大衆食堂を愛するメキシコ人夫婦のいま…師匠と5年ぶり、感動の再会!:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(月曜夜8時)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い思いを紹介し、感動を巻き起こしています。

今回は、カナダ男性とアメリカ男性が初来日した様子、さらに「あの人にもう一度会いたい! ナイショで出張応援団inメキシコ」をお送りします。

宮大工の真骨頂“継手”の技術を学ぶ


紹介するのは、カナダに住む、「宮大工」をこよなく愛するジェイソンさん。

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神社仏閣の建築をはじめ、国宝や重要文化財に指定されている古い建物の修復などを専門に行う「宮大工」。釘を使わずに組み立てる「木組み」という伝統技法を駆使する大工です。木組みによって建てられた神社仏閣は数百年単位の耐久性があり、その高度な技術はユネスコ無形文化遺産にも登録されています。

カナダで30年、一般住宅の大工として働いているジェイソンさん。3年前、ニッポンの宮大工の動画を観て感動。本を読み漁り、その技術を実践するため、2年前にお寺の屋根を作り始めました。

ニッポンの神社仏閣の美しさは、大きくせり出した屋根ときれいな反り。屋根がせり出しているのは雨から本堂を守るためで、「枓栱(ときょう)」という部位で支えています。釘などで固定せず、木のパーツを組んでいくので、制振装置の役割も。

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最大の特徴は、軒反り(のきぞり)と呼ばれる、ニッポン独自の屋根の曲線。しかし、ジェイソンさんの屋根は、せり出しもわずかで直線。独学では作り方もわからず、限界を感じていました。

ニッポンの鉋(かんな)はインターネットで購入していますが、高価な丸鉋は買えず、円柱を作るのに平たい鉋で何度も角を削り、円に近づけています。1本の円柱を作るのに、丸2日かかることも。さらに、2つの木材を組み合わせる木組みも隙間ができてしまい、完璧にはできません。

ニッポンにはまだ一度も行ったことがないジェイソンさんが、ここまで宮大工に憧れるようになったのには理由がありました。いつもジェイソンさんの仕事を褒め、認めてくれていた父が2018年に他界。それからは人生のどん底で、「今まで自分は何をしていたんだろう」と落ち込んだそう。

「だから僕は決めたんです。何年かかっても、宮大工として完璧な仕事をこなせるようになって、父の期待に応えようと思います」。ニッポンへ行き、宮大工について学びたいと意気込みます。

そんなジェイソンさんをニッポンにご招待! 初来日を果たしました。

向かったのは、千葉県の鋸南町にある鋸山日本寺。地震や台風で倒壊することなく、1000年以上建ち続ける仏塔の秘密を知るためにやってきました。今回は「鵤工舎」の石田秀明さんに、建設中の三重塔の現場を特別に案内していただきます。

現在は2階の屋根を建設中。中心にあるのは、ビル8階分の高さに相当する24メートルの心柱です。一見、塔の中心で建物を支えているように見えますが、つながっているのは屋根の頂上にある相輪という部分のみ。この周囲から独立した状態の心柱に、倒壊しない秘密がありました。

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石田さんによると、建物と心柱が別々で動くことによって制振するそう。実は地震などで建物が揺れる際、タイミングがずれて揺れるものがあると、揺れを打ち消し合う性質が。
ニッポンの仏塔は1000年以上前から、この心柱によって守られてきたのです。

「鵤工舎」の石田さん、本当にありがとうございました!

続いて向かったのは、新潟県長岡市与板町。江戸中期に刀鍛冶が作っていた大工道具が評判を呼び、現在は「越後与板打刃物」として伝統的工芸品の指定を受けています。
今回は、大工道具専門の職人として60年、鍛冶職人の船津祐司さんに、鉋がどのように作られるのか、その工程を見せていただきます。

まずは、炉で鉄を1100度まで熱してハンマーで鍛えます。熱した鉄に鉄粉とホウ酸をまぶし、鋼を接着。2つの違う金属を組み合わせるのはニッポン独自の文化です。世界中で使われている鉋の刃は硬い鋼のみですが、ニッポンは刃先に鋼、地金には柔らかい鉄を使用。すると、鋼の硬さと鉄のしなやかさを持つ鉋が出来上がります。

船津さんが地金に使う鉄は、明治時代の陸橋の一部や、江戸時代に使われていた梯子や錨。当時の鉄は精製技術が高くなかったため、粒子が粗く軟らかいそう。地金が軟らかいと刃を研ぐ際にしなり、鋼が砥石に密着してより鋭利に研げるのです。

続いては、接着した金属をハンマーで打ち鍛える鍛錬。最初は不規則な鋼の構造が、熱を入れて叩くことで均一になり、強度が増すのだとか。

鍛錬が終わると、鋼をもう一度熱し、急激に冷やして硬くする焼き入れの工程。鉋の切れ味を決める大事な作業です。熱せられて炭素を吸着した鋼は、水につけて一気に冷やすと炭素が固定され、硬くなるのです。

焼き入れに最適な温度は780〜800度。この温度を超えると鋼の組織はもろくなり、低いと硬さの足りない刃に。鋼は800度付近に達すると炭の粉が舞い花火のようになるため、船津さんは部屋を暗闇にして、この現象で温度を見極めています。

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一連の作業を見せていただいたジェイソンさん。船津さん、本当にありがとうございました!

次に向かったのは、東京都八王子市。この道56年の宮大工、吉川輔良さんが棟梁を務める「吉匠建築工藝」にお世話になります。

まずは、神奈川県相模原市にある宝泉寺の本堂へ。こちらは吉川さんがデザインも手がけ、宮大工としての技術を全て込めたお寺です。

宮大工が神社仏閣を作る際に最もこだわるポイントは、軒反りと呼ばれる屋根の端にある曲線。人間の目は大きなものを見る際に直線が湾曲して見える性質があり、屋根が重く不安定に見えてしまうため、先人達は軒反りを作ることでその問題を解消してきました。
やがて、軽やかさと優美さを演出する要素として、宮大工それぞれが独自の曲線を作るように。

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軒反りの秘密は本堂の柱にも。一見すると同じ長さの柱ですが、隅に行くほど微妙に長くなっています。これは隅伸(すみのび)と呼ばれる技法で、建物全体を両端に向かって高くすることで、曲線美を演出しているのです。

心ゆくまで宝泉寺を堪能したジェイソンさん。翌日は、いよいよ念願だった宮大工の仕事を見せていただくことに。

この日行うのは、寺院の建築様式を取り入れた住宅の、茅負(かやおい)と呼ばれる建材の製作。軒の一番下で屋根を支えるため、軒反りの曲線が全てここで決まってしまう、重要な建材です。

茅負は最終的に全長15メートルにもなるため、3つのパーツをつなげて完成させます。
今回は、屋根の左端にあたる部分。木材を大まかに切る「粗引き」を、なんとジェイソンさんに任せてくださいました。

樹齢100年超、10万円を超える貴重な杉の木材に緊張しながら粗引きを終えると、続いては加工の目安となる印を書く「墨付け」。全てこの墨を基準にするため、必ず棟梁が1人で行います。

次は、墨をもとに手作業で形を作っていく「手刻み」。まっすぐな柱であれば、不要な部分をのこぎりで落とし、表面を鉋で仕上げます。しかし、曲面の場合はのこぎりが使えないため、木材の側面の位置まで角を落とし、残った不要な部分を削り取り、表面を曲面用の鉋で仕上げるという手順です。

1つの神社仏閣を建築する際、宮大工が使う道具の数は100を超えるそう。曲線の外側を削る時は外丸鉋、内側には内丸鉋といったように、「適した道具を適した場所で使い分ける能力が、宮大工のすごいところだと思います」とジェイソンさん。

角を削り終えたら、釿(ちょうな)と呼ばれる斧を使い、先ほど削った角のラインに合わせて木を削ります。釿に憧れていたというジェイソンさんも挑戦しますが、少しでも深く削ると台無しになってしまうため、思い切って削れません。

そこで、次男の然無さんとリズムを合わせて削ると、うまく削れるように! 釿は700年前にも使われており、互いに拍子をとることで仕事を捗らせたそう。

その後、電気鉋で表面をならしたら、手鉋で最後の仕上げ。茅負の上には屋根がのり、下には重みを支える垂木という建材が。全ての面が直角で平らになっていなければ、屋根のバランスは崩れてしまいます。少しでも削りすぎてしまえば、あと戻りはできません。

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何度も定規を当てて直角を確かめながら、吉川さんが入れた墨に沿って慎重に削り続けること2時間。吉川さんからOKをいただきました。こうして、作業を始めてから6時間、ついに茅負が完成!

「棟梁が僕を信じて最後までやらせてくれて、本当に感謝するとともに、今やっと安心しました」とジェイソンさん。その後は吉川さんの自宅に招かれ、肉じゃがやおにぎりなど、たくさんの家庭料理でおもてなしをしていただきました。

翌日。昨日制作した茅負は、全体の3分の1。これを延長するために行われるのが、継手と呼ばれる木組みです。継手の数は100種類以上あるといわれ、中には不可能継手とも呼ばれる、難易度の高い継手も。江戸時代に考案されたもので、自分の腕前を誇示するために、わざと難解に見えるようにしたそう。

今回使うのは、横方向に太い木材を強固につなげることができる「のげ継」。まず、ノコギリで大まかに不要な部分をカットし、棟梁がつけた基準となる墨に沿って、ノミで削っていきます。削りすぎれば密着せず、そこから継手が折れる原因に。ノミの方向を少し間違えるだけで、茅負は一からやり直しです。

棟梁がつけた墨の線は、出来上がりを左右する最も大事なもの。1ミリに満たない墨の線のどこを削るかは、棟梁と仕事をしているとわかるそうで、それを「墨心」と呼ぶそう。

欅のように硬い木は、ぴったりハマるように墨の上を。杉のように柔らかい木は、余裕を持って墨の外側というように、削る部分は木の材質によって変わります。墨心を知ることで、宮大工は木の性質を知り、成長していくのです。

作業すること4時間、一旦仮組みをして仕上がり具合を確認。すると、「ついちゃった、一回で」と吉川さんから驚きの声が。本来はここから手直ししますが、その必要もないほど正確な仕上がりになっていたのです。
「僕がカナダで作っていた継手には、何度やっても隙間ができていました。それは、僕が職人としてのこだわりに欠けていたのだと思い知らされました」。

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別れの時。ジェイソンさんはお世話になった感謝を伝え、皆さんにカナダ土産のメープルシロップとチョコレートを渡しました。すると、吉川さんから宝泉寺の建築に使用した図面のプレゼントが。宮大工の命ともいえる図面に、ジェイソンさんは感激! さらに、最も難易度が高いといわれる不可能継手の見本までいただきました。

「皆さんの仕事から、写真や本では決して得られない本物の何かを得ることができました、ありがとうございます」。これからも日本の伝統建築技術を学んで活かしてもらいたいと話す吉川さんと、握手を交わします。

「吉匠建築工藝」の皆さん、本当にありがとうございました!

宮大工を通じて、たくさんの出会いがあったニッポン滞在。帰国を前にジェイソンさんは「ニッポンは本当に素晴らしい国です。出会った皆さんは僕を無条件に受け入れ教えてくれました。それが本当にありがたくて嬉しかった。この経験は僕の人生を変えてくれます」と締めくくりました。

ジェイソンさん、またの来日をお待ちしています!

大衆食堂を愛するメキシコのカップルのもとに、ニッポンの師匠が訪問


続いて紹介するのは、メキシコに住む、「大衆食堂」を愛してやまないペドロさんとアイメさん。

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メキシコのメリダで「たま食堂」を営むペドロさんとアイメさんは、5年前に初来日。岐阜県で四代続く大衆食堂「三勝屋」でお店の切り盛りを学び、豚肉に衣をつけて揚げた名物料理「パーコー」の門外不出のレシピを教えていただきました。

帰国後は売り上げが3倍になり、結婚も果たした2人。しかし、コロナ禍で店の経営が悪化し、貯金を切り崩しながらお店を続けていました。現在2人は、「たま食堂」はどうなっているのでしょうか。今年2月、「三勝屋」のご主人・林邦彦さんと妻の久美子さんが、2人に会うため、内緒でメキシコを訪れました。

「たま食堂」は、以前の場所から移転していましたが、無事に新店舗に到着。5年ぶりに再会したペドロさんとアイメさんは大感激! 邦彦さんも「感無量です」と涙を浮かべます。お店は去年4月に移転したそうで、以前の店舗に比べて広さは3倍に。経営が苦しかった時期から売り上げは4倍に増えたそう。

ここでお昼をいただくことに。注文したのは、パーコー定食ととんこつラーメン。パーコーは、メリダ特産の豚肉を三勝屋直伝のパリパリの衣で包んだ逸品です。

「パーコーを作る時は、いつも邦彦さんの顔を思い浮かべます」とペドロさん。「三勝屋」よりも美味しいくらいと褒められると、「これからは自信を持って提供できます」。

お店は順調ですが、コロナ禍の3年を2人はどう乗り越えたのでしょうか。
実はコロナの時期、役所から座席の間隔を空けるように言われたものの、以前のお店ではソーシャルディスタンスが確保できず、営業が困難に。そこで、車が停められる郊外の店を探して移転したところ、家族連れや団体客が増えて売り上げがアップしたそう。

パーコーのレシピが書かれた手帳を、今も大切にしているアイメさん。それを知った邦彦さんは「嬉しいですね」と笑みを浮かべます。「三勝屋」の皆さんからのビデオレターを見せていただいたペドロさんは、「三勝屋さんに行って、あの雰囲気を肌で感じたいです」と懐かしみました。

翌日、「たま食堂」を訪れた邦彦さんと久美子さんは、店の経営をさらに安定させたいと、冷やし中華を教えることに。メリダは1年を通じて蒸し暑いのですが、「たま食堂」には温かいメニューばかり。そこで邦彦さんは、冷やし中華をメニューに加えてはどうかと提案したのです。

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早速、キッチンで試作。以前はIHヒーターで調理していましたが、現在は6口のガスコンロに。現地で手に入る材料を使い、メキシコ風冷やし中華を目指します。
「師匠の前だと緊張しますね」とペドロさん。来日した当時はおぼつかない手つきでしたが、見事な包丁さばきを見せ、邦彦さんから「進歩しましたね」とお褒めの言葉をいただきました。

冷やし中華のタレは、ベースを邦彦さんが作り、ペドロさんが辛さを調節。こうして、メキシコ人の口にあうピリ辛冷やし中華が完成。邦彦さんの「新しいたま食堂の名物になりますかね?」との言葉に、ペドロさんは「もちろんです!」と力強く答えました。

翌日、邦彦さんと久美子さんは夫婦水入らずでメキシコ観光。昼食は3日連続「たま食堂」でいただきます。するとお客さんが続々と来店し、満席に。ところがこの日は、従業員2人が急病でお休み。人手が足りず、お店が回らない状態だったのです。

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この状況を見た邦彦さんと久美子さんは、急遽助っ人に! その後も客足は途絶えず、お店は大繁盛なのですが、忙しすぎてペドロさんとアイメさんに笑顔がありません。

閉店後、ペドロさんは「忙しくなると僕たちがイライラして店の雰囲気を悪くしてしまいます」と相談。邦彦さんは、「仕事を楽しめばいいんですよ、忙しい時こそ。少しずつ心がけたらできると思います」とアドバイスしました。

翌日、お店は定休日。ペドロさんとアイメさんは、邦彦さんと久美子さんにお礼がしたいとある場所へ。忙しく、結婚式も挙げていない2人のために、結婚式を用意したのです。改めて末長い幸せを誓い、楽しいひとときを過ごした邦彦さんと久美子さんでした。

別れの時。邦彦さんは2人に、「コロナ禍も乗り越えて立派になって、安心して日本に帰れます」と伝えます。

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「2人が笑顔で働いている姿を見て、自分たちもこうなりたいと思いました。理想のご夫婦です!」とペドロさん。最後は皆で熱いハグを交わしました。

帰国を前に、邦彦さんと久美子さんは「立派に一生懸命やっていて、本当に感動したし嬉しかったです」「お店も手伝うことができて本当に良かったです」。

実はこの旅の間に、5年前の来日でお世話になった他の大衆食堂の皆さんからもビデオレターが。茨城の「いずみ食堂」の皆さんとは、中継でビデオ通話も。すると、「食堂をやめてしまったんです」と驚きの発言が!

「いずみ食堂」に一体何が!? この模様は近日公開します!

海産物の宝庫・北海道で“蝦夷前寿司”を体験


続いて紹介するのは、アメリカに住む、「握り寿司」をこよなく愛するエリックさん(※前編の記事はこちら)。

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今回初めて来日し、江戸前寿司を学んだエリックさんが次に向かったのは、北海道。蝦夷前寿司とも呼ばれる、独自の寿司文化を体験するためにやってきました。

冷蔵庫がない時代、鮮度と味を引き出すひと手間から生まれた江戸前寿司に対して、活きの良いネタが豊富に揃う北海道で発展したのが「生寿司」。北海道の古い呼び方「蝦夷」と、江戸前の語呂に引っ掛けて「蝦夷前寿司」とも呼ばれています。

エリックさんは、北海道の新鮮な魚を自分の目で見て学びたいと、札幌市中央卸売市場へ。場外市場を訪れ、さらに目利きのプロが集まる競りを見学します。新鮮な魚を仕入れるため、大きな声を出して競い合う姿に感動!

続いて向かったのは、仕入れに特別なこだわりを持つ、札幌の「鮨 無双」。店主の小林大さんはとれたてにこだわり、漁師さんから直接仕入れる独自のルートを開拓。自分の足で道内各地へ出向いています。

「インターネットで小林さんの仕入れに対する情熱を知って、感動しました」とエリックさん。小林さんは、本当に美味しいものをお客さんに出したいという気持ちから、漁師さんのもとに直接足を運んで仕入れているそう。

素材にかける情熱を知ってほしいと、小林さんはエリックさんを連れて札幌から一路東へ。雪道を進むこと7時間、札幌から約400キロ離れた浜中町・散布漁港にやってきました。

待っていたのは、小林さんが惚れ込んだ漁師さん。ところがこの日、北海道には大寒波が! それでも目当ての食材を手に入れるため、船を出してもらいます。港で待つのではなく、船で水揚げに立ち会うのも小林さんのこだわり。

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カゴを引き揚げると、たくさんのエゾバフンウニが。味見させていただいたエリックさんは「とても美味しいです」と感動! 浜中町の沿岸では、湿原から流れ込むミネラルによって良質な昆布がとれるそう。それをエサに育つウニは身が詰まり、味も格別なのです。

港に戻り、すぐに梱包すると、9時間近くかけて札幌のお店へ。北海道各地のその日一番のネタが揃ったところで、いよいよ念願の蝦夷前寿司をいただきます。

まずは、羅臼のキンキ。肝も食べられるのは、一本釣りで鮮度の良い証拠。続いて、対岸の青森県・大間と同じ漁場でとれた本マグロ。脂が多く傷みやすいトロも、蝦夷前では生が基本です。

噴火湾のボタンエビは、甲羅の中の内子と呼ばれる卵を絡めて。エリックさんと一緒に仕入れたエゾバフンウニは、身を酢飯と混ぜて殻に戻し、さらに丸々1個分の身をのせて提供します。

他にも北海道各地のネタを堪能し、蝦夷前寿司の魅力を知ったエリックさん。ここで、ネタの鮮度を最大限に保つ握り方を、特別に見せていただくことに。

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小林さん流の蝦夷前の握りは、口の中でほどけやすいよう、シャリが小さめ。上から押す指は1本で、ネタを温めないよう1貫2〜3秒で握ります。手数をかけずに握ることで、ネタの鮮度を最大限に活かしているのです。

「扇型になっているでしょ? これが一番寿司の形でかっこいいといわれている形」と小林さん。東京の「都寿司」でも、寿司の形は扇型と教えていただきました。
「学ぶべきことだらけです」と話すエリックさんに、小林さんは「これからこれから」と励ましてくださいました。

別れの時。感謝の気持ちを込めて得意の似顔絵をプレゼントすると、小林さんからも、無双の屋号が入った調理白衣のお土産が。「すごく嬉しい」と大感激のエリックさん。「また来ます」と手を振り、お店を後にしました。

「鮨 無双」の小林さん、本当にありがとうございました!

握り寿司を通じて、さまざまな出会いがあったニッポン滞在。帰国を前にエリックさんは、「江戸前と蝦夷前、スタイルが違う2つの寿司の職人さんから、基本となるたくさんのことを学びました。練習した技術をアメリカに持ち帰り、ニューヨークで一番美味しい店を出したいです」と今後の意気込みを語りました。

エリックさん、またの来日お待ちしています!

月曜夜8時からは、月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」を放送!

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