本格焼酎から霜降り肉まで!“麹”の力で日本の食文化を支える老舗メーカーの挑戦:読んで分かる「カンブリア宮殿」

公開: 更新: テレ東プラス

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本格焼酎から霜降り肉まで~日本の食文化を支える黒子企業


東京・赤坂の焼肉店「和牛焼肉 黒と赤」では鹿児島のブランド牛「うしの中山」を使用している。きめの細かい霜降りは、とろけるような柔らかさ。脂はしつこくなくバターのような芳醇な香りがするという。価格はコースで5280円~。2年前にこの和牛に変えると口コミで広がり、店の売り上げが急増したと言う。

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この和牛を育てているのが、鹿児島・鹿屋市の「うしの中山 大隅ファーム」社長で、肉牛作りひと筋50年という中山高司さん。2年前には肉質を競う全国大会で日本一に輝いている。

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中山さんが特にこだわっているのが餌。煎り大豆など15種類以上をブレンドして使っているが、肉の味を劇的に変えたのが麹だ。麹菌を蒸した米などにふりかけ繁殖させたのが麹。味噌や醤油など発酵食品を作るのに欠かせない。

中山さんが使っているのは麹菌の中でも河内菌という種類。これを餌に混ぜると腸内環境が整い栄養の吸収も良くなる。牛の体重は50キロも増え、肉質も向上したと言う。

「甘味が増したのは事実です。追求していたおいしさを麹菌が引き出してくれた」(中山さん)

河内菌が引っ張りだこになっているのが焼酎業界だ。

熊本・湯前町。焼酎のコンクールで9年連続日本一になった「豊永酒造」の4代目、豊永史郎さんが焼酎作りで頼るのが河内菌だ。

「絶対必要です。河内菌がないと焼酎は造れない。一番大事です」(豊永さん)

蒸した麦を入れた機械にパウダー状の河内菌をふりかけ、1日待つと麦の表面に白っぽい麹が繁殖する。河内菌で作った麹には特性があるという。

「酸を出して麹が酸っぱくなります。酸が多いと雑菌が入りにくいので、暖かい地域でも安全に醸造できる」(豊永さん)

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河内菌はクエン酸を生成し、雑菌の増殖を防いでくれる。だから九州などの暑い地域で、焼酎を腐らせず醸造できると重宝されているのだ。「3M」で知られる「森伊蔵」「魔王」「村尾」など、名だたる本格焼酎メーカーの8割が河内菌を使っている。

本社は全国から客が集まるテーマパーク~広がる麹の可能性


鹿児島・霧島市。鹿児島空港のほど近くに焼酎の一升瓶のような建物がそびえる。河内菌を製造販売する河内源一郎商店だ。そこへ観光バスが入ってきた。ここは麹のテーマパークにもなっていて、全国から客が集まってくる。

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河内菌を使った商品が並ぶ物販コーナーでは、オリジナル焼酎が無料で試飲できる。一番人気は米焼酎の「薩摩自顕流」(2310円)。日本酒のような吟醸香があり、IWSC世界酒類コンテストで「焼酎オブ・ザ・イヤー」を受賞したこともある逸品だ。

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焼酎だけではない。旨みが増す調味料の塩麹や甘酒など、河内菌を活かした商品が勢ぞろい。一日55個限定という貴重な「塩麹シュークリーム」(440円)も。

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カスタードの原料となる卵は、鶏の飼料に河内菌を混ぜて与えている。ビタミン豊富で味にはコクが出る。

館内にはレストランもある。売りは河内菌を食べさせて育てた豚肉料理だ。自社製造した「霧島高原ビール」(825円)を楽しむこともできる。

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今年、施設内にホテルも作った(1泊2食付き2万5850円~)。宿泊客は料理教室も体験可能。この日は麹のプロから教わる味噌作り。蒸した大豆に河内菌で作った米麹と塩を混ぜ2カ月寝かせれば、自分だけの味噌になる。

河内源一郎商店会長・山元正博(74)は3代目。河内菌を使った商品を次々と手がけ、売り上げを7倍に伸ばしたやり手である。

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「人ができないことを考えて結果が出たら楽しい。たぶん祖父もそうだった。DNAだと思います」(山元)

1931年、山元の祖父・河内源一郎が起こした河内商店。当時、焼酎は日本酒用の麹菌で作られていたが、暑い土地では腐らせてしまうことも多かった。現在の大阪大学の醸造科を卒業した源一郎はこの問題の改善に取り組んだ。

目をつけたのが沖縄の泡盛。暑くても腐敗しない麹菌を見つけ出し河内菌と名付けた。ちなみに河内菌は韓国にも広まり、現在ほとんどのマッコリは河内菌で作られていると言う。

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多くの蔵元に感謝され源一郎は「麹の神様」と呼ばれるようになる。その河内菌を受け継いだ山元は年間1億円を投じ、麹の可能性を探る研究も行っている。

河内菌で家畜飼料の事業に進出した山元。養豚王国・鹿児島の約2割の事業者が使うようになったが、変わるのは肉質だけではないと言う。

「腸内環境が良くなって未消化物が少ないから腐敗臭が出ないんです」(山元)

だから養豚場は臭くない。しかも豚の成長が10日ほど早くなり、その分の餌代も節約できると言う。宮崎・都城市の「宮崎畜産グループ」社長・近間伸一さんは「年間900万円ぐらいの効果があって助かります」と言う。

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さらに、山元はいろいろなものに河内菌をふりかけ麹を作っては、その特性を探っている。例えば「河内菌に豚骨を与えてやれば、豚骨を分解する酵素を出す。出汁を取るなら河内菌を生やすのが一番です」(山元)。

河内菌がタンパク質を分解しアミノ酸に変えてくれる。これで出汁を取れば、旨みたっぷりで臭みのない豚骨ラーメンができるという。

また山元は茶葉にも河内菌をふりかけた。通常、カロリーが低い茶葉で麹を作るのは難しいのだが、「数十回やると生えてくるものがある」と言う。この茶麹も新商品を開発中だ。

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「祖父は死ぬ前に『河内菌の力はこんなものではない』と言っていたそうです。『俺が河内菌の機能性を探してやる』と思い続けていました」(山元)

なぜ父は息子を裏切った?~テーマパークを作って大逆転


今年3月、小林製薬の紅麹の成分が入ったサプリを摂取した人が腎疾患などの健康被害を起こしていたことが確認された。麹そのもののイメージダウンになってしまうと危機感を強めた山元はセミナーを開き、麹づくりの安全性を訴えている。

「出来上がった麹は雑菌がないことをチェックして出荷している。それぐらいシビアにやっていることが安全性の担保なんです」(山元)

山元は1950年の生まれ。父親で2代目の正明は娘婿だった。幼い頃から家業を継ぐと決めていたといい、東京大学農学部を卒業すると27歳で河内源一郎商店で働き出す。

「自分の価値観の中で父親の仕事が一番だと思っていた。すごく尊敬していて、いつか父親を抜いてやると」(山元)

父親は職人仕事だった麹作りの機械化に挑み、10年がかりで自動的に麹が作れる機械を完成させた。焼酎の品質も良くなると、九州の蔵元の8割が購入する大ヒットとなり、父親もまた時代の寵児となった。

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「それがなかったら焼酎の近代化はない。『焼酎業界の帝王』と言われていました」(山元)

歯車が狂い出すのは1985年のこと。父親が自分でも焼酎を作ってみたいと「錦灘酒造」というメーカーを買い取ったのだ。麹屋が麹にこだわって作った焼酎「てんからもん」は予想以上に売れた。ところがある日、状況が一変する。

「大量の在庫が全部返品された。すごい量でした」(山元)

何があったのか、山元は酒屋に話を聞いて回った。扱ってくれなくなったのは、大手の焼酎メーカーが裏で酒屋や問屋に圧力をかけていたからだった。

その時、父親は信じられない対応に出る。

「僕が悪者になっていたんです。『あいつがやったこと』と。息子をダシにして会社を守ったということでしょう」(山元)

正明は錦灘酒造の社長を息子の山元に押し付け「あいつが勝手にやったこと」と幕引きを図ったのだ。さらに責任を取らせるように、河内源一郎商店もクビにした。

「僕は父親のことが大好きでした。小さい頃から父親っ子だった。だから裏切られたのはすごくショックでした」(山元)

焼酎を作っても売る場所がない。山元は途方にくれ、畑の中に車を止めて呆然とした時間を過ごした。そんな時、目に入ったのが飛行機。「観光客に売ればいい」と閃いた。

「観光工場だったら従来の流通を荒らさないから、食べていけるかもしれないと夢想しました」(山元)

山元は一世一代の勝負に出る。焼酎工場と観光施設の合体というアイデアで事業計画を作成。金策に駆けずり回り、銀行から8億円を受けた。1990年、テーマパークのような観光工場をオープン。そこに「焼酎の歴史」を味わえる商品を作り、並べた。

しかし、「1日100万円は売らなければいけないのに、最初の月の売り上げが150万円。あと数か月でお金が全部なくなる」(山元)。なんとか客を呼ぼうと、山元は長年やってきた古流剣術・野太刀自顕流の道着を着て全国の旅行会社を営業して回った。

「1カ月間営業で回って鹿児島に帰ってきたら、観光バスが並んでいたんです。17台も並んでいた。『やった』と涙が出ました」(山元)

従業員もまた野太刀自顕流の道着を着込み、客の出迎えからおいしさのアピールまでを行った。するとこれが評判を呼び、観光工場は年間45万人が押し寄せる人気スポットに。6年後には銀行からの借金も完済した。

父親の死をきっかけに河内商店を継いだ山元。本格焼酎に欠かせない河内菌は親子3代、未来へとつながった。

4代目は元心臓外科医~「宝の山」を見つけ出す!


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山元は親子3代で受け継いできた河内菌というバトンを次の世代に渡そうとしている。

託すのは息子の文晴(44)。慈恵医大を卒業し、6年前までは心臓外科医だった異色の経歴を持つ。なぜ後を継ぐことにしたのか?

「生活の安定では医者の方がよかったと思いますが、今の方が楽しいんです。未知だから面白いですよね」(文晴)

医者は目の前の患者だけだが麹は万人を救えると、決心したと言う。特に注目しているのが、父親が作った茶麹だ。

「茶麹にするとできて、米麹にはない成分をピックアップすると、4つの成分がヒットした」(文晴)

茶麹が出す成分を分析し、その中に炎症を抑える働きを持つ成分を見つけたという。そこで茶麹の抽出液から作ってみたのが傷薬だ。

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東京医大と共同で実験も行った。マウスの傷口に茶麹の傷薬を塗り、自然治癒と比べてみた。7日後、自然治癒に任せた方はまだ傷口が開いているが、茶麹を塗ったほうは塞がっていた。

「僕にできることは医療分野への展開なので、可能性を模索する。10年以上の開発期間になると思います」(文晴)

※価格は放送時の金額です。

~村上龍の編集後記~
焼酎の廃液が海洋投棄されることが問題になった。さまざまな方法を試したが、最後にたどり着いたのは麹。麹の発酵熱で廃液を乾燥し、飼料化することに成功した。この飼料は家畜の毛並みをよくし、肉質も味もいい。ということを山元さんが話したとき、「だったらもっと儲けが出ないと」と言いそうになったが、なぜか言えなかった。それは金儲けとは別の道を歩んできて、今も歩んでいるからだ。社名の河内源一郎は泡盛に使われていた黒麹から焼酎に適した泡盛黒麹菌の培養に成功した初代の名前。「麹の神様」と呼ばれている。

<出演者略歴>
山元正博(やまもと・まさひろ)1950年、鹿児島県生まれ。1977年、東京大学大学院修了後、河内源一郎商店に入社。1988年、錦灘酒造(現きりしま高原ビール)社長に就任。2013年、河内源一郎商店会長就任。

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