「おっぱいボヨヨン乳首ドッカン」オードリー若林、ドラマでは描けなかった青春

公開: 更新: テレ東プラス

あちこちオードリー」(毎週水曜夜11時6分)7月26日(水)の放送は、下積み時代から苦楽を共にしたオードリーを知り尽くす5人がご来店。TAIGA、土屋伸之(ナイツ)、佐藤満春(どきどきキャンプ)、ハマカーン(浜谷健司、神田伸一郎)が、あのドラマでは描かれなかったオードリーの青春事件を語り尽くす!

オードリー青春事件簿


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兄貴分的存在のTAIGA、同期のナイツ土屋、プライベートでも仲の良いハマカーン、オードリーのラジオの作家もこなす佐藤。若手時代からのオードリーの全てを知る5人の"戦友"集結に、若林は「まさかこのメンバーでテレビの収録をさせてもらえるとは」と感激!

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2000年に「ナイスミドル」としてデビュー、「オードリー」に改名してからも全く売れず、もがき続けた2人。若林も「ドラマ(「だが、情熱はある」)には描かれなかったけど、このメンバーに励まされたっていうのがすごくある」という5人とオードリーの青春。感動秘話もたくさん飛び出した中、ここでは笑える事件簿をピックアップ!

【2002年 春日ケツ蹴られ事件】
下積み時代、ショーパブ「キサラ」の社員だったTAIGAは、アルバイトとして入った春日と出会う。しかし、春日は遅刻が多く仕事もできなかったためクビにされそうになるが、TAIGAは「俺が言い聞かせるんで、もうちょっと待ってください」と支配人に直談判。

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ところが、春日はその日も遅刻。TAIGAは「ナメんじゃねぇ!」と春日の尻に蹴りを入れた。

さすがに反省したかと思いきや…その直後、まかないのカレーを大盛りにして食べていた春日を見たTAIGAは再び尻に蹴りを。春日いわく、正しくは「ケツ2回蹴られ事件」だった。【2007年 おっぱいボヨヨン乳首ドッカン事件】
まだ売れていなかった2007年頃、お金もなくやることがない若林と佐藤は、当時住んでいた久我山近辺をただただ歩いていた。毎日のように歩き続けていたため、話すこともなくなり…すると突然、若林が叫んだ!

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「おっぱいボヨヨン乳首ドッカン」

佐藤も楽しくなってきて、2人で一緒に「おっぱいボヨヨン乳首ドッカン」と言いながら家へ帰ったそう。これがMC.wakaのラップの原点だった…かも!?

実はこの頃、若林は「(芸人)辞めたいなと思ってた時期」だったそう。

【2009年 若林 楽屋でシャドーボクシング事件】

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「M-1グランプリ2008」敗者復活からの準優勝をきっかけにオードリーは大ブレイク。一気に忙しくなり毎日ヘトヘトだったが、若林は「テレビでMCをやっている人たちに腹出てる人いない」と気づき、仕事後にジムに通うことに。若林が努力家であることをよく知る土屋はストイックさに感心していた。

しかし、あらぬ誤解を招くことも。当時、オードリーとナイツは、現役女子大生が集結する「キャンパスナイトフジ」(フジテレビ系)の番組レギュラーだった。若林の思いを知らない番組スタッフは、楽屋でもシャドーボクシングをする姿を見て…

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「こいつ急にモテようとし始めた」
「女子大生いこうとしてるな」
と思われていたそう。

若林本人も「この頃、頭まわってなかった」と、急に売れて病んでいた時期。若林が当時の思いを振り返る中、ハマカーン神田は若林から言われたある言葉を。「俺過呼吸で運ばれちゃうよ~」と若林も赤面する、神田に刺さりまくった若林のお言葉とは!?

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その他、当初は作家や事務所にボロクソに言われていたというオードリーの“ズレ漫才”誕生秘話、オードリーがブレイクした「M-1グランプリ2008」の裏にあった5人それぞれの青春事件、「これじゃオードリーみたいになれない」と漫才のスタイルを変えたハマカーン、恩人マエケン(前田健)との思い出など、アツい感動秘話が続々! 5人だからこそ言える「オードリーに足りないもの」の発表も。「ネットもテレ東」で!