松岡茉優“里奈”の「明日」は来るのか?『最高の教師』が教えてくれたこと…

公開: 更新:
松岡茉優“里奈”の「明日」は来るのか?『最高の教師』が教えてくれたこと…

私たちは世界を変えることができるのか。

そんな問いとともに始まった『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(日本テレビ系)がついに終わりを迎えた。ほんの少しだけ変わった世界を、その問いの答えにして。

星崎は、モンスターでもジョーカーでもなかった

1周目の卒業式の日に、九条里奈(松岡茉優)を突き落とした犯人は、星崎護(奥平大兼)だった。退屈な日常を変えてくれなかった。その絶望から、里奈を突き落とした後、自らも命を絶とうとした。

でも2周目は違う。退屈な日常を里奈はどんどん変えていった。周りの生徒たちも里奈の言葉に突き動かされ、どんどん変わっていった。なのに、自分はまったく変われなかった。ずっと世界は白黒だった。世界が変わらないのは、他人のせいじゃない。自分が変わらないからだ。そして、変わらない自分に絶望して、再び最悪のルートを選ぼうとした。

星崎が犯人であることも、星崎の人格に何かしらの欠落があることも、大方の視聴者の予想通りではあった。

だが、大きく違ったのは、星崎は人の痛みがわからないがために無自覚に人を傷つけるような人物ではなかった。退屈な日常を塗り替えるような面白いことを求めて事件を起こす利己的な人間でもなかった。

むしろ星崎は苦しんでいた、自分の心が動かないことを。何も感じない自分に絶望していた。そんな自分を変えたくて、もがいていた。東風谷葵(當真あみ)に浜岡修吾(青木柚)の動画を見せたのも、混乱を招きたかったからじゃない。自分にも何かができると思いたかった。誰かを変えられると信じたかった。星崎は私利私欲のために周囲を引っかき回すモンスターでも不幸を引き起こすジョーカーでもなかったのだ。

でも、悪意から来るものではないからこそ余計に闇が深い。悪意なら、正せる。光の射す方向を示せる。でも、星崎は悪意の塊ではない。彼にあるのは、空洞だ。何も響かない、何も映さない、空っぽの自分。異物である自分自身に強い疎外感を抱いていた。生まれてこなければ良かったと思うほどに自分を責めていた。

だから、飛び降りた。卒業の日、子どもたちが見ているものは、光り輝く未来だけではない。私たちはどこへでも行けるという自由だけではない。

教室という「行かなければいけない場所」を失った瞬間、どこへ行ったらいいのかわからなくなる者もいる。生徒という役割を没収された瞬間、自分を証明できなくなる者もいる。目の前に広がる無限の未来が、光ではなく闇にしか見えない者もいる。きっと星崎もそうだったんじゃないだろうか。だから、卒業式の日にすべてを決行した。いつだって誰かの希望は、誰かの絶望と隣り合わせなのだ。

あの場に蓮が真っ先に駆けつけた理由

渡り廊下から落ちかけた星崎を救ったのは、その場に駆けつけた九条蓮(松下洸平)だった。この作品が学園ドラマである以上、本来ならばこの役割を担うのは生徒か、少なくとも学校関係者である方が望ましい。これまでの展開を見てきても、蓮はあくまで物語の本筋から少し離れた場所で里奈を見守る立場。生徒たちに強い影響を与えることはなかった。

にもかかわらず、最終話で蓮の存在が大きくフィーチャーされた。あのとき、あの場に真っ先に駆けつけたのは、なぜ相楽琉偉(加藤清史郎)でも西野美月(茅島みずき)でもなく、蓮だったのか。少し違和感があった。

でも、あの役割をまっとうするのは蓮でなければならなかった。なぜなら、星崎は知らなければいけなかったからだ。人は、ひとりではないことを。誰かのために生きるということを。

「俺と一緒に死んでくんない?」という星崎の懇願を、里奈はきっぱりと断った。「私は死にたくない」と里奈が決然と言い放ったとき、星崎は里奈と自分の間に線を引いたんだと思う。この人は、こちら側ではないという現実。結局、この人もまた自分を救ってくれる存在ではなかったという失望。どうしようもなくわかり合えない悲しみ。

里奈が死にたくないと思うのは、待ってくれている人がいるからだ。明日の約束をしている人がいるからだ。その人のために、ここで死ぬわけにはいかない。私たちを絶望からすくい上げてくれるのは、いつだって他者だ。里奈にとっては、それが蓮だった。そのことを星崎がちゃんと知るために、星崎の前に蓮が登場する必要があったんだと思う。

里奈と蓮の揺るぎない絆を見て、星崎はまた絶望するだろうか。そんなふうに思える相手は、自分にはひとりもいないのだと。でも、そんなのは星崎に限らない。この人のために生きたいと思える相手なんて、そう簡単にできるはずがない。里奈と蓮だって1度目の人生では別れを選んだ。揺るぎない絆なんてものはこの世に存在しない。あるのは、努力だけだ。この人を失いたくないという努力。その思いやりと歩み寄りが、絆を強くする。

星崎は、誰かのために生きたいと願っていた。きっとその気持ちに嘘はないのだろう。ただ、そんな相手を見つけるには、たぶん星崎はもっと周りに目を向けなければいけない。世界を白黒にしているのは、自分自身だ。心を傾ければ、世界は色づく。渡り廊下から落ちかけたとき、駆けつけたクラスメイトを見て、色がついていると感じたように。自分のことを見てくれている人は、きっといる。

里奈は「自分だけでも自分を信じてみてくれませんか」と伝えたが、自分を信じるのは存外に難しい。もし僕だったら、星崎にはこう伝えたい。自分のことを信じることは難しくても、自分のことを信じてくれている他者をまずは信じてみてくれませんか、と。心を開くことが、すべての始まりだと僕は思う。

『最高の教師』が教えてくれたこと

浜岡に刺されるも一命を取り留め、里奈は死亡ルートを回避した。里奈は、世界を変えることができたのだ。なぜ鵜久森叶(芦田愛菜)は死の運命から逃れられなかったのに、里奈は別の未来を掴むことができたのか。自死を選んだ人間に、やり直しは効かないという厳しいメッセージもあるかもしれない。

でもそれ以上に、里奈と鵜久森を分けたのは、人に助けを求めることができたかどうかなんだと思う。鵜久森は、いちばん近い母にも死の予感を告白することはできなかった。一方、里奈は蓮に2周目の人生であることを明かし、その日がいつかも伝えていた。だから、最悪の事態を避けることができた。

人は弱い。自分ひとりの力でできることは少ない。何かあったときは抱え込まずに誰かに助けを求めてほしい。そうたくさんの人が発信する反面、本当に助けが必要なとき、何も顧みずにSOSを出せる人は少ない。

鵜久森は強い人だった。誰も巻き込みたくないと、ひとりで運命に立ち向かっていった。その結果、運命を変えることはできなかった。もしあの事故の現場に里奈や美雪(吉田羊)がいたら、事故そのものは止めることはできなくても、すぐに救急車を呼ぶことはできたはずだ。そしたら、もしたら命は助かったかもしれない。鵜久森にもいろんなifは用意されていた。鵜久森はその強さゆえ、それらを選ぶことをしなかった。

でも、本当はいいのだ、誰かを巻き込んでも。助けを乞いたいほどに信頼している相手なら、それを迷惑だなんて絶対に思わない。もしも助けてくれる人が誰ひとり浮かばなかったとしても、どうか声をあげることを怯まないでほしい。見ず知らずの誰かが救命用の浮き輪を放り投げてくれることは、人生に何度だってある。

優しくて、温かい結末だからこそ、そこに鵜久森がいない悲しみの方がずっと胸に迫った。何かが、ほんの少し違っただけで、鵜久森もここにいてみんなと一緒に笑っている未来があったんじゃないかと思わずにはいられなかった。

でも、きっと人生はそういうものなのだろう。どんなに願っても、時は戻らない。人生にタイムリープなんてないのだ。だから、今と真剣に向き合い続けるしかない。

『最高の教師』が教えてくれたのは、与えられたこの命を一生懸命に生き抜くこと。そうすれば、きっといつか世界は変わるのだ。