない気がした。

お互いそれぞれわかり合えない部分があって。届かないものがあって。それでもわかりたい、届けたいと思うから、そばにいる。

それがつまり共に生きるということなんだろう。