【バトン連載】髙橋大悟アナウンサーが語る“紆余曲折の学生時代”「挑戦を恐れて負け続きの人生になるのが怖かった」

公開: 更新: テレ東プラス

「テレ東プラス」では、2023年春にテレビ東京に入社した長部稀アナウンサー、髙橋大悟アナウンサー、中根舞美アナウンサーのバトン連載をお届け!

今回は、4月から「おはスタ」(毎週月~金朝7時5分 ※髙橋アナは木曜担当)にも出演している髙橋大悟アナウンサーにインタビュー! 高校時代は試練の連続? アナウンサーになるまでの紆余曲折を赤裸々に明かしてくれました。

【動画】髙橋大悟アナウンサー出演「おはスタ」

【動画】髙橋大悟アナウンサー出演「エンタメヒーロー!7ホテ」


【バトン連載】髙橋大悟アナウンサーが語る“紆余曲折の学生時代”「挑戦を恐れて負け続きの人生になるのが怖かった」

“アナウンサーには絶対なれない…。でも勉強だけじゃなく、努力だけではなれないような世界を目指してもいいんじゃないか”そう思いました


――髙橋アナは、明るくコミカルなオーラがあふれていますね(笑)。学生時代はどんな生徒だったのでしょう。

「家族での会話も多く、もともと人前で話すことが好きだったので、中学に入ってからは、生徒会長などを積極的に引き受けるような生徒でした。人前で話す楽しさやコミュニケーションをとる楽しさを徐々に感じるようになり、友だちや先生が『髙橋は話すのが上手いな。将来話すことを生業とする仕事がいいんじゃない?』と言ってくれたのを覚えています。

高校は、そうとは知らずに、甲子園春夏通算21度出場の古豪に入部しましたが、チームで一番野球が下手(笑)。エラーをすると先輩や監督に怒られるんですけど、そんな私が1年生の頃から褒められていたのが“声”でした。『髙橋の声はよく通るし響くな。これはお前の武器だ!』と言ってもらってこともあり、ベンチウォーマーとして人一倍大きな声を出していました。でもその結果、最後は副キャプテンを任せてもらえたんです。

そんな経験から自分の声が武器であることに気づき、サッカーや野球をやって育ったこともあり、“将来はスポーツに携わりたい。スポーツ実況ができたらいいな”という漠然とした思いが芽生えました」

【バトン連載】髙橋大悟アナウンサーが語る“紆余曲折の学生時代”「挑戦を恐れて負け続きの人生になるのが怖かった」▲チームのムードメーカーだった髙橋アナ。ウォーミングアップから全力発声! 声で貢献

――高校時代、すでに「スポーツ実況」への憧れが…。早い時期に夢に巡り合えたんですね。

「そうですね。ただ、高校入学当初は夢などありませんでした。高校1年生6月の三者面談で、担任の先生に『髙橋の夢は何?』と聞かれた時、私は『まだ考えていません』と答えたんですよ。すると先生が突然、『髙橋はアナウンサーに向いている』と。
アナウンサーになるなんてものすごい倍率だし、なれる保証なんてどこにもない。親としては、賢い人しかなれない中でうちの子では厳しいと。なので母は先生に、『この子には無理です!』と言ったんですけど、先生は『勉強は努力次第でどうとでもなるけど、髙橋はそういう努力ではかなわない、得られないものを持っている。人前で話す時も、生き生きと楽しみながら話している、だからこそ流暢に話せる…僕はそういうものを感じたんですよね』と。
私は単純なので、先生にそう言われたら完全にその気になってしまって、“もしかすると、アナウンサーという世界で頑張ってみてもいいのかな?”と、少し意識し始めました。

でもその日の夜、スマホで『アナウンサーになるためには』といろいろ調べてみたら、1000倍以上の倍率とか、基本なれないとか、ネガティブなことばかり書かれていたので、この時は1回諦めてしまったんですよ。“話すことが好きだし、アナウンサーが無理なら教師になろう”と。そこで高校2年生の時、数学教師を目指して理系に進むんですけど、その途端に勉強がしんどくなり、内申点も一気に下がってしまいました。
“教師も無理なんじゃないか…”そう悩んでいた時、先生にオープンキャンパスで生徒代表として話す機会をいただいて、“あーやっぱり、話す仕事がしたい。自分のこの特性を生かしたい”と思いました。そこで高校3年生の時、アナウンサーを目指してまた文系に(笑)」

――紆余曲折があったわけですね。

「はい。もうここからは“話す仕事”と決めていたので、企業の営業かアナウンサーか…とにかく自分の中では話すことを武器にして頑張りたいと思いました。
文系に行ってからは予備校にも通わせてもらって、朝から夜11時くらいまでひたすら勉強しましたが、大学受験はまったく上手くいかなくて、後期まで受験を続けてやっと合格できたという感じです。
高校3年生の1年間は、もう休む間もないくらい精一杯努力しました。自分の中で一番頑張った瞬間だったんです。これ以上ないという努力をしたのに、結果に結びつかなかった。“周りはみんな結果を出しているのに、努力は実を結ぶって何?”と。
合格を努力でつかんだ友達が沢山いる中、自分は通用しなかったんですよね。頑張った世界でかなわなかった…。一時は本当に落ち込んで、外にも出なくなっちゃったんですけど、『アナウンサーなんて絶対になれない』と言われた時に、みんなが成功した大学受験さえ失敗したんだから、初めから無理と言われている世界で失敗しても何も痛くないし怖くないなと思いました。むしろ、このまま挑戦を恐れて負け続きの人生になる方が嫌でした」

――そこで“もう無理だ!”とはならず、逆張りしたと。

「みんなが無理という世界に挑戦して、生まれ変わろうと。“いいことも悪いことも人生一度きりだ!”と思ったんですよね。僕の出身大学からアナウンサーになった人はいませんでしたし、周りからも『無理だ』と言われましたが、そこからはもう否定的な声が聞こえなくなった。言い方が悪いかもしれませんが“見返してやる”という思いは、僕の中でずっとありました。

“絶対にアナウンサーになる!”という確固たる信念のもと、すぐに動き始め、大学進学前にアナウンススクールを調べて、3月のうちに3カ所見学行きました。そこから弾けたというか、何かが変わったように思います。
大学1年生の5月から大阪のアナウンススクールに通い始めましたが、親に迷惑をかけたくなかったので、アルバイトをして月謝は自分で払いました。スクールでは、『君はまだ1年生なのに頑張っているね』『声がしっかり出ているね』と褒められることも多く、うれしかったし、毎日楽しかったです」

――同期の長部稀アナウンサー、中根舞美アナウンサーとは、同じアナウンススクールに通っていたそうですが、大阪から東京のアナウンススクールにどうやって?

「大学3年生になる直前、インターンで出会った先輩に、『キー局を狙うのであれば、周りの熱量が違うから東京のアナウンススクールに行った方がいい』とアドバイスをもらったんです。2人と出会った東京のスクールは土日のレッスンがあったので、毎週金曜、夜行バスに乗って東京に向かい、土曜の夜は一人暮らしの友人の家に泊まる。日曜の夜、大阪に帰り、朝からバイトをしてゼミも出て…という生活を10カ月続けました」

【バトン連載】髙橋大悟アナウンサーが語る“紆余曲折の学生時代”「挑戦を恐れて負け続きの人生になるのが怖かった」▲大阪から東京まで、毎週夜行バスで往復。「アナウンサーになるためがむしゃらでした」

――芸人さんの上京物語を聞いているような…。でもその努力が実って、見事、テレビ東京に内定。知らせを聞いた時は、飛び上がるような気持ちでしたか?

「はい! あの時のことは一生忘れません。長部アナとは、最終面接を受ける日の朝もオンラインでつないで、ギリギリまでお互いの面接をチェックし合いました。『よし、頑張ろうな!』と言って臨んだ最終面接…正直私はあまり手応えがなかったのですが、その後、人事部の方から電話をいただき、思わず『本当ですか?』と何度も聞いてしまって…。『ありがとうございます!』と叫びました(笑)」

【バトン連載】髙橋大悟アナウンサーが語る“紆余曲折の学生時代”「挑戦を恐れて負け続きの人生になるのが怖かった」▲入社が決まり、喜びを分かち合った3人

――そんな感動的なシチュエーションがあり、2023年4月に入社。この4月からは「おはスタ」にも出演し、秋冬以降のデビューを目指して、競馬の実況にもチャレンジしています。

「『おはスタ』は、子どもの頃から見ていた番組なので、話を聞いた時は本当にうれしかったです。競馬は、先輩方に教えていただきながら少しずつという感じですが、競馬の実況ってとにかくカッコいいんですよね。早く実況で独り立ちできるように、今、必死で頑張っています」

――毎日忙しいと思いますが、オフはどう過ごしていますか?

「銭湯に行ってリフレッシュしています。お風呂につかりながら“あの時の競馬実況、ここがダメだったな”とか……あれ? 全然リフレッシュされてないですね?(笑)
あとは、旅行やスノーボードも楽しんでいます。旅行といえば、大学時代、1人でヒッチハイクしたこともありましたし、友人と2人で路上ライブをやっていた時期も。それも今振り返ると、すべては“話すことにつながっているな”と感じます」

【バトン連載】髙橋大悟アナウンサーが語る“紆余曲折の学生時代”「挑戦を恐れて負け続きの人生になるのが怖かった」
――後輩も入り、入社2年目を迎えましたが、最後に今後の目標を教えてください。

「スポーツ実況はもちろんですが、『おはスタ』や『エンタメヒーロー!7ホテ』などのバラエティー番組もとても楽しいですし、ナレーションも好きなので、これからもさまざまなジャンルにチャレンジしたいです。自分自身が大学受験で挫折を経験し、つらい思いをした分、テレビや配信を通じて、視聴者の皆さんにパワーや前向きになるきっかけを届けられるような…そんなアナウンサーを目指します!」

【バトン連載】髙橋大悟アナウンサーが語る“紆余曲折の学生時代”「挑戦を恐れて負け続きの人生になるのが怖かった」
【髙橋大悟アナウンサー プロフィール】
2000年8月25日生まれ。大阪府出身。2023年、テレビ東京に入社。
「おはスタ」(毎週月~金朝7時5分 ※髙橋アナは木曜担当)、「なないろ日和!」(毎週月~金曜朝9時26分 髙橋アナは水~金曜担当)、「エンタメヒーロー!7ホテ」(毎週月~金曜深夜)、「サタデーナイトJ」(毎週土曜夜11時30分)などを担当している。

【髙橋アナから見た長部稀アナ】
「長部稀。常に冷静で真面目で賢い。にじみ出てくる育ちの良さ。私にはないものばかりです(笑)部内ではブラックな部分がなさ過ぎて逆に怪しまれ、腹黒疑惑や偽善者説が浮上するも、いつも「いやいや」って言いながら得意の長部スマイル。ん?やっぱり怪しい。(笑)
スクール時代からニュース読みが抜群に上手く、スキルも高いので、同期ではありますがしっかりリスペクトしています。稀のおかげで自分も頑張っていけるので、今後もたくさん話を聞いてね!」

【髙橋アナから見た中根舞美アナ】
「中根舞美は、親しみやすい性格で、んーなんというか本当に家族のように接してくれるのが凄いと思います。連絡のレスポンスも早く、細かいことでも3人のLINEグループに送ってくる。会わない日でも常に3人で話している感じですね。(笑)面倒くさくなって全然長部は返信しない時がありますが。あれ?マーレ?
入社1年目の10月から『サタデーナイトJ』の単独MCを任されること自体がすごいことですし。今後も、頑張りすぎて体調を崩さないように…。私も『サタJ』を一緒に担当できるのが嬉しく、毎回楽しみにしています!
あと、可愛いと思った犬の動画を長部や私に送ってくるのはやめてください(笑)」

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