湊斗くんは「当て馬」なんかじゃない『silent』が描く男の切ない友情

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湊斗くんは「当て馬」なんかじゃない『silent』が描く男の切ない友情

「今まで何があったかも知らないで」

兄・佐倉想(目黒蓮)の前に現れた青羽紬(川口春奈)に対し、萌(桜田ひより)はそう吐き捨てるように言った。でも、想には想の8年があったように、紬には紬の8年があった。何も知らないのはお互い様だ。そして同じように、やりきれない8年間を過ごした人がいる。他でもない戸川湊斗(鈴鹿央士)だ。

湊斗の8年はどんな8年だったんだろう。いちばんの友達からいきなり連絡を絶たれた。何度電話しても出てくれない。LINEのアカウントもいつの間にか変わってしまった。何が原因かわからない。紬みたいに別れの言葉をもらえないまま、急に“切られた” 湊斗の8年。

この世には、怒ると泣いてしまう人がいる。たぶんそれは、優しさのせいだ。喜怒哀楽の「怒」を見せない湊斗くんの怒りながらの涙に、そんな8年をつい想像してしまった。

湊斗くんは、20歳の誕生日を迎えたとき、想の連絡を待っていた気がする

紬と想がいるところを目撃してしまった湊斗。何でもなかった様子でハンバーグを食べに行こうと誘う紬の腕を、湊斗は乱暴に振り払った。優しい湊斗くんらしくないあの行動は、紬と想が一緒にいることに怒っているんだと思った。

でも違った。湊斗が怒っていたのは、紬が想と一緒にいることじゃなかった。紬が、想の耳が聞こえないことをあっさり受け入れてしまっていることだった。湊斗はそう容易く認められなかった。大好きな想の耳が聞こえないことを受け入れられなくて、だから会おうとしなかった。手話も覚えようとしなかった。なのに、紬は(湊斗から見たら)簡単に病気のことを受け入れている。その温度差をうまく飲み込めなくて、湊斗は苛立っていた。

もちろん湊斗だって本当はそっちの方が正しいことくらいわかっている。自分が認めないからと言って何かが変わるわけではないし、第一、病気になったことは想が悪いわけでも何でもない。受け入れられないなんて、自分のエゴだ。

でも、やっぱり男の友情ってちょっと独特で。友情の性質に男女の性差なんてないかもしれないけど、少なくとも同性同士にしか分かち合えないものがあって。湊斗にとって想は大事な友達であると同時に、どこかちょっと眩しい憧れのような存在だった気がする。いつも自分の前を歩いている人。その背中を後ろから見ているのが湊斗は好きだった。でも、その背中はもういくら名前を呼んでも振り向いてくれない。それが、悲しくて、苦しくて、湊斗は受け入れられなかった。

20歳になったら、居酒屋で「とりあえず生」って注文しような。高校時代、そんな約束をした男友達のことを思い出した。「とりあえず生」は、なんだか大人の響きだった。チューハイやカクテルでは子供っぽすぎるし、ワインや日本酒は大人すぎる。ビールが、想像の精一杯。

お酒が飲めない高校時代だからこそ、隣にいる友人とビールを飲む世界線がキラキラして見えた。ほんの1年先も見えない高校生にとって、20歳になったら一緒にお酒を飲むことは、未来への約束だった。そのときまで、この友情が続いているという祈り。だから、想と2人きりになったあの部屋で湊斗が真っ先にとった行動は、ビールを出すことだった。

きっと湊斗は、20歳の誕生日を迎えたとき、想からひょこっと連絡が来るのを待っていたんじゃないかな。もう2年も音信不通だったけど、このときだけは連絡をくれるんじゃないかと信じたかったんだと思う。でも、連絡は来なかった。湊斗は、初めてのビールを誰と飲んだのか。きっとそのとき、想のことを思い出したんじゃないだろうか。そう考えるだけで、胸がいっぱいになる。

「何に関わる仕事がしたい?」と聞かれた紬が「音楽」と答えたとき、湊斗が咄嗟に想のことを連想したのは、決して嫉妬だけじゃない。紬と同じくらい、湊斗の心の中にも想が残り続けているから。だから、ふとしたときに2人して同じ景色を見る。

「想、ビール飲む?」と聞いても、想の返事は返ってこない。当然振り向きもしない。その事実に、湊斗の胸は張り裂けそうになる。

少し距離をとり、プルトップを開けて、ビールを飲む。目の前には、想の背中。その背中は、学生服を着ていたあの頃と変わらなくて、自分が追いかけていた背中と同じで。変わらないのに変わってしまったことが、また湊斗の胸を締めつける。

聞こえないことをわかってぶつけた、あのたくさんの言葉は、8年間の湊斗の思いだ。

好きな人に迷惑をかけたくない気持ちは、同じ男としてわかる。わかるから、せめて友達には、自分には、迷惑をかけてほしかった。迷惑になるくらい頼ってほしかった。

無理すると本当に全部無理になることを知っている湊斗だから、想がどんなに無理をしたかも想像できる。だから、そばで支えたかった。「犬と猫 仲良し」を、「パンダ 落ちる」を教えてあげたかった。

戸川湊斗は決して「当て馬」なんかじゃない。そんな、物語のために機能するだけの駒じゃない。青羽紬の彼氏であり、佐倉想の親友。誰かの一方的な視点で切り取るのではなく、登場人物1人ひとりが主人公であり、その人の人生があることを感じさせる脚本・生方美久の視点に震え、それに応えた鈴鹿央士の優しさも脆さも愛もエゴもすべて包括した演技に頭の奥の方がジンと熱くなるくらい泣かされた回だった。

あのとき、紬はなぜ手話ではなく音声入力アプリを選んだのか

物語にとってはあくまで“脇役”でしかない湊斗の心模様を繊細に描く一方、紬の胸の内に関しては読み切れないまどろっこしさを感じた回でもあった。

紬の好きな『ハチミツとクローバー』を、湊斗はあんまり興味がなかったと言った。一方、紬は湊斗の部屋で観た(おそらく湊斗のセレクトであろう)洋画を、退屈そうにうたた寝した。想とひとつのイヤホンで同じ音楽を分かち合ったのとは違う。それは、紬にとって湊斗は背伸びしたり取り繕ったりしなくてもいい相手だと言えるし、残酷な言い方をすると、この人の好きなものを好きになりたい、同じ世界を見たいと思える相手ではないと言えるのかもしれない。

湊斗に気を遣って2人で会うのはやめようと持ちかけた想に対し、紬は「私たちそんなことで別れたりしない」「今好きなのは湊斗。佐倉くんは違う。好きじゃない」と言い切る。想を傷つけることも十分わかっている言葉を使ってまで、あんなことを言う理由がどこにあったのだろうか。正直、紬の本心がよくわからない。

でもふっと思う。それまで手話で会話をしていたのに、あの一連の台詞のときだけ、紬は音声入力アプリを使った。もちろんそれは伝えたいことが複雑すぎて、今の紬の手話のレベルでは追いつけないというのがいちばんの理由だと思う。

だけど、手話はどうしたってお互いの顔を見ないと会話ができない。目と目を見て話す言語だ。でも、音声入力アプリなら想は画面に視線を落とさざるを得ない。そのほとんどを、自分の顔を見られずに話せる。

だから、紬はあのとき音声入力アプリを使ったんじゃないかな。だって、タワレコの前で交わした手話のレベルを考えたら、「今好きなのは湊斗。佐倉くんは違う。好きじゃない」くらいは手話でも言えそうだ。でも、そうはしなかった。顔を見られたら言えないから。本当の気持ちじゃないと見抜かれてしまうから。だからなるべく顔を見られない方法を選んだ。

そう考えると、画面に表示された無機質な文字では見えてこない紬の気持ちが浮かび上がってくるようで、また胸が苦しくなる。

紬も、想も、湊斗も。3人それぞれが幸せになれる道は果たしてあるのだろうか。

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