『春になったら』なぜ木梨憲武“雅彦”は大声で話し続けたのか

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『春になったら』なぜ木梨憲武“雅彦”は大声で話し続けたのか

その人のクセやちょっと変わったところまでいとおしいと思えたら、それは間違いなく愛だと思う。

春になったら』(カンテレ・フジテレビ系、毎週月曜22:00~)第7話は、溢れる愛にじんわりと胸が熱くなる回だった。

一馬のネタが、視聴者の涙腺を溶かした

福田靖の誠実な脚本。松本佳奈による温もりある映像美。決して派手さはないけれど、第1話から一貫して質の高いホームドラマを提供してきた『春になったら』。その中で数少ない、引っかかりを覚えるポイントが、椎名雅彦(木梨憲武)の話し方だった。

雅彦は大声で、やや喚くように話す。個人的には、それは実演販売士という雅彦の個性を表しているものだと思ったし、何よりも死を前にしながら明るく振る舞う雅彦の象徴だと捉えていたので違和感はなかったけれど、一部の視聴者からは雅彦の大声が耳につくという声も出ていた。

けれど、そんな雅彦のクセが、今回の泣きポイントだった。

まずひとつ目が、瞳(奈緒)と出かけた最後の父娘旅行。ロッジの前で焚き火にあたりながら雅彦はつぶやく、「死にたくないなあ」と。それは、小さな声だった。胸の片隅でずっと隠し続けていた恐怖がこぼれ落ちたような声だった。

すぐに冗談めかして誤魔化したけれど、きっとあれは雅彦の本音だ。いつもの威勢のいい大声じゃないからこそ、余計に際立つ。ちょっと甲高い、よく通る雅彦の声ではない、低く、地面に沈んでいくような本音。人はいつでも無敵ではいられない。死が迫ってきたからこそ、今がとても幸せだからこそ、恐怖や未練がどんどん押し寄せてくる。

そもそも雅彦の声量は少しずつ衰えている気がする。食も細くなりはじめた。瞳との朝食も対照的だ。ぺろりと完食した瞳の空っぽのお皿に対し、雅彦のお皿にはおかずがいくつも残っている。そこについて何も説明はしないけれど、説明しないからこそ逆にやるせない。箸もうまく握れなくなってきたし、歯磨き粉ももう力任せにひねり出せない。

あの能天気そうな大声ももう聞けなくなってしまうのだろうか。想像するだけで、心臓を直接ひねられたみたいに痛い。

そして、そんな雅彦の大声をしっかり回収したのが、川上一馬(濱田岳)のコント。これが、もう一つの泣きポイントだ。

「ドンマイドンマイ。僕は好きだよ」というお約束のフレーズを使って、一馬は瞳にもう一度愛を告白する。ここまでは想定の範囲内だった。でも、このドラマはその想像の上をいく。

一馬がフリップをめくると、そこには雅彦の似顔絵。

「怒っているときも、うれしいときも、普通のときも、いつも声が大きい君」「でも僕は、大好きです」

こういう“あるある”ネタは、当たり前だけど、それがみんなに通じるものでないと笑えない。そういう意味で言うと、この一馬のネタは大当たりだ。だって、みんなが雅声の大声を想像できる。「お冷、おかわりください」と言っている雅彦は見たことがなくても想像できる。それくらい雅彦の声の大きさは視聴者の共通認識として浸透していた。

このネタのために木梨憲武が大声で芝居をしていたのか、木梨憲武の演技を見てこのネタを思いついたのかはわからない。だけど、この場面のために雅彦の大声はあったんだと思ったし、大きな声でよく喋る雅彦の姿が鮮明に浮かんで、いとしくて、せつなくて、笑って、泣いた。

ただ悲しいから泣くんじゃない。胸が温かくて、そのぬくもりに涙腺が溶かされて涙になる。そういう類の涙だったし、その温かさこそがこのドラマらしかった。

家族になるということは、二人だけの問題じゃない。一馬にとって瞳と結婚することは、雅彦とも家族になるということだった。だから、ちゃんと雅彦にも伝えたかった、「僕は好きです」と。そんな一馬らしい誠実なプロポーズが、雅彦に対するときだけ語尾が「です」になる生真面目なところまで含めて、何もかも愛らしい、珠玉の名場面だった。

どんな別れが待っていても、悲しい結末ではない

晴れて結婚が決まり、いよいよ父娘の前に立ちはだかる障壁はなくなった。はたして瞳と一馬の結婚式はどのようなものになるだろうか。

ここでもうひとつ大事なアイテムになってきそうなのが、写真だ。もともと瞳は写真部。今も趣味としてカメラを続けているし、下田に続き今回の父娘旅行でも二人の記念撮影の場面が描かれていた。

加えて、毎回、印象的なのがタイトルバックだ。『春になったら』というタイトルに添えられた写真は、ミカンを頭に乗せた雅彦や、教室で手を挙げる雅彦など、雅彦のさりげない姿が切り取られている。これは瞳を演じる奈緒自身の撮影によるものだが、きっとこんなふうに瞳もまた父の日常を残してきたのではないかと思う。

そんな過ぎし日々を伝える写真が、最終回に向けてのキーアイテムになってくるのではないだろうか。娘の浴衣姿をビデオにおさめた父のように、娘もまた自分の人生を精一杯生きた父の姿を写真にして残してきた。それが、父がいなくなった後の娘を支えるものになるんじゃないかと思う。

とはいえ、このドラマのことだからきっと視聴者を泣かせてやろうというあざとい手口は使わないはず。どんな別れが待っていたとしても、このドラマはそれを悲しい結末とは呼ばない。最後の最後まで、柔らかくて温かい希望を観る人の胸に残してくれるだろう。それはまるで春の陽射しのように。

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