震災から13年…福島・浪江町の今とビッグプロジェクトの全貌:ガイアの夜明け

公開: 更新: テレ東プラス

3月8日(金)に放送された「ガイアの夜明け」(毎週金曜夜10時)のテーマは、「ふるさとを諦めない!~震災から13年 復興への道~」。
東日本大震災から13年。福島第一原発にほど近い福島・浪江町は、今も帰還困難区域が町の75%を占める。現在の住民は2000人余り。震災前と比べると10分の1にまで減ってしまった。そんな浪江町に再び人を呼び戻そうと、最先端の巨大工場が稼働した。製造するのは“世界最大級の木造建築物”を支える重要なパーツ。「今だからこそ、世界に福島の力をアピールしたい」。ふるさとを復興させるため立ち上がった、福島の挑戦者たちを追う。

【動画】震災から13年…福島・浪江町の今とビッグプロジェクトの全貌

「福島の杉を世界中の人に!」復興に向けた浪江の新たな挑戦


2月18日、福島・浪江町。津波で大きな被害を受けた請戸地区に、この地にゆかりのある約200人が集まった。津波による請戸地区の死者・行方不明者は154人、家族を失った人も多くいる。

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1300年以上の歴史がある苕野神社も被災。津波で社殿が流されたが、13年ぶりに再建され、この日お披露目された。豊作・豊漁を祈り、毎年冬に開催される安波祭は300年以上続く伝統行事だ。

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懐かしい仲間との再会…踊りに参加した2人は幼なじみだが、それぞれ避難先で進学し、浪江町に戻る予定はないという。子どもが踊りに参加していた家族も、いわき市に家を買ったため戻る予定はないと話す。なぜなのか…

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復興に向けて歩んでいる浪江町だが、西側に広がる赤いエリアが帰還困難区域で、いまだ町の75%に上る。現在浪江町で暮らすのは2162人(1月末時点)で、震災前の10分の1。避難した人たちに浪江町に帰還したいか聞いたところ、戻らないと決めているが50%、まだ判断がつかないが25%を占めていた。
そんな浪江町に戻ってくる人、居住者を増やすために必要なのが、雇用の場の創出だ。

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浪江町の海沿いに国家プロジェクトの一環としてできたのが、棚塩産業団地。そこに、国内最大級・最先端の工場「ウッドコア」が誕生した。
立ち上げたのは、朝田英洋さんと相澤貴宏さん。主に福島県産の木材を扱う。そこにはある狙いがあった。
「福島県産材を広く普及できる活動として、我々の工場が機能していくといい」。
その「ウッドコア」にビッグプロジェクトが舞い込んだ。
来年開催予定の「大阪・関西万博」のシンボル「大屋根リング」に、「ウッドコア」の木材が使われるというのだ。

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「大屋根リング」は1周約2キロで、高さは20メートル。完成すれば、世界最大級の木造建築物となる。相澤さんは、「福島県産を中心とした材料を使いながら、世界最大規模の木のリングを造る…今後、木造建築が普及していく中で、大きな起爆剤になればいい」と話す。

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浪江町から車で約1時間、福島・田村市。この日、相澤さんは、真っすぐに伸びた立派な杉を求めてやって来た。「福島には非常にいい杉がある」。
森林面積が7割を占める福島県では、高度経済成長期に大量に植林された杉が切り時を迎えていた。この大量の杉を有効活用すれば、「大阪・関西万博」で世界に福島の復興をアピールできる。

2月9日。「ウッドコア」にあったのは、福島産の杉の丸太。伐採された丸太は、放射性物質が含まれていないか1本ずつチェックする。サイズを計って機械に入れると、均等サイズの板材に。特殊な接着を塗り、それを貼り合わせると一塊の角材になる。

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これが「ウッドコア」が得意とする「大断面集成材」だ。「集成材は外側が強い材料。中は弱くてもいいという構成になっている。木材資源の有効活用の観点から、余すことなく使う」と相澤さん。

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大断面集成材は、耐熱性・耐久性にも優れ、今や大型木造建築物には欠かせない木材。
「道の駅なみえ」の柱やJR山手線・高輪ゲートウェイ駅にも使われている。
その大断面集成材の生産能力で、日本最大クラスを誇る「ウッドコア」は、当初5人でスタートしたが、地元の人を中心に雇用し、約50人が働く会社に成長した。

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「福島県の木材が万博で使われるのは、大変いいことだと思う。福島県の木材は全て安全なものなので、ぜひ日本全国で使ってもらいたい」と話すのは、浪江の復興に人一倍強い思いを持つ「ウッドコア」取締役の朝田さん。
実は、朝田さんは地元で110年続く老舗製材所・朝田木材の4代目でもある。
震災後は東京で避難生活を送っていたが、「どうしても浪江で働きたい」と家族を東京に残し、単身で故郷に戻ってきた。
現在は海岸防災林の苗木を保護する柵を作るなど復興関係の仕事を担い、地元の雇用創出に尽力してきた朝田さん。一方で多くの人がふるさと浪江に戻ってこないことに複雑な思いを抱いていた。

そんな中、朝田さんたち「ウッドコア」に、新たなチャンスが舞い込む――。

「福島第一原発」は今…現実を伝え続ける東電マン


13年前に未曾有の事故を起こした福島第一原子力発電所。東京電力は、去年、原発の汚染水から大半の放射性物質を取り除いた処理水の海洋放出に踏み切った。

福島第一原発では、史上類を見ない廃炉作業が進み、燃料デブリを取り出す工程に入ろうとしていた。燃料デブリとは、原子炉から溶け出た核燃料などが冷えて固まったもので、極めて高い放射線を放つ。デブリの取り出し作業は最大の難関といわれ、今年度中に着手する計画だったが、3度目の延期が決定した。廃炉に向けた道のりは途方もなく険しい。
そんな福島第一原発の現状を、ありのままに伝えようと奔走する人がいた。

1月上旬。福島第一原発の構内に到着したバスから降りてきたのは、福島県在住の人たち。彼らが案内されたのは見学用デッキ。そこから見えたのは、水素爆発を起こした原発の建屋。その距離約は100メートル。これは、毎月地元住民向けに開かれている視察・座談会だ。

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この見学デッキの被ばく線量は、1時間滞在したとして、「胸のレントゲン1回分」と同じ程度。除染作業が進んだため、普段着のままで問題ないという。

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参加者を案内しているのは東京電力HD福島第一廃炉推進カンパニーの木元崇宏さん。
原発のリスクや廃炉の現状を伝える専門職だ。木元さんは入社以来、新潟・柏崎刈羽原発を皮切りに、一貫して原子力畑を歩んできた。そして2010年に赴任したのが福島第二原発。翌年、木元さんはここで東日本大震災に見舞われる。
実は福島第二原発も津波によって危機に瀕していたが、懸命な復旧作業で大事故を免れた。その時、木元さんは広報班の一員として情報発信の最前線にいた。

「自分たちで想定した地震や津波、自然災害…絶対大丈夫だと思っていた。大丈夫だという建物を造って、何重もの電源のバックアップを作って設計してあるという自負もあったが、結果的には事故を起こしてしまった。自分の中で信じていたものが崩れていった」。

木元さんは震災以降も、広報として原発の現状を伝えてきた。

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一方、廃炉の過程でも人為的なミスが相次いでいた。去年10月、作業中にホースがはずれ、作業員が放射性物質を含む液体を浴びる事故が起きた。今年2月にも、放射性物質を含む水の漏洩が起きていた。木元さんは「残念という気持ちはあるが、現場を進めていく上で、それぞれが一生懸命やっている中で、そういうことも起きてしまう。防げなかったことに対する悔しさはある。私自身どう解釈していいか難しかった」。

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1月下旬、福島第一原発。木元さんがヘルメットとマスクをつけてやって来た。ここは原発構内にある放射線管理区域。そこにいたのはヒラメやアワビだ。原発内に水槽…一体なぜ?