『夕暮れに、手をつなぐ』広瀬すずと永瀬廉の“翳り”が醸し出す、令和世代の寂しさ

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『夕暮れに、手をつなぐ』広瀬すずと永瀬廉の“翳り”が醸し出す、令和世代の寂しさ

世界には、たくさんの人と分かち合いたい夢と、特別な誰かとだから見ることのできる夢がある。

夕暮れに、手をつなぐ』(TBS系、毎週火曜22:00~)第7話で描かれたのは、浅葱空豆(広瀬すず)と海野音(永瀬廉)が見た2つの夢だった。

誰も知らない、誰も見たことのない、2人だけの花火大会

菅野セイラ(田辺桃子)を歌姫に迎え、ついに動きはじめた音のプロデビュー。MV制作にあたり、その衣装を自分につくらせてほしいと空豆が志願する。

空豆が衣装のモチーフに選んだのは、おはじき。パタンナーの葉月心(黒羽麻璃央)だけでなく、雪平響子(夏木マリ)や丹沢博(酒向芳)、千春(伊原六花)まで協力し、みんなでドレス制作に取り組む。その光景はさながら文化祭の前夜のようで、まさに青春という言葉がふさわしい。

単身で上京してきたとき、空豆に知り合いなんて1人もいなかった。それが今はこんなにも頼れる仲間がいる。みんなで同じ夢を追うことができる。

けれど、その賑やかさが耳に残れば残るほど、静けさも際立つ。この場面の対比として描かれたのが、今回のクライマックス。空豆と音が、空想の中の花火大会を一緒に見るシーンだ。

音が雪平邸を出ていくことになった。2人きりで過ごす別れのパーティー。すぐそばにいたはずの音が遠くなる。その寂しさが、空豆を少しだけ可愛げのない女の子にしてしまう。いつもそうだ。恋が人を美しくするなんてうわべだけで、持て余した好きという気持ちは僕たちをひどくみじめな気分にさせる。

でも、そんな素直じゃない空豆を、音はまっすぐに受け止めてくれた。

「離れても、俺たち何も変わんない」

それは、「空豆はここじゃー!」と母を呼び続けた幼い日の自分を心の内に隠し持っている空豆にとって、いちばんほしい言葉で。やっぱり音の優しさは、泣きたい気持ちに直結する。ほしい言葉を全部くれるから、優しくされるたびに、この人がいなくなってしまったあとのことを考えてしまうのだ。

2人はこたつで寝そべりながら、霧島連山の花火の音を夢想する。紺地に朝顔の浴衣。芝生の上に咲く花火。少しずつお互いへと伸びていく2人の手と手。こんなデートを今まで見たことはなかった。でも、どんな花火大会よりもずっとロマンティックに思えた。

外野なんていらない。2人きりの夢。誰も知らない、誰も見たことのない、2人だけの花火大会。2人の間にはいまだに「好き」という言葉すら交わされていない。でも、もうこの気持ちを言葉にしてしまう方が野暮なのかもしれない。言葉にしなくたって、つないだ手と手から気持ちが溢れている。キスよりも、ハグよりも、せつなさに胸が浸される特別なラブシーンだった。

あの無邪気な指切りが、悲劇の伏線に思えてならない

こうした台詞では決して直接語られない「好き」の気持ちを、広瀬すずも永瀬廉も巧みに表現している。たとえば、ドレス制作のシーン。音とセイラの腕がぶつかって「大丈夫? こぼれてない?」と気遣う。そのやりとりをこっそり見ていた空豆が、視線を外したあと、もう一度2人を見て、2回まばたきする。このまばたきに、隠しきれない音への気持ちがにじみ出ていて、空豆につい感情移入してしまう。

傷つきたくない空豆はまるで自ら予防線を張るように、並んで歩いてきた音とセイラに「なんかお似合い、2人」と持ち上げる。セイラは照れ隠しのように笑うけど、音はやるせなく俯いたあと、ただ空豆を見つめる。そのいつもより湿度の高い眼差しに空豆への恋慕が帯びていて、すれ違うお互いの気持ちに胸が苦しくなる。

広瀬すずと永瀬廉の相性がいいのは、お互いに翳りのある俳優だからだと思う。連続テレビ小説『なつぞら』を筆頭に、誰からも愛される健康的なヒロイン像として語られがちな広瀬すずだけど、むしろその本領が発揮されるのは『怒り』然り『流浪の月』然り、ある種の烙印を背負った人物を演じているときだ。そして、永瀬廉の俳優としての評価を高めたのは、連続テレビ小説『おかえりモネ』の「りょーちん」だろう。震災によって母を喪い、ヤングケアラーとして生きることとなった若者の苦しみに、朝から感涙する者が続出した。

空豆は明るいキャラクターだけど、胸の内にひどく不安定なものを抱えているのは周知の通りだし、音はもはや自他共に認める暗いイケメンキャラ。それぞれの持っている翳りが共鳴し、この作品に流れる独特の寂しさを生んでいる。そして、その寂しさこそが今の若い世代の心のコアにあるものではないかなとも思う。

誰かと深く関わりたい。だけど傷つくたくない。誰かに自分を受け入れてほしい。だけど一歩踏み込む勇気が持てない。優しすぎるせいで、自分の傷にも他人の傷にも敏感すぎるせいで、伸ばしたその先にある誰かの手を握りしめることができない若者世代の繊細さを広瀬すずと永瀬廉が体現しているから、このドラマはノスタルジックでありつつ令和の空気をちゃんと醸し出しているのだと思う。

ラストのモノローグで、「でも、僕たちに夏は来なかったんだよな」と空豆と音の間に別れが訪れることが改めて予告された。音の視点から振り返っている以上、いなくなってしまうのはどうやら空豆の方らしい。

考えられるルートは、3つ。1つ目は、単純に故郷へ帰るパターン。2つ目は、母・塔子(松雪泰子)と共にパリへ行き、ファッションデザイナーとして夢を追い続けるパターン。

そして今回浮上した3つ目のルートが、セイラだ。最初はセイラが音に惹かれる展開を予想していた。けれど、7話を見る限り、セイラはむしろ空豆に依存しはじめている気がする。

空豆を「笑顔の人」だと言い、空豆からもらった折り鶴をお守りのように握りしめるセイラ。空豆の存在が、不安定なセイラの拠り所になっている。ではもしその拠り所を失いかけたとしたら、セイラはどうするだろう。あるいは、新世代の歌姫として時代の波に呑まれていくセイラに何かあったとき、空豆はどうするだろう。

空豆の衣装で、音とセイラが紅白に出る。そう3人は約束の指切りをした。こういう指切りは、大抵叶わない。あの無邪気な指切りが、悲劇の伏線に思えてならないのは、僕の考えすぎなのだろうか。

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