山田邦子”1カ月のギャラが1億円”貧血で視界が真っ白に、耳鳴りに悩まされた過去も。壮絶な現場エピソード明かす

公開: 更新: テレ東プラス

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多くのレギュラー番組で高視聴率を叩き出し、好感度ランキングで8年連続1位を獲得。「唯一天下を取った女性ピン芸人」と称される山田邦子さん。近年は舞台の他、YouTube「山田邦子 クニチャンネル」での発言や若手芸人たちとのコラボ動画が話題を集め、10月12日には歌謡曲ミニアルバム『ザ・山田邦子カーニバル!』をリリースするなど、長きにわたり芸能界で活躍している。

「テレ東プラス」では、大物女性ピン芸人の山田さんにインタビュー。長年芸能活動を続ける山田さんだからこそ知る、かつての驚愕エピソードについて聞いた。

ギャラが1億円クラスはザラにいた

――以前、山田さんが番組で明かした「当時の給料が現金手渡しで、デパートの大きな袋に1億円入れたのを渡された」というエピソードが、大きな反響を呼びました。

「当時は手渡しが普通だったし、1カ月のギャラが1億円なんて私だけの話じゃない。コント赤信号とか、それこそザラにいましたよ。それに、(ビート)たけしさんや(明石家)さんまちゃんは、もっともらっていたはず。みんなが言わないだけです。

昔の銀行は窓口だけで午後3時に閉まっちゃうから、なかなか預けに行けなくてね。B&Bなんて、ギャラを受け取ったら家のタンスにそのままドサッと入れては仕事、ドサッと入れては仕事で、何億も入れていたみたいです。手持ちのお金が少なくなると、タンスから...って(笑)」

――リアルなタンス預金が億単位...豪快というか、なかなかすごい時代でしたね。

「お金に関してはバブル期だったこともあるけど、本当に無茶苦茶でした。今は組合があったり、労働条件も規制があったりして、守られているでしょう? でも当時は、夜12時までしか働かないなんて言ったら、『もう明日から来なくていいよ』って。今じゃ考えられないですよね。

とにかく、呼ばれたらすぐ現場に行く。テレビ局の近くに住んで、連絡があったら『代役ですか? はい、行きます!』って駆けつけるのが、売れっ子になる条件だったと思います。みんな全然寝てなくて、気絶寸前で仕事している状態だったから、コントとかで寝るシーンはヤバかったですよ。『ダメだ、これ本当に寝ちゃう...』って(笑)」

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――実際に寝てしまう人が、続出しそうです。

「いっぱいいましたよ。セリフ言わないから『寝ちゃってるな』って(笑)、足をコチョコチョして起こしたりしましたね。楽屋ではみんなもう仮死状態というか、気絶するように寝ていました。さんまちゃんとか芸人仲間でしゃべっていると、『過労死って、どこからなんだろうね』って話題になるくらい、めちゃくちゃな働き方をしていたんです。まあ、そんな青春でしたね(笑)」

「とにかく現場に行って、現場で倒れなさい」

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――いくら若い頃でも、そこまで働きすぎだと体調を崩しますよね?

「常に倒れるギリギリ。例えば、朝、熱が出て、マネージャーに言っても『わかったから、とりあえず着替えて。車に乗って現場に行って、現場で倒れなさい。現場で倒れないと、ギャラが出ないから』って言うんですよ(笑)。

あと、家で手を切ったとします。そうすると『手をグーにして、心臓よりも高く上げて。このまま現場に行きなさい。現場で切っちゃったって言いなさい。そうしたら、病院代も出るし』って、本当に酷いでしょう?(笑)」

――それはもう...酷いなんてもんじゃないですね。めちゃくちゃすぎます(笑)。

「めまいがするなんて当たり前の状態だから、気持ち悪くて吐いちゃう人がいっぱいいるわけですよ。生放送中も、メイクさんに『がんばって!』と支えてもらって、CMに入るとバケツにゲーゲー吐いて、CMが明けると、何でもないみたいにまたしゃべってとか...。

貧血で視界が真っ白になって、耳鳴りがキーンとする。それでもそのまま歩けて、しばらくするとまた視界が戻ってきて『ああ、大丈夫だ』となるのもしょっちゅう。そんな状態でも、人間動けるものなんですね」

――それは全然、大丈夫じゃないです。

「撮影現場で、ずっとスポットライトを浴び続けて、スタジオは音も大きいでしょう。そんなのを続けていたら自律神経もおかしくなるから、収録現場でおしっこ漏らしちゃうなんて人もたくさんいました(笑)。

まあやっぱり、あれだけ寝ないで働き続けたら、普通に壊れますよ。丈夫な人だけが生き残れたというか、親に頑丈に生んでもらったと感謝しています」