ネットやSNSの普及で”オカルトの世界”は変わったのか「ムー」三上編集長に聞く

公開: 更新: テレ東プラス

世界の謎と不思議に挑戦するスーパーミステリー・マガジン「ムー」。
1979年11月号に始まり、2022年7月号で記念すべき「500号」を迎えた「ムー」が、これを記念して500分のライブ配信を実施!
昨今は、YouTubeはもちろんのこと、TikTokでも積極的に投稿を行い、"ムー民"をさらに増殖させている。

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「テレ東プラス」は、著書「オカルト編集王 月刊『ムー』編集長のあやしい仕事術」(学研プラス)を出版した「ムー」三上丈晴編集長を取材。

2005年、「ムー」編集長に就任し、「超ムーの世界R」(エンタメ〜テレ)をはじめ、ドラマ25「東京怪奇酒」(2021年)にも出演。マスメディアにも度々登場する三上氏が、著書で編集人生30年を振り返り、オカルト雑誌の秘められた舞台裏を公開している。

インタビュー前編では、三上氏の幼少期のエピソードやオカルトの魅力について、話を聞く。

"得体が知れないわからないもの"は恐怖であり、好奇心の対象となる

――まずは遡って。「ムー」の編集長である三上さんが、幼少期はどのようなお子様だったのか、どんなエンターテインメントに触れて青春時代を過ごしたのか、お聞かせください。

「ごくごく普通の子どもでしたよ。虫採りをしたり、秘密基地を作ったり。1970年代は、『本格科学冒険漫画 20世紀少年』に出てくるような文化がありました。世間はオカルトブーム真っ盛り。ユリ・ゲラーが来日したり、ネッシーが話題になったり、矢追純一さんのUFO特番が放送されたり、心霊特番もたくさんありました。学校に行くと、心霊写真集を持ってくるクラスメイトがいて、そこにみんなが群がったりしてね(笑)。
特にオカルト大好き少年というわけではなく、どこにでもいる普通の子どもでしたが、つのだじろう先生の『恐怖新聞』や永井豪先生の『デビルマン』『凄ノ王』なんかは読んでいました」

――「ムー」が創刊したのは1979年で、当時の三上さんは11歳。「ムー」は、学校でも話題になっていましたか?

「小学5年生の時に『ムー』が創刊したんですけど、その頃はまだ誰も知らなかったですね。当時、親戚のおじさんが『UFOと宇宙』という雑誌を持っていたので、借りて読んでいましたが、『ムー』の存在を知ったのは中学1年生の時でした」

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