『最高の教師』「空気」を読むすべての人たちに送る、松岡茉優“九条”の教えとは?

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『最高の教師』「空気」を読むすべての人たちに送る、松岡茉優“九条”の教えとは?

100人のどうでもいい人に嫌われないようにすることより、たった1人の大切な人を守れる方がずっと幸せだろう。

最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(日本テレビ系、毎週土曜22:00~)第3話は、私たちの思考を無意識に覆う「序列意識」からの解放を描いた物語だった。

教室を出ても続くのは、支配ではなく友情だ


相楽琉偉(加藤清史郎)らに部室を占領された工学研究会の眉村紘一(福崎那由他)と日暮有河(萩原護)。事の発端は、九条里奈(松岡茉優)が教室に仕掛けた監視カメラのせい。聖域を奪われた眉村と日暮は、九条に向けて殺害予告を出す。

一方、九条を追放したい西野美月(茅島みずき)は、成績優秀な阿久津由利(藤崎ゆみあ)と東風谷葵(當真あみ)を使って、担任変更の嘆願書を提出する。

だが、覚悟を決めた九条はこの程度の逆風では動じない。鵜久森叶(芦田愛菜)の力を借りて、生徒たちと真っ向から向き合っていく。

眉村も日暮も阿久津も東風谷も、鵜久森へのいじめに積極的に加担していたわけではない。なるべく巻き込まれないように俯いていただけ。西野や相楽のつくり出す「空気」を読み、飲み込まされる立場の人間だった。

根底にあるのは、自分がハブられたくないという恐怖心。誰だって自分の身がいちばん可愛いのだ。だが、九条は言う。

「あなた方は一度でも自分を傷つけ蔑ろにする人間たちと仲良くしたいと思ったことはあるんですか。あなた方にとって彼らに嫌われるということはそんなに嫌なことなんでしょうか」

これは、教室という檻の中にいる人間にはなかなか言えない言葉だ。集団というものは複雑な力関係によって成立していて、望む望まないにかかわらず、カーストが生まれる。発言力の持つ人間がつくり出す「空気」を乱せば、その集団の中では生きていけなくなる。そう簡単に嫌われてもいいなんて捨て身にはなれない。だから、今回の九条の教えにおいて大事なのは、さらにそのあとの台詞だ。

「大人として伝えることがあります。そんなふうに自分を蔑ろにした人間など今どこにいて何をしているのか知りもしない、確かな日々が訪れるということです」

教室という檻の錠は、期間限定だ。短ければ1年。長くても3年で錠は外され、それぞれの道を行く。カーストの支配力は、檻の外にまでは通用しない。

教室を出ても続くのは、支配ではなく友情だ。信頼と尊敬で結ばれた関係は、コミュニティが変わっても色褪せることはない。だから、大切な友達がいてくれるなら、わざわざ嫌いな人間の顔色を窺う必要はないし、飲みたくない空気を飲み込むこともない。

これは教室という場所を通過した大人だから言えることだし、今、教室にがんじがらめになっているすべての子どもたちに知ってほしい気づきだ。永遠に続くわけでもないものに、自分の魂を犠牲にしなくていい。檻の外に、あなたが生きやすいコミュニティはきっとある。

九条に勇気づけられた眉村と日暮は、相楽たちに反旗を翻す。決して争うわけではない。お前たちのことなんてどうでもいいから、どうか僕たちにも関わらないくれ。夢中になれることがあり、それに打ち込む情熱があり、喜びを分かち合える友達がいる眉村と日暮にとって、相楽たちは同じ土俵に立つ必要さえない存在だったのだ。

この描写はとても痛快だった。相楽は自分がカーストの頂点にいると信じて疑わない。そして、眉村や日暮は自分よりも価値のない人間だと決め込んでいる。そんな「下層階級」に価値がないと言われた。彼の高いプライドに泥を塗りたくられた瞬間だった。

教室に帰ってきた相楽は腹立ちまぎれに机を蹴飛ばす。そうやって権威と暴力を振るうことで、クラスメイトたちを従わせてきた。だが、彼は気づいているだろうか。自分に向けられている視線の色を。そこには怯えもあるし恐れもある。でも、そうやって癇癪を起こして他人を征服しようとする彼の子どもじみた行動に対する、呆れと軽蔑も見え隠れしている。

相楽には、きっとないのだろう。眉村や日暮のように本気で大好きだと言えるものも、こいつさえいれば他に誰もいなくていいと思える友も。だから、人を虐げることでしか自尊心を満たすことができない。その空虚さに、もう多くの人が気づきはじめている。

30人のクラスメイトのうち、これで鵜久森、瓜生陽介(山時聡真)、向坂俊二(浅野竣哉)、眉村、日暮、阿久津、東風谷が“九条派”に。この革命状態を面白がる星崎透(奥平大兼)も九条に賛意を示した。星崎の九条への同調は、単調な日々に対する憂さ晴らしのようなもので、ちょっとまだ読みきれないものがあるが、少なくとも8人がもはや西野や相楽のコントロール下から脱している。

カーストの牙城が崩れる瞬間は、もうすぐそこまで近づいているのかもしれない。

私たちは、世界を変えられるのか


『最高の教師』は教室の中での物語ではあるが、ここで起こることは日本社会の縮図としても読み取れる。

眉村や日暮は上に対して不満を抱いてはいるものの、自分で現状を変える意志を持たず、誰かが変えてくれることを待っていた。自分なんかに世界を変える力はないと思い込んでいたのだ。

声をあげても届かない。小さき声はひねり潰されるだけ。そんな無力感と諦念が、私たちの生きる社会にも漂っている。まるで良くならない政治や経済に、消えることのない差別や理不尽に、時代遅れの価値観に、怒りや悔しさを抱きながらも、「自分なんかが声をあげても」と拳を下ろし、誰かが変えてくれることを期待して、何も変わらない日々に絶望している。

「おふたりは、一体何にあきらめているんですか。懸命に時間を注いだ青春が壊されることでしょうか。それとも、自分たちの意見が封殺される日常でしょうか」

九条が放った問いかけは、そのまま私たちにも向けられている。あきらめることでしか自分の心を守れない私たちに九条は言う。「空気」は読むものでも飲み込むものでもない。覚悟を持ってなんでもするなら、必ず世界は変えられると。

九条の魂の教えに、私たちはどんな答えを返すべきなのだろうか。

『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』は、TVerにて最新話に加え、ダイジェスト動画が配信中。