『夕暮れに、手をつなぐ』広瀬すず“空豆”と永瀬廉“音”に漂う別れの予感

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『夕暮れに、手をつなぐ』広瀬すず“空豆”と永瀬廉“音”に漂う別れの予感

「春泥棒」が盗んだのは、海野音(永瀬廉)の唇だった。

浅葱空豆(広瀬すず)からの秘密のキスが描かれた『夕暮れに、手をつなぐ』(TBS系、毎週火曜22:00~)第4話。「とっくに、恋に落ちていた。」というキャッチコピー通りの展開に、僕たちの胸も静かに騒めきはじめている。

臆病な空豆は、起きないことを願って音にキスをした

あの出会いを、空豆も覚えていた。交差点ですれ違いざまに落としたワイヤレスイヤホン。同じタイミングで聴いていたヨルシカの「春泥棒」。覚えていたのは音だけで、てっきり空豆は忘れてしまっていたのかと思っていた。

でもあの日、「瞬きさえ億劫」の「『億劫』ってところがわっぜよか」と言っていた空豆は、音の寝顔をスケッチしながら、そのフレーズを口ずさんで「忘れてしまったかね」と音を見た。彼女もちゃんと覚えていたのだ、あの運命の出会いを。

空豆もまたあの交差点からすでに恋に落ちていたのかもしれない。だけど、言い出せないまま始まった運命は、少しずつタイミングがズレていく。

午前0時に消える魔法のドレスの前で見つめ合ったときも、あのまま散歩中の犬が邪魔しなければキスくらいしていたのかもしれない。次の日の朝、空豆は雪平響子(夏木マリ)の前で「キスさえよう知らん」と悪態をついた。裏返すと、いつだって空豆は音からのキスを待っていたんじゃないかな。

「漁民」で、「二軒目酒場」で、代官山からの帰り道で。きっといつものようにケタケタと笑って、でもほんの一瞬、会話が途切れたそのときに、目をそらすきっかけを失ったそのときに、音からのキスを待っていたのかもしれない。あの縁側のときのように。

でも、恋に落ちるには、2人の距離は近づきすぎた。だから、つい空豆もイタズラのふりをして誤魔化してしまう。正直、無神経で、失礼だと思う。それくらい、きっと空豆もわかっている。

でも王子様のキスを待つ眠り姫のふりをするには、失う恋の痛みを知りすぎた。初恋は、いつだって恐れ知らずでいける。でも、2度目の恋は臆病になる。手にした瞬間から失うことを思うより、このまま永遠にふざけ合っていられる方がいい。

だから、眠り姫の役は、音にした。このまま覚めないことを願って、王子様のキスをした。

始まりそうで始まらない2人の恋に足踏みをかけているのは、ナイーブな音の方じゃなくて、野生児のくせして本当は繊細な空豆の方なのかもしれない。

でも、タイミングを失った恋は、実らない。

かつて『ロングバケーション』で、北川悦吏子は「男女の友情っていうのは、すれ違い続けるタイミング。もしくは、永遠の片思いのことを言うんです」という台詞を残した。今の2人はまさにその台詞をそっくりそのまま体現しているみたいだ。

「空」と「海」のような2人の未来に何が待っているのだろう

一方、傷つきやすい心をガサツな態度で隠している空豆に、音はどこまでも優しい。あんなイタズラをされたら、絶交宣言したっていいのに、音は風呂桶1杯の反撃でチャラにする。しかも、最初は冷水だったのに、わざわざ温かいお湯に入れ替えて。その気遣いに、音をまたひとつ好きになる。

響子のドレスを勝手に解体したペナルティとして銭湯の掃除を任されたときも、音が連帯責任を引き受けるいわれはないのに、なんだかんだで一緒にやってあげている。優しすぎるだろう。あまりに優しすぎて、この後、妙なツボを売りつけられても、そやろねと納得してしまう。なんなら騙されているとわかった上で買ってあげたい。

普通、作詞をしているときなんて集中したいだろうに、音は隣に空豆がいることをまるで気にしない。むしろそこに空豆がいることが自然のような空気すらある。人の気配を感じる方が安心することは確かにあるけど、音にとって空豆はもはやそんな家族のような存在になっている。

でも、どうやら2人の未来に別れが待っていることは確定らしい。あの無邪気な銭湯掃除のシーンに重ねられた音のモノローグ。空豆と音が一緒に夏を迎えることはないという未来が暗示されていた。

それは単純に、2人のうちのどちらか(あるいは両方)が雪平邸を出ていくことを意味しているだけなのか。デビューが決まり、少しずつ音楽の仕事が軌道に乗りはじめた音が、夢を追う若者たちのための雪平邸を巣立つことは理解できる。空豆にしても、母親譲りのセンスをすでに発揮している。ここから久遠徹(遠藤憲一)らがいるファッションブランド「アンダーソニア」で空豆の快進撃が始まるのかもしれない。なんなら、母・塔子(松雪泰子)と同じようにパリに行く未来もありそうだ。

でも、そういう物理的な意味じゃない別れが待っているとしたら。2人の間に何が起こるのだろうか。

そこで胸によぎるのが、響子の台詞だ。「離れて、たま〜に思い出すくらいがちょうどいいのよ」と言って、ニューヨークへと帰る爽介(川上洋平)の背中を押した。あれは親子の言葉だったけど、どこか空豆と音を待つ別れの予感にオーバーラップするところがある。

『夕暮れに、手をつなぐ』は、空豆と音の青春の物語だ。青春が終わるとき、2人はつないだ手を離し、それぞれの道を歩き出す。一緒にいた日々をたま〜に思い出し、その温かな記憶をお守りにして生きていく。そんな結末が待っているようで胸が痛い。

このドラマに漂う、なんとも言えない寂しさは、そんな別れの予感にあるのだろう。思えば、浅葱空豆と海野音という名前には、「空」と「海」という自然の単語が隠されている。

「海」は「空」はどちらも青い。空豆がデッサンしたあのドレスの青のように。似たもの同士だけど、交わることはなく、水平線を境にして、鏡のようにお互いの姿を映している。

空豆と音はそんな「空」と「海」のように生きていくのだろうか。できるなら夕暮れに溶け合い、ひとつになる「空」と「海」のように、一緒に生きていく2人が見たいけれど。

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