学閥問題で医師が大量退職した病院…新院長の奮闘に密着:ガイアの夜明け

公開: 更新: テレ東プラス

7月7日(金)に放送された「ガイアの夜明け」(毎週金曜夜10時)のテーマは、「病院を再生せよ!~医療崩壊の危機との闘い~」。
あなたが通う病院は大丈夫だろうか? さまざまな課題を抱える医療の現場で、医療崩壊の危機と闘う人々の姿を描く。

医師の大量退職で「病院崩壊」の危機!奔走する新院長の闘い


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滋賀・大津市。市立大津市民病院は、内科や外科など30の診療科に約400のベッドを有する地域の基幹病院。子どもからお年寄りまで市民の9人に1人が通院する、大津市民のための病院だ。

去年2月、この病院を舞台にある騒動が起きた。経営陣によるパワハラ疑惑が原因で、医師が大量退職したのだ。
騒動の発端は、京都大学系の外科医たちが、当時の理事長(京都府立医科大学出身)から一方的に人員の削減や交代を迫られたと告発。32人に及ぶ医師(京都大学系)が、一斉に退職の意向を示す問題に発展した。
第三者調査委員会は、理事長の言動が「京都大学側の不信感を招いた」と指摘。その後、理事長は辞任した。

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医療ジャーナリストの千田敏之さんによると、京都府立医科大学と京都大学は対抗意識が強く、大津市民病院は京都府立医科大学の関連病院のため、その大学の教授が人事に大きな力を持つという。千田さんは、大学医局の教授が絶大な権限を持って医者を差配するのは、日本独特のものであると指摘した。

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3月下旬、静まり返った病院に出勤してきたのは、日野明彦院長(京都府立医科大学出身)。日野さんは、長年学閥とは無縁な立場を貫いてきたが、今回の騒動を受け、去年4月に就任した。
専門は脳神経外科。28年間で1万件以上のオペをこなしてきた臨床一筋のスペシャリストだが、日野さんにとって院長への就任要請は、思いもよらないことだった。

「最初は大津市民病院の脳神経外科の先生が辞めるので、その手伝いだと思っていたが、途中で(上司と)話が合わなくなってきた。『脳神経外科ですか?』と聞いたら『違う違う、院長職』と。『日野ちゃん、トラブル好きやろ』と言われた」。

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「トラブル好きやろ」と言ったのは、日野さんのかつての職場「済生会滋賀県病院」(滋賀・栗東市)の三木恒治院長だ。三木さんは、「トラブルが好きというのは、コロナの騒動があった時、日野先生が自ら手を挙げて『僕がコロナの対策を引き受けます』と言ったから。みんな『俺は嫌だ』と逃げまくっていた。(大津市民病院の院長職は)彼しかいなかった」と話す。

一連の騒動で、5人いた京都大学系の脳神経外科常勤医師が全員退職。現在は日野さんと2人の非常勤医師でやりくりしている状態で、日野さんは身を粉にして、病院の再生に努めてきた。

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2人の非常勤医師はそれぞれ週1日、午前の外来を担当するのみで、あとは日野さんがすべて担当している。オペや外来だけでなく、入院している患者の回診も欠かさない。
院長室に戻れば、本来の業務が待っており、電話も頻繁にかかってくる。とにかく忙しく、大抵は立ったままだ。

そんな合間を縫って、日野さんは母校・京都府立医科大学の医局に、「脳神経外科の常勤医を派遣してほしい」と陳情に向かった。京都大学との関係はもはや修復できず、十分な医療体制が取れない。

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面会したのは、日野さんの7期後輩である脳神経外科教授・橋本直哉さん。しかし、橋本さんが医師の派遣をちゅうちょするのには理由があった。
一つは、京都府立医科大学が勢力拡大のために裏で手を回しているという風聞が気になること。もう一つは、大津市民病院の近くにある大津赤十字病院の存在だ。
あの騒動で、京都大学側は、市民病院から脳神経外科医を引き上げ、大津日赤に集約。
「最初は(患者さんが)全部、隣の病院(大津日赤)に流れてしまうのでは。そうした中で (大津市民病院に)若い人を1人2人 送っても、その人が困る。教育にならない状況は作りたくない」と本音で話す。
そこで日野さんは、この1年間1人で維持してきた脳神経外科の実績を訴えた。「状況はよく理解できた。日野先生がここまで頑張られるとは、正直思っていなかった」と橋本さん。「今年度、前向きに検討する」と、内諾を得ることができた。

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院長になった日野さんの説得を受け、退職を思いとどまった医師たちもいる。騒動で退職の意向を示した医師は32人。日野さんは、そのうち10人の慰留に成功したのだ。
「涙が出るほどうれしかった。患者を目の前にして『なんとか大学』と言っても仕方がないし、どうでもいい。仕事を一生懸命やるだけ。そういう人が集まれば、自然に病院は良くなる」。

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4月3日。新年度を迎え、新たに医師31人を含む63人が着任した。大津市民病院は、昨年度、過去最大となる15億円の赤字だった。重篤な患者に対応する施設として、コロナ関連の補助金を得てきたが、コロナが5類に移行したため、今後はその補助金が見込めない。
今、全国の病院が苦境に立たされているのだ。

さらに大津市民病院は、一連の騒動を受け、患者が激減。病床稼働率79.5%と、前の年度と比べて10ポイント近く落ち込んでいた。
大津市民病院は、地域のかかりつけ医から紹介された患者に、詳しい検査や専門的な医療を行う地域医療支援病院だが、その紹介が特に減っているという。

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そこで日野さんは病院をあげて、ある取り組みを始めた。その名も「EXPRESS外来」。
初診からオペまで、通常数週間から数カ月かかるところを最速でやろうという試みだが、果たして、その全貌は――。

看護師が辞めていく…現場からの改革


全国の病院が看護師不足に悩まされている。その問題を解決するため、「飯塚病院」(福岡・飯塚市)では、「セル看護提供方式」を採用。看護師は病室に常駐し、1人当たり約4人の患者を担当制で看る。

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そばで見守り、患者のちょっとした行動やしぐさを知ることができるため、患者がSOSを発するよりも先に症状などをとらえ、質の高い看護ができる。床ずれや転倒の件数も激減し、ナースコールに追われることがなくなった。
看護師の瓜生矩子さんは、「一瞬の行動や表情の変化など、ナースステーションに居たら絶対にわからないこと。近くにいるからこそできる看護やケアだと考えている」と話す。

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10年前に取り入れた「セル看護」を推進してきたのが、森山由香看護部長。森山さんは、「(以前は)ナースコールが鳴り響いていた。回数もだが、1回鳴ったらずっと鳴り続いていた」と話す。実は森山さん、看護学校で11年教える側にいたが、異動で病棟に戻ると、看護師の過酷な実態に直面したという。当時の看護師たちは「この病院は忙し過ぎて看護がない」と言い、次々と辞めていった。

そんな中、視察に出かけたアメリカ・シアトルの病院で、衝撃的な光景を目にする。スタッフステーションに看護師はおらず、ベッドサイドで患者に寄り添い、生き生きと働いていたのだ。
無駄な動きを減らすため、まずはスタッフステーションとの行き来を減らした。必要なものはカートに入れて持ち歩き、患者の情報を共有するカンファレンスも病室のそばで行う。さらに、スタッフステーションで記入していた事務処理も、勤務時間内に病室で行うことを徹底すると、残業時間が5分の1に減った。

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すると、患者の心に寄り添う看護でやりがいを感じる看護師が増加。全国では10%を続ける離職率も、セル看護の導入後は下がり続け、いまや4.6%に。新型コロナ感染症の患者も、当初からセル看護で看ている。看護師長の長田孝幸さんは、「(患者さんは)隔離された中で、不安と闘っている。近くに看護師がいるだけでも、安心のサポートになる」と話す。

一方、「海老名総合病院(神奈川・海老名市)では、看護師の働く環境を改善するため、建物自体を変えていた。現地を案内人の松下奈緒が訪れるが、一体どんな秘密があるのか――。

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