熱海で人気のドラァグクイーン・六拳龍子。波乱万丈な生き様を経て本当の自分に...「目の前にいる”その人”のために何かがしたい」

公開: 更新: テレ東プラス

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熱海の地で絶大な存在感を発揮するドラァグクイーンがいる。それが、熱海のNEWエンターテイメントショークラブ「GOLD RUSH(ゴールドラッシュ)」で、ポールダンサーとして出演している六拳龍子さんだ。

龍子さんは東京・大阪・熱海を中心に、ダンサー兼インストラクターとしてはもちろん、MC、衣装制作、メイク・スタイリスト、イベント企画とあらゆる才能を開花させ、マルチにこなす。
お店では強烈な個性でお客様を歓迎し、ショータイム以外も軽快なトークで客席を盛り上げる。

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jinseigekijo_20220428_03.jpg▲龍子さんのポールダンスを動画で見たい方はコチラ

今回の「テレ東プラス 人生劇場」は、そんな六拳龍子さんを訪ねて熱海へ! 取材班が店を訪れると、「こんなに遠くまで...本当にありがとうございま~す!」と手を振りながらカジュアルに出迎えてくれた。龍子さんの生い立ちから人生観、恋愛、仕事のやりがいに至るまでとことん深掘り! その素顔に迫った。

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小学4年生で登校拒否...同年代とどう接していいか分からなかった

――現在34歳の龍子さん。素顔もお肌がピカピカ! とてもおきれいですね。

「やだぁ~本当ですか?(笑)そう言ってもらえると本当にうれしいです! お肌にはやっぱり気を使っているので...」

――まずはちょっと遡って...ご家族のお話から聞かせてください。

「生まれは東京、神奈川県の横須賀市で育ちました。父は何度か結婚しているため、腹違いの兄弟が3人います。兄たちは沖縄に住んでいたのでほぼ一人っ子として育ちましたが、しっかりとした親子の交流はありました。
父はもう亡くなってしまいましたが、昔の写真を見たらめっちゃイケメン(笑)。塗装業や土木業系の何でも屋さんみたいな仕事をしていたので、私も小さい頃からよくお手伝いをしていました。父は結構厳しくて、なよなよしているのが好きじゃない。だから小さい頃は、父の意向で極真空手を習っていました。幼稚園〜高校一年生まで続けたので、黒帯も取って、神奈川県の大会では優勝もしました」

――すごい! お父様の影響が大きかったのですね。

「そうですね、今でも尊敬しています。怖くて嫌いな時期もあったし、『こうなりたくない』と反発したことも。だけどいまだに父の影響は大きくて、手先の器用さや作品作りが好きなのは父親譲りかもしれません。父は細かい作業が好きで、5円玉の鎧を作って新聞に載ったりしていたので」

――自分が普通の男の子とはちょっと違う...と感じたのは、いつ頃だったのでしょう。

「自覚したのは、たぶん幼稚園の頃です。その頃から女の子といることが多くて、おままごとをしたりして遊んでいました。ある時、近くで男の子たちがわちゃわちゃとやんちゃな感じで走っているのを見て、『あー男の子だなぁ』って。自分とは何かが違うなと思ったんですね。
小学校に上がると気になる男の子もできて、その子が引っ越す時にプレゼントを渡したりしました。あと覚えているのは、好きな男の子を一本背負いしてしまって...(笑)」

――愛情表現が一本背負いだったと(笑)。

「そう、"恋の一本背負い"(笑)。理由は覚えていなくて、なんか取っ組み合いをして遊んでいた流れだと思うんですけど、気づいたら技をかけていました(笑)。パニクって、そこからは記憶がありません」

――それは独特な初恋体験ですね(笑)。小学生の頃はどんなお子様でしたか?

「子役の事務所に入っていたので、レッスンなどで学校に行けない時期があり、4年生で登校拒否になりました。子役として活動していると周りは大人ばかりなので、同年代とどう接していいか分からなかったんです。だけど大人と接するのは得意で、先生の前では上手く取り繕うので、大人からは『いい子だ』と言われていました。5年生くらいからは少し立ち直って、普通に学校に通えるようになりました」

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▲幼少期の龍子さん

――同年代より早熟だったのかもしれませんね。美に目覚めたのはいつ頃ですか?

「工業系の高校に進みましたが、その後は美容専門学校に進みました。空手の時もそうでしたが、一つのことに熱中すると、基礎から徹底的に学びたくなるんです。だから毎朝早く登校して練習、放課後も練習...その甲斐あって、日本全国の美容学生が競う大会で優勝しましたし、技術面では学年トップでした。卒業後は、美容師として働き始めました」

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――そこまで優秀だと、美容系でバリバリやっていく道もあったのでは?

「実は母が病気で倒れてしまい、美容師を続けることができなくなってしまったんです。やることがなくなって、一時期やさぐれたこともありました。
そこで生活のために始めたのが、ビルの窓ガラス清掃の仕事。高所作業なのでお給料も高く、早い時間に帰れるというのも大きかったです。アルバイトから社員になり、役職もつけてもらい、大きなビルの管理もやらせてもらいました。
だけど気持ちはずっとやさぐれていて、あの頃は、新宿二丁目やクラブで飲み歩いていましたね。そんな中、たまたま行ったイベントで踊ってる人がいて、『すごーい!』と感動して見ていたら、その人が『ダンスサークルがあるから、行ってみませんか』と。ちょうど趣味が欲しかったし、ダンスをやってみようかなと思って、まずジャズダンスから始めました」

――そのイベントがきっかけで、龍子さんの人生が変わったんですね。

「今思えば、ただナンパされただけなのよね(笑)。でも、今もきっかけをもらったことに感謝しています。何も知らない状態だったので、いろんなイベントに連れて行ってもらって、最初はK-POPのコピーユニットに入りました。すると今度は『東京レインボープライド』(※LGBTQが差別や偏見にさらされず、前向きに生活できる社会の実現を目指したイベント)の方に誘われて、代々木公園の舞台で踊らせていただいて...ここまで、ご縁、ご縁の連続で道が繋がったように思います」

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