『いちばんすきな花』4人の関係は友情か、それとも永遠の片想いか

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『いちばんすきな花』4人の関係は友情か、それとも永遠の片想いか

ゴミ袋の代用品にされる、ゴミ袋の袋。ラス1のゴミ袋を使いたくがないための、間に合わせ。決して本物にはなれないそれは、どこか4人が過ごすあの場所に似ている気がした。

後半戦に突入した『いちばんすきな花』(フジテレビ系、毎週木曜22:00~)第6話。安らぎの場所だった春木家にも、変化が訪れようとしていた。

4人の関係は、明日には枯れる花なのだろうか

潮ゆくえ(多部未華子)、春木椿(松下洸平)、深雪夜々(今田美桜)、佐藤紅葉(神尾楓珠)の4人の関係は、微笑ましいようで、常にどこか危うさが見え隠れしていた。なんとなくこの関係はずっと続くものではないような、季節が終われば散っていく花のようなものだと感じていた。

それは、4人の居場所である春木家が永遠のものではないことをわかっていたからだろう。椿にとって、婚約者と一緒に住むはずだった家。1人で暮らすには、あまりにも広すぎる一軒家。そう遠くない未来、椿がここを出ることは初期から暗示されていて。だからこそ、かりそめの場所に安住を覚えるゆくえや夜々や紅葉のことが、薄い氷の上でお城を建てているように見えていた。

かつての住人がこの家を買い戻したいという知らせを受け取った椿は、この家を出ていくべきか、ずっと悩んでいた。紅葉に引っ越しの意思を確認していたけど、あのとき、アパートを出て一緒に住みたいと紅葉が言ったら、椿は家を手放さない決断に至ったのだろうか。でも、紅葉の答えは「歯ブラシ置いてってもいいですか」。あくまでお泊まり。一時の仮住まい。ファミレスでメニューを絞れず、2つ選んでシェアしようとしたのと同じ。どっちつかずの、おいしいとこどり。

春木家の卓上にあるのは、明日には枯れる花。永遠には続かないもの。やがて終わりが訪れるとわかっているもの。そんなものばかりを椿は引き取ってしまう。そして、枯れゆく花にいちいち胸を痛めてしまう。

椿の決断を鈍らせていたいちばんの存在は、やっぱり紅葉だろう。誰とも2人組になれない、でも自分には妙になついてくれる年下の友達が、何か辛いことがあったとき、立ち寄れる場所をなくしてしまうことが心配だった。椿は、自分の気持ちより相手の気持ちを優先してしまう、優しい人だ。

でも、その紅葉本人から、前の住人の話を聞いて、椿は決心がついた。その人は、紅葉に「またおいで」をくれた人。自分がこの家を手放しても、紅葉には「またおいで」を言ってくれる人がいる。だから、ちゃんと自分は自分のことを考えなくちゃいけない。他の3人にとっては居心地のいい場所かもしれないけれど、椿にとってあの家に住み続けることは、なくした未来の延長線上にしがみついているようなもの。あそこにいたら、次の未来を選べない。椿の決断は、前向きな再出発なんだと思う。

では、部室のような場所を失った4人の関係はどうなっていくのか。椿に好意を寄せている夜々は、もっと4人から2人になるためにアクションを起こしていくのかもしれない。ゆくえにその気がないことをわかっているから自分の気持ちに蓋をしている紅葉にも、何か変化が起きる可能性はある。

かつて脚本家の北川悦吏子は「男女の友情っていうのは、 すれ違い続けるタイミング、 もしくは永遠の片想い」という言葉を残した。今のところ4人の関係を表すと、友情というよりも、北川悦吏子のこの言葉の方がフィット感がある。恋愛感情も下心も混じり得ない、純粋な友情は男女間には存在しないのだろうか。

恋愛感情と友情は異母兄弟みたいなもの

その点、ゆくえと椿に関しては男女だけど、まったく恋愛要素は介在していないように見える。お互いタイプじゃない、というのがその理由。わかりやすくて、気持ちいい。

けれど、そこに赤田鼓太郎(仲野太賀)が加わるとややこしくなる。赤田はゆくえと椿の関係を勘違いしていたけど、別に2人が友人だと理解してもやっぱり複雑な気持ちにはなると思う。赤田は、ゆくえに自分以外に親しい男ができたことが面白くないのだ。ゆくえに対して友情以上の何かを抱いているというわけではない。同性の友達にも似たような感情を抱くことはよくある話だ。

長年の親友に、彼氏ができた。「おめでとう」という祝福の裏に貼りついた、大事な友達をとられたような寂しさ。自分の方が付き合いが長いのに、自分の方がこの子のことをよく知っているのに、という嫉妬心。恋愛感情と友情って全然違うようで似ている。異母兄弟みたいなものなのだと思う。

結局、人と人との関係って、どこで自分の自尊心を成立させているかだ。たとえばキスやセックス、あるいは家族をつくることは、日本の法律と倫理では恋人にだけ認められたもの。どれだけ親しくても、その聖域を友達が侵すことはできない。それが恋人の特権であり自負になる。

でも逆に、その恋人が知らない過去の思い出とか、恋愛遍歴も、全部知っているんだという優越感。一緒に飲んで、バカ話をして、楽しく笑えるのは自分の方だという対抗意識。そういう邪な感情が、友情にないわけではない。決して尊いだけが友情ではない。友情だってドロドロしている。

ゆくえが峰子(田辺桃子)の気持ちを全然わかっていないのは、そこだ。たとえ2人の間に恋愛感情や性的欲求がなかったとしても、単純に自分以上に赤田のことを理解している人がいることが面白くないのだ。そして、それが自分と同じ女なら余計に面白くないのは、そこまで非難される心理ではないと思う。

だけど、ゆくえは男女の友情はあるのかないのかで延々と立ち止まっているから前に進めない。恋人からすれば、男女の友情があろうがなかろうが嫌なものは嫌だし、実際、ゆくえは折にふれて、赤田のことをよくわかっているような態度を出すので、峰子と顔を合わせたら、危険すぎて富士山も噴火するレベル。

紅葉の好意を察した上で気づいていないふりをしたり、視界が広いところもある反面、ゆくえは妙に視野が狭くて頑固なところがある。同性愛に対しては「そういう人もいる」と答えるのに、男女の友情に関しては自分の意見を主張すると矛盾を指摘していたけれど、あれも根本的に話が違う。

なぜなら同性愛に対して「そういう人もいる」と回答する人は、おおむね自分が当事者ではないからだ。当事者ではないから否定も肯定もせず、可能性に言及するだけ。でも、男女の友情に関しては誰もが当事者になれるから、自分の経験に基づいて考えを開陳する。その差を無視して世の中の無理解を嘆くのは、逆にゆくえの意固地さを露呈しているようにも見える。

おそらくゆくえの友達である志木美鳥こそが、椿の前の住人であり、紅葉に「またおいで」をくれた先生なんだろう。5人目の登場は、4人の関係にどう変化をもたらすのか。そして、少し凝り固まっているように見えるゆくえはここからどう変わっていくのか。

とりあえず松下洸平にダッフルコートを着せた人に、全国民から冬のボーナスをお贈りしたいと思います。ありがとう!!