椎茸農場を営むアメリカ人男性が伝統的な栽培方法を体験”椎茸の神様”との出会いも!:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(月曜夜8時)。毎回外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

今回は、「ニッポンにご招待したら人生変わっちゃった! スペシャル」をお送りします。

念願のニッポンで日本古来の椎茸栽培を学び、帰国後驚きの変化が!

紹介するのは、アメリカに住む、「椎茸」をこよなく愛するジェレミーさん。

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椎茸の歴史は古く、平安時代に大陸から伝わり、独自に進化。室町時代には高級食材として8代将軍足利義政に献上されました。江戸時代になると、初めて椎茸の人工栽培に成功。ニッポンの椎茸が世界へと広まったのです。
さらに干し椎茸の出汁は、鰹節、昆布と共に三大旨味成分と言われ、和食に欠かせない食材。干し椎茸を水で戻すと旨味成分のグアニル酸が4倍にもなるそう。

2008年まで建築関係の仕事をしていたジェレミーさんは、リーマンショックのあおりを受けて失業。そんな時、初めて食べたニッポンの椎茸の味に感動し、栽培を始めました。そして栽培に必要な原木を2000本集めたものの、椎茸栽培はとてもデリケートで失敗続き。それでも、近所のスーパーに置かせてもらえるまでになりました。

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一度もニッポンに行ったことがないジェレミーさん、椎茸作りはほとんど独学。平日は農場の近くに借りた家で寝泊まりし、週末のみ、妻・エイミーさんのもとへ帰るそう。しかし、椎茸の売り上げだけでは生活ができず、エイミーさんは毎日仕事に出ています。

「椎茸栽培に長けたニッポンの農家さんからアドバイスをいただいて、妻を安心させてあげたいんです」と話すジェレミーさんを、ニッポンにご招待! 6年前に初来日しました。

向かったのは三重県。寒暖の差が大きく、雨量も多いことから質のいい椎茸が収穫できる地域として有名です。今回お世話になるのは、伝統的な栽培方法で椎茸を作っている藤原善一さん・すみ子さんご夫婦。夫婦二人三脚で、椎茸栽培を50年近く続けています。

ニッポンには、原木栽培だけではなく「菌床(きんしょう)栽培」という栽培方法が。オガクズと栄養剤を混ぜたものに椎茸の菌を植えて育てる方法で、2〜3ヵ月で出荷できるため生産効率が良く、今は生産量の90%が菌床栽培だそう。

一方、クヌギや樫の丸太に椎茸の菌を植えて育てる原木栽培は、手間と時間はかかりますが、味が良いと言われています。藤原さんは原木栽培にこだわり、肉厚で風味豊かな椎茸を育てているのです。

藤原さんの椎茸を七輪で焼き、塩とすだちで味付けして食べてみると......ジェレミーさんは「私が作った椎茸より香りも良いし、みずみずしい」と大絶賛!

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今回特別に、原木栽培について教えていただけることに。藤原さんによると「(原木として)クヌギはナンバーワン!」だそうで、成長速度が速く、伐採しても芽が生えて成長。椎茸が育つための栄養分を十分に蓄えているとのこと。

藤原さんが自ら育てた樹齢8年以上のクヌギの木を切り、50cmほどの長さにして椎茸の原木にします。ジェレミーさんも挑戦しますが、藤原さんのスピードにはかないません。

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「まるでチェーンソーのマジシャンですね!」。

次は、原木に椎茸の種菌を仕込む作業。種菌を入れる穴を専用の機械で開けていきます。ジェレミーさんは「この機械が見たかったんです!」と大興奮。椎茸の種菌を入れる際は、空気に触れると雑菌がついてしまうため、素早く作業するのがポイントです。

椎茸の菌は縦に広がる特性があり、一定の間隔で入れると原木全体にまんべんなく広がっていきます。その下準備のため、風通しの良い日陰で約8ヵ月間寝かせる必要があるそう。

そしてこの後が、椎茸栽培にとって最も重要な工程。菌を活性化させるために打撃を与え、水に浸けます。水温は20度以下で、冬は約24時間、夏は約8時間浸けます。
実はこの工程は自然現象の代わり。雷が鳴り、大雨が降った翌日は椎茸がたくさん出るそうで、つまり打撃は雷、水は大雨の代わりなのです。

刺激を与えた後、温度管理されたビニールハウスに原木を並べると......椎茸はどんどん育ち、3日後には収穫できるほどの大きさに! 収穫を終えた原木を再び水に浸けると、また椎茸が生えます。使用期限は約1年だそう。

椎茸栽培を学んだ後は、すみ子さんから椎茸の美味しい食べ方を教えていただくことに。水で戻した干し椎茸を醤油・みりん・酒などで煮詰め、酢飯と握る「椎茸の握り寿司」は、この地方ではおめでたい席などで出される逸品。他にも椎茸の肉詰めや、椎茸の軸のきんぴら風も教えていただきました。歓迎会では、すみ子さんの椎茸料理を堪能したジェレミーさん。

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別れの時。ハグを交わし、「今日は本当に素晴らしい1日でした。最高のディナーも心から感謝します」とお世話になったお礼を伝えます。

あれから6年...。ジェレミーさんからのビデオレターを藤原さんご夫婦の元へ。3年前に自宅を売り、農場の近くに住んでいるジェレミーさん。エイミーさんも仕事を辞め、椎茸栽培をサポートしています。

椎茸農場を見せてもらうと、以前は2000本ほどだった原木が現在は1万5000本に! 自宅を売ったお金で農場を拡大し、椎茸を大量生産していました。これには藤原さんご夫婦も驚きますが、利益はそれほど多くなく、設備にかけた費用の返済に充てているそう。

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藤原さんからインスパイアを受け、原木を浸ける水槽も作りました。水に浸けて刺激を与えたことで収穫量が増加。「お2人のおかげです!」と感謝を伝えると、藤原さんは「いろんな挑戦に励んでおられる」と感心。

冬は菌床栽培も。農場があるミネソタ州は11月から3月まで氷点下の日が続き、原木での栽培期間が限られるので、菌床栽培で椎茸以外にも、タモギタケやヤマブシタケを作っています。特にヤマブシタケは栄養価が高く、健康食品として注目されているそう。

さらに、食品乾燥機を4台購入し、干し椎茸の販売も始めました。オリジナルのキノコブランドを立ち上げ、オンライン販売も開始。キノコのセットや、一度燻製にしてから粉末にした椎茸のパウダーも販売しています。

椎茸だけで生活ができるようになったのは最近のこと。エイミーさんも「彼の夢が叶うまで応援します」と話します。最後にジェレミーさんは、「今の私があるのは皆さんのおかげです。チャンスをいただき本当に有難うございます」と藤原さんにメッセージを伝えました。

日本一の干し椎茸農家から、こだわりの栽培方法を学ぶ

続いて向かったのは、大分県。大分県は干し椎茸の生産量全国1位。国内生産量の約半分を占めています。干し椎茸は、そのほとんどが原木で育ったものしか使えず、収穫後に専用の乾燥機にあてるなど手間ひまがかかるため、生産者の力量が試される食材だそう。

大分県・朝地町。4000名いる生産者のトップであり、椎茸の神様と呼ばれる小野九洲男(くすお)さんが、ジェレミーさんを笑顔で迎えてくれました。小野さんは、椎茸界で最高の名誉と言われる農林水産大臣賞を17回も受賞。前人未到の偉業を成し遂げた人物です。
アメリカで小野さんの栽培方法を勉強していたジェレミーさんは、「ずっとお会いしたかったです」と笑顔に。

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早速、小野さんが作った干し椎茸を見せていただきます。二重のビニール袋でくるまれた椎茸こそ、どんこの中でも最上級といわれる「天白どんこ」。湿気に触れると価値が下がるため、厳重に密封。デパートでは、500g、2万円で販売しています。

朝まで待つと椎茸が成長しすぎてダメになってしまうことがあるため、小野さんは夜中に起きて原木を見に行くそう。椎茸の状態を見れば「何時頃採取するのが良いか大方頭にある」と話します。小野さんは、農林水産大臣賞を取るための努力を惜しみません。

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奥さんのトリ子さんが作ってくれた天白どんこの椎茸煮を堪能した後は、小野さんの畑へ。山の中にある椎茸畑には、原木が一面にびっしりと広がっています。
収穫はまだ先ですが、小野さんがこだわりを教えてくださいました。天白どんこのように白い椎茸を作るには、日光の明るさが必要。自然光を取り入れるため、小野さん独自で行っているのが、原木に影を落とす周りの木の枝を切って、日の当たり方を調整する方法です。

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ハシゴを上って枝を切りますが、高さは約10m! 小野さんが届かない所は、背が高いジェレミーさんがお手伝いします。高所から椎茸畑を眺め、「こんな景色見たことがない」と感動!

こうして作られた小野さんの椎茸は、春と秋の2回収穫。コンピューターで制御された乾燥機で、一度に100kgほどの椎茸を12時間かけて乾燥させ、最高級「天白どんこ」が出来上がります。

ひと汗かいた後は、小野さん行きつけの長湯温泉へ。ニッポン屈指の炭酸泉で、温泉に入ったことがないジェレミーさんは、「キモチイイですね」と大満足!

別れの時。「椎茸の神様から話が聞けてうれしかったです」と話すジェレミーさんは、自分が作った干し椎茸を小野さんに贈ります。すると、なんと大量の「天白どんこ」をお土産にくださいました! 大感激のジェレミーさんに、小野さんは「また日本に来たら寄ってください」と笑顔で声をかけました。

あれから6年。ジェレミーさんのビデオレターを小野さんの元へ届けると、出迎えてくれたのはトリ子さんと長男・晋作さん。小野九洲男さんは2019年7月、この世を去ったのです。九洲男さんの技術と干し椎茸への熱意は、息子の晋作さんへと受け継がれ、今も立派な天白どんこを育てています。

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スタッフから小野さんの訃報を告げられたジェレミーさんは、「椎茸のレジェンドを失ったことは本当に悲しいです。しかし私は、彼の情熱をこの目で拝見したことを誇りに思います」と目を潤ませます。九洲男さんも、ジェレミーさんの訪問を心から喜んでくれたそう。

いただいた天白どんこはほとんど食べてしまいましたが、「これを見ると椎茸栽培への情熱が湧いてくるので」と、残りを大切に保管しています。九洲男さんの干し椎茸に励まされながら奮闘したこの6年、劇的に進化した農場を見たトリ子さんと晋作さんはびっくり!
最後にジェレミーさんが、晋作さんへメッセージを送ります。

「小野さんの息子さんなら、お父様の意思をついで伝統を守ることができると信じています。私も負けないように、椎茸農家の1人としてお父様の背中を追いかけていきます」。

ジェレミーさんをニッポンにご招待したら、椎茸の大量生産に成功し、エイミーさんと共にその魅力をアメリカの人たちに伝えていました!