オリラジ中田「揉めちゃいけない揉め方ってある」テレビ卒業の真相を明かす:あちこちオードリー

公開: 更新: テレ東プラス

裸のトークバラエティ「あちこちオードリー」(毎週水曜夜11時6分放送)。10月26日(水)の放送は、中田敦彦(オリエンタルラジオ)が初来店。聞きたいことが多すぎて、オードリーが質問責め! 大ブレイク・暗黒時代の苦悩とは?

テレビ卒業のきっかけは?

オードリ―との対面はもちろん、「テレビ自体がお久しぶりなんで」と登場した中田。地上波バラエティへの出演は、実に約2年ぶり。「なんか変な感じなんですよ」と落ち着かない様子。

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中田は、相方の藤森慎吾とともに「オリエンタルラジオ」として2005年にデビュー。芸歴1年目からテレビに出演し、3年目にしてゴールデンで3本の冠番組を持つほど大ブレイクしたが、紆余曲折あり、2020年ごろからテレビ出演をセーブ。所属事務所を退所し、現在はシンガポールに住んでいる。

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デビュー直後からずっとテレビで活躍していた中田だが、YouTubeの活動が忙しくなるにつれて徐々にテレビ出演を減らしていったという。しかし、若林が「ずっとテレビでやってく人だと思ってた」というと、「俺もそう思ってました」と。そんな中田がテレビを卒業いようと思ったきっかけは、「心が一回しっかり折れた」ことだった。

「しくじり先生 俺みたいになるな!!」(テレビ朝日系)から生まれた中田MCの特番「中田歴史塾」に勝負を懸けて臨んだ中田だが、結果が出せなかった。「MCになりたくてしょうがないヤツなのに、なれないんだ」と思ったことで、テレビの仕事を"こなす"ようになり、辛くなってしまったのだという。

若林が「もし『しくじり~』も(コーナーが)ありつつ、『中田歴史塾』もレギュラーになってたら?」と尋ねると、「やってたでしょうね」と中田。「テレビ最後のスターになるんだ」「俺はテレビ王」くらいの勢いで、今もテレビに出続けていただろうと本音を語る。

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2016年には「PERFECT HUMAN」が大ブームを巻き起こすが、中田は「(自分は)どうしても反則技でやってるヤツなんですよ」と、漫才の大会で結果を残し正攻法でブレイクしていく「オードリーさんとか眩しかったですよ」と、当時の心境を。実は劣等感の塊という、中田の意外な一面も明らかになる。

大ブレイクから急落した後は、「テレビに出るためなら何でもやる」との思いで食らいついてきた中田。そんな焦りもある中、テレビを卒業することとなった一番の理由は「会社と揉めた所はデカいと思いますよ」と、誰も突っ込めなかったことをサラッと口にする。「揉めちゃいけない揉め方ってあるんですよね」と、もうテレビには戻れないと覚悟を決めたのだという。

退路を完全に断ってのYouTube挑戦

そんな中田にとって、YouTubeは、先見の明があったわけではなく、何もやることがなく追い詰められた末に「絶望のふちでギリやった」ものだった。

政治・経済・歴史・小説などをひたすら1人喋りしゃべり続ける授業形式の動画「中田敦彦のYouTube大学」は、今でこそ登録者数約490万人(2022年10月現在)と大人気だが、テレビから完全にシフトチェンジするには相当な苦悩があったそう。とくに軌道に乗るまでの1〜2年が「劇的にしんどかった」と中田。なぜなら、相方・藤森にも、妻・福田萌にも理解してもらえなかったからだった。

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