『夕暮れに、手をつなぐ』広瀬すず&永瀬廉の紡ぐ心地よい空気感、青春の終わりの物語が今始まる

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『夕暮れに、手をつなぐ』広瀬すず&永瀬廉の紡ぐ心地よい空気感、青春の終わりの物語が今始まる

なんだか、とてもなつかしい匂いがした。

性格の異なる男女が運命的な出会いを交わし、ゆっくりと恋におちていく。それは、今まで僕たちが観てきた数多のラブストーリーそのもので。でもそこに今の時代の空気もちゃんと吹き込まれているから、秘密のノートを開いたみたいにドキドキする。

ドラマ『夕暮れに、手をつなぐ』は、青春という季節の終わり頃、夕暮れどきの尊さを知るすべての人のための物語だ。

何年経っても忘れない出会いから、2人の物語は動き出す

脚本は、北川悦吏子。彼女の描くドラマを思い出すと、いつも出会いのシーンが頭に浮かぶ。白無垢姿で瀬名(木村拓哉)のマンションに駆け込んだ南(山口智子)だったり、軒先からはみ出たリンゴを紘子(常盤貴子)の代わりに取ってあげた晃次(豊川悦司)だったり。何年経っても、あのシーンが良かったよねと語りたくなる、そんな出会いを北川悦吏子は描いてきた。

それは、この『夕暮れに、手をつなぐ』でも変わらない。ぶつかった弾みに落としたワイヤレスイヤホン。それが入れ替わったことに、浅葱空豆(広瀬すず)と海野音(永瀬廉)はすぐには気づかない。なぜなら、2人とも同じ曲を聴いていたから。イヤホンから流れるのは、ヨルシカの「春泥棒」。2人は、入れ替わったイヤホンを高架橋の上で交換する。その一つひとつのシチュエーションが「春泥棒」の歌詞と重なっていて、こんな奇跡に遭遇したら、どんなリアリストも運命論者になってしまう。

だけど、2人の運命はすぐには交わらない。再会は、2023年の冬。噴水で顔を洗う野生児すぎる空豆に音が度肝を抜かすところから、2人の物語は動き出す。今度は全然ロマンチックじゃない。あのとき抱いた淡い恋心も一瞬で吹き飛ぶインパクトだ。

でも、恋の始まりなんてそれくらいがちょうどいい。南だって初めて会ったときは角隠しをしていた。そこから、四半世紀が過ぎても忘れられないラブストーリーが始まったのだ。

もしかしたら空豆と音もそんな2人になるんじゃないかな。それくらい、2人の空気感が心地いい。

音に空豆が背負われたとき、おんぶというベタなシチュエーションにドキドキさせるつもりなのかなと警戒した。でもそうじゃない。婚約者にフラれて傷ついた空豆の心は、すっかり冷たくなってしまっていた。それが、音の背中のぬくもりにふれて、氷が溶けるように綻ぶ。その瞬間、ずっと閉じ込めていた痛みが溢れ出す。心の傷を見ないふりして、贅を尽くして憂さを晴らそうとしていた空豆が、初めてちゃんと自分の痛みに向き合う。そのためのおんぶだった。

それがわかったから、いいなと思った。こんなふうに人前で気持ちをさらけ出せる空豆が、思い切り感情丸出しになれる空豆が、いとおしいなと思った。

そして、それを受け止める音というキャラクターがすごくいい。靴を片方なくした空豆が、ホテルのスタッフにスリッパをもらうまで黙って待ってあげる。別にホテルに送り届けた時点で帰っても良かったはずだ。音はそっけないようで、ちゃんと優しい。

泣いてる空豆を目の前にして、どうしていいかわからず、不器用にティッシュだけ渡す、近すぎない距離感もいいし、空豆が自殺しないようにカミソリを持って帰ろうとする遠回りな気遣いも、なんだか今の時代にすごく合っている。

喜怒哀楽がはっきりしている空豆に対して、音は温度が低くて、上手に感情を出せない。その対照的なキャラクターが北川悦吏子らしくて、なんだか昔なじみに再会したような気持ちになる。

婚約者の矢野翔太(櫻井海音)に一緒に会いに行こうと迫る空豆の「いやと?」という問いに「どちらかというと」と返すとぼけたやりとりだったり、音を資産家と思い込んだ空豆に「おいと結婚するか」とプロポーズされ「やだ」と即答するところだったり。きっとこれから距離が近づいていけば、どんどんこんなテンポのいい掛け合いを見せてくれるのだろう。なんだかこれからがとても楽しみになる2人だ。

あの夕暮れのひとときを、青春と呼ぶのだろう

広瀬すずと永瀬廉はビジュアルの美しさは言うことなし。その上で、2人とも自身のキャラクターのツボをしっかりと心得ている。

空豆は方言全開の猪突猛進型ヒロイン。こうしたヒロイン像は令和の世では疎まれがちだ。でも、広瀬すずが演じると、不思議とそこまで暑苦しくない。ヤケになってドガ食いする空豆は愛らしいし、婚約者に裏切られ落ち込む空豆は、なんだかいつかの自分を見ているみたいだ。

この親近感の理由に、広瀬すずの台詞術があると思う。北川悦吏子の特徴的な台詞は上ずったり歌ったりすると、途端に気恥ずかしくなる。それを広瀬すずはリズミカルだけど走らせすぎず、チャキチャキとこなすから台詞が浮いてこない。さらに、翔太に詰め寄るときの啖呵は威勢が良くて、涙は止まらないのにじめっとしすぎない。悲しみに感情のパラメータを振りすぎないから、観ている側も鬱陶しくならないんだと思う。

そして、永瀬廉はとても詩的な俳優だ。ただそこにいるだけで、空気が立ち上ってくる。音の静かな優しさが、ちゃんと形になって見えるのは、そこに永瀬廉がいるからだ。全編を彩るモノローグは、ブレスを少し多めに含んでいて、柔らかい余韻となって胸に響く。空豆に売れっ子コンポーザーだと見栄を張るところは、微妙に気まずそうなのが可愛らしくて。そういえば、瀬名も最初はリサイタルをやっているピアニストだと嘘をついた。見栄から始まる恋も、北川悦吏子の十八番のようだ。

さらに、そんな北川悦吏子の世界を飾るスタッフィングがいい。フィルターのかかった色味と、マットな質感の映像は、『夕暮れに、手をつなぐ』の世界をよりエモーショナルなものにしている。

特に印象的だったのが、タイトルにもある夕暮れの撮り方。水面を反射するオレンジの光と、歩道橋のシーンのハレーションがとても綺麗だった。さらにイメージショットのように挟まれる、空き缶をゴミ箱に投げ入れようとする2人の空気感がとてもセンチメンタルで、こういう何気ない瞬間を青春と呼ぶのだろうと思った。

こんな時間をたくさん見られるのなら、あっという間にこのドラマに夢中になってしまうに違いない。青春は、いつまでも青天じゃない。いつか夕暮れのときが来る。その一瞬こそが、いちばんせつない。青春のせつなさも、甘酸っぱさも、きらめきも、痛みも、すべて凝縮した物語が、今始まろうとしている。

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