『夕暮れに、手をつなぐ』「いつか空豆の心拍数で曲書こうかな」永瀬廉“音”の破壊力が火を噴いた

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『夕暮れに、手をつなぐ』「いつか空豆の心拍数で曲書こうかな」永瀬廉“音”の破壊力が火を噴いた

どうしよう。どんどん胸が苦しくなっていく。

お互いを大切に思うからこそ一向に縮まらない浅葱空豆(広瀬すず)と海野音(永瀬廉)の距離。

夕暮れに、手をつなぐ』(TBS系、毎週火曜22:00~)第6話は、その切なさが一つのピークを迎えた。

シャボン玉みたいに壊れやすい、空豆と音の微妙な関係

制作協力に共同テレビジョンを迎え、シネマライクな映像美で視聴者を魅了している『夕暮れに、手をつなぐ』。第6話は、北川悦吏子の世界観と、広瀬すず×永瀬廉のカップリング、そして演出の掛け合わせが最大値になった回だった。

それを実感したのが、あのシャボン玉のシーンだ。音のレコーディングの前祝いに雪平響子(夏木マリ)が用意したパエリア。2人は、パエリアに火が通るまでの間、シャボン玉遊びに興じる。

薄白い陽射しの中で、シャボン玉が虹色にきらめく。冬の風に乗って宙を舞う無数のシャボン玉は、まるで光の花吹雪みたいだ。子どもみたいに笑う空豆と音が、楽しそうなのに今にも消えてしまいそうで胸を締めつける。まるで1本のショートフィルムを観たような幻想的な世界。それが、シャボン玉みたいに一瞬で壊れてしまうものだとわかっているから、余計に美しく見えてしまう。

パエリアが出来上がるのを待つ空豆に、「これからいいことあるよ、空豆」といつもより少し低い声で音は言う。そして、肌寒そうな空豆の首元にそっとストールを巻いてくれる。どうして音はこんなに優しいのだろう。

でもきっと音は知らない。優しいと、泣きたいは、ちょっと似ているということを。音に優しくされるたび、空豆は泣きたくなる。だから、つい聞いてしまう、「手の届かん人になると」と。

母のように、いつかこの人も自分の前からいなくなる。才能は、いつも私から大切な人を遠ざける。空豆にとって、夢を追う人は自分を捨てる人なのだ。

その孤独を、音もちゃんとわかっている。だから答えた、「行くわけねえじゃん」と。

その声が、今まで聞いたどの声よりも優しくて、また泣いてしまいそうになった。あの大判のストールがあってよかったと思った。もし涙ぐんでしまっても、泣き顔を隠せるから。

音に見えないところで、寂しそうな表情を浮かべる広瀬すずの切なさが、その存在まるごとで空豆を包み込んでくれるような永瀬廉の優しさが、刺すように胸に沁みこんでくる。バックで流れるヨルシカの「アルジャーノン」は儚くて、そして力強い。あの透明な歌声が響くだけで、すっかり空豆と音の気持ちにシンクロする体になってしまった。

ちくりと胸が痛むのに、とびきり甘い。だから、ついずっと浸っていたくなる。『夕暮れに、手をつなぐ』は口の中で夢見心地に溶けながら、ほろ苦い後味が舌先に残るビターチョコレートみたいなドラマだ。

歴代ヒロインに通じる、北川悦吏子のメッセージ

この第6話は、とにかく北川悦吏子の底力を再認識した回だった。一部で賛否を呼んだ“空豆語”も、決して集団社会の同調圧力に染まらない空豆の個性として強く印象づけた。久遠徹(遠藤憲一)の「標準語喋れ」という命令にも、空豆は屈しない。標準なんてモードが最も嫌うことだと突っぱねた。

確かに標準語なんておかしな言葉だ。人が話す言葉に誰が標準なんてルールを制定できるのだろう。生き方に標準なんてないように、言葉にだって標準はない。みんな自分の好きに生きればいい。

ましてや空豆にとっての標準語は、母の象徴だった。故郷を捨て、都会人気取りで標準語を話していた母。空豆が、いろんな方言がちゃんぽんになった“空豆語”を貫いていたのも、母への反発心からだった。不思議な“空豆語”は、空豆のアイデンティティそのものだった。

思えば、北川悦吏子はずっとステレオタイプな見方をする社会に反発する女性を描き続けてきた。『ロングバケーション』の葉山南(山口智子)は、「30過ぎたら女は終わり」という偏見と戦い、『ビューティフルライフ』の町田杏子(常盤貴子)や『オレンジデイズ』の萩尾沙絵(柴咲コウ)は「可哀想な障害者」というレッテルに抗い続けた。

フェミニズムがエンタメの世界で真剣に語られるようになるずっと前から、私たちはもっと自由に、もっと力強く生きていいのだと北川悦吏子は訴え続けていたのだ。

空豆もまた世間のあらゆる標準や規範に反発し続けている。そのメッセージを感じるから、はちゃめちゃな空豆をいとしく思えるのだろう。いいぞもっとやれと密かに応援してしまうのだろう。

厄介なのは、空豆より音かもしれない

音もまた北川悦吏子らしい、恋するすべての人たちの夢を具現化したキャラクターとなっている。今回最高だったのは、BPMについて説明するシーン。空豆の心拍数を測り、さらりと「いつか空豆の心拍数で曲書こうかな」と口にする。こんな台詞、永瀬廉の顔で言われたら、むしろ不整脈になる。出来上がった楽曲はテンポが良すぎてAdoより早口になる。

こんなの、どう考えても口説き文句でしかない。僕が空豆だったら間違いなくこう言い返してる、「なんてこと言うの」と。夏目漱石が「I LOVE YOU」を「月が綺麗ですね」と訳すなら、きっとアメリカ人は「いつか空豆の心拍数で曲書こうかな」を「I LOVE YOU」と訳すだろう。だけど、音は無意識なところが怖い。この暗いイケメン、実は相当なメンヘラ製造機じゃないだろうか。菅野セイラ(田辺桃子)が吸い寄せられるのも無理はない。

これまでたくさんのラブストーリーを生み出してきた北川悦吏子の編む極上の台詞が、音をより魅力的にしている。間違いなくこの冬いちばん沼ってはいけない男子だ。

でももう第6話まで観てしまっている私たちは、音から逃れることなんてできない。ならば、いっそとことん海野音という沼に沈ませてほしい。ここからもっともっと音に甘い台詞を言わせてほしい。

優しくて、繊細で、よく気がつくくせに、肝心なところは鈍感で、罪づくり。てっきり厄介なのは問題児の空豆だと思っていたけど、いちばん厄介なのは、恋愛下手なのに、するすると私たちの心を掴んで離さない音の方かもしれない。

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