「松田聖子と出会わなければ…」70歳女装愛好家、波乱の人生と気になる現在地

公開: 更新: テレ東プラス

女装愛好家の裏で…羽田空港で25年続けた意外な仕事


――キャンディさんは、羽田空港で25年にわたって清掃のお仕事をしていたと伺いました。

「知り合いから、『飛行機好きだよな? 週1回土曜日の夜だけ羽田空港で働いてくれないか』と言われたんですよ。そのうち、月曜も水曜も夜来てほしいと言われるようになり、版下の仕事が終わった後、夜11時まで働いていました。時給が良かったので、あっという間にアルバイトの方がお金が入るようになり、版下業をたたんでしまったんです」

――羽田空港ではどんな仕事を?

「最初は機内の清掃をしていましたが、『こっちの方が給料がいいよ!』と言われて始めたのが、飛行機の汚水処理作業。飛行機のトイレって、全部タンクの中に溜まるでしょ。1日2~4tの汚水タンクを抜き取る作業をしていました。
失敗すると、勢いよく汚水をかぶってしまうこともあって、何回か浴びたこともありましたが、25年続けて、我ながら神業の域まで達しました(笑)。
それだけ続けられたということは、きっと向いてたんだと思うけど、ある日、仕事終わりに寝て起きたら、右手が痛くて痺れがとれなくて…。“なんだろうなぁ”と思いながら病院で検査してもらったら、先生が驚いて『今すぐ大きい病院へ!』と。何かと思ったら脳梗塞でした。
何とか手術を免れることができ、薬で治ったんだけど、やっぱり無理は禁物ってことで、羽田の仕事は辞めて今度はシルバー人材センターへ。食べていかなきゃならないので、今も週に4日、清掃の仕事をしています」――お若く見えますが、御年70歳。体に気をつけて生活していますか?

「脳梗塞は2回目がヤバいっていうので、気をつけていますね。元々痛風があるから気をつけてはいたんだけど、3人の息子も心配してくれています。
それが理由ってわけでもないんだけど、こんな親父なのに、なぜか子どもたちも奥さんも、みんな近くに住んでくれてね。“親がどんなに放っておいても、子どもは勝手に育つものなんだな”と感じますね。奥さんも、昔はあんなに嫌がっていたのに、最近は、飲むと『うちの人が女装愛好家でね…』なんて話をしてるっていうから、笑っちゃうよね」

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後編では、最近発覚した難病について、話題のLGBT法案などについても話を聞く。

【キャンディ・H・ミルキィ プロフィール】
1952年、東京都生まれ。印刷の版下の仕事を行いながら女装愛好家としての活動をスタート。毎週日曜日に原宿の歩行者天国へ通い、マスコミに取り上げられた。
公式YouTube「キャンディびんぼう」

(取材・文/谷亜ヒロコ)

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