歌舞伎町に<巨大進化系横丁>がオープン!裏側に独占密着:ガイアの夜明け

公開: 更新: テレ東プラス

4月21日(金)に放送された「ガイアの夜明け」(毎週金曜夜10時)のテーマは「“昭和の横丁”大作戦!」。昔から街の活気や人々の触れ合いを生み出してきた「横丁」。そこを起点に、新たな流れを生み出す人々の挑戦を追う。

“かつてない横丁”で歌舞伎町に新たな客を呼ぶ!


1月中旬。新宿・歌舞伎町。東急グループが開発する「東急歌舞伎町タワー」のオープンが3カ月後に迫っていた。その特徴は、ホテル、劇場、映画館、ライブハウスなどが入る“一棟丸ごとエンターテインメント”。タワーの2階には、「横丁」をイメージした飲食街がつくられた。

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このフロアを丸ごと任されたのが、「浜倉的商店製作所」浜倉好宣社長(55)だ。
この日、浜倉さんは、お客さんから電子レンジが見えないようにミラーのフィルムを貼るよう指示。横丁の世界に浸ってもらうためには、このように細やかな心遣いが大事だという。

「歌舞伎町って集まる場所がないんですよね。何か作ると、人の流れが変わると思う」。

浜倉さんは、これまで歌舞伎町に縁がなかった人まで呼び込もうと考えていた。

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居酒屋業界の風雲児と呼ばれる浜倉さん。「ガイア」が取材した13年前、当時、手掛け始めていた古き良き横丁スタイルの飲食店街が、あちこちで話題になっていた。
浜倉さんが最初に作ったのは「恵比寿横丁」で、約50メートルの路地に19軒の店が軒を連ねる。その後、渋谷、新宿、上野などにも展開し、横丁の数は10以上に。香港の路地に迷い込んだような横丁もある。

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現代美術の巨匠・村上隆さんも浜倉ファンの一人で、「魯山人も『器がお料理の半分』と言っているが、空間もお料理の半分だと思う。浜倉さんの空間で食べるものは、全部おいしい。(浜倉社長は)希有なクリエイター、天才だと思う」と話す。

2008年創業「浜倉的商店製作所」(東京・有楽町)の社員は210人。
日本居酒屋協会の名誉会長を務める浜倉さんは、横須賀生まれの京都育ちで、父親は不動産業を営んでいたが、中学2年の時に倒産した。その後は「餃子の王将」でアルバイトを始め、高校卒業後、本格的に飲食業界へ。高級レストランなどの店舗開発に携わり、41歳で独立した。

“横丁スタイル”を始めた理由を聞くと、「きれいなお店ばかり作っていたが、ちょっと飽きてきた時にコミュニティーのある場所(横丁)に行っていた。そこの方が落ち着いた。どんどん新しいものができてきたので、横丁の文化は残さないといけない。自分がやった方がいいなと思った」と話す。

「東急歌舞伎町タワー」オープン10日前。横丁のスタッフが集まり、本格的な接客トレーニングが始まった。指導するのは、山田安孝さん(55)。高級レストランを経営する会社で支配人などを歴任し、執行役員として接客教育も担当していた。浜倉さんは接客を見直すために山田さんをスカウト。歌舞伎町の新店舗に、支配人兼サービス インストラクションディレクターとして、高級レストランの接客ノウハウを注入してもらいたいと考えたのだ。

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揃いのユニフォームを作り、山田さん指導の下、スタッフが交代でお客さん役になって練習する。目指すのは、横丁ならではのフレンドリーでざっくばらん、かつ細やかな気配りのある接客サービスだが、果たして本番はどうなるのか。

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新宿駅のすぐ近くにある「龍乃都飲食街」。新メニューの試食会はオフィスではなく、お客さんと同じ場所で食べて評価するのが浜倉流だ。
今回浜倉さんから、ヘルシーな子羊=ラムの肉を使ったお酒がすすむメニュー開発を命じられたのが、料理長兼業態開発ディレクターの伊藤綾一さん(43)。横丁のオープンに合わせて開発する新メニューは20品で、浜倉さんからの厳しいダメ出し、試行錯誤を重ねた結果、珠玉の新メニューが生まれていた。

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接客サービスや料理の準備が着々と進む中、店舗の内装も仕上がってきた。「東急歌舞伎町タワー」2階フロアは、約1000平米でテニスコート5面分の広さ。そこに、日本各地の名物を提供する10軒の飲食店を配置した。

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いよいよ迎えた4月14日。「新宿カブキhall~歌舞伎横丁」オープンの日に、「ガイア」のカメラが密着した。

「渋谷のんべい横丁」存続の危機…どう乗り切る?


昔ながらの「渋谷のんべい横丁」は、まるで映画のセットのよう。昭和で時間が止まっている。味のある看板に魅かれて一軒の店をのぞいてみると、店主と就職活動中の学生が、こんな会話を交わしていた。

「(就活の)進捗はどう?」
「ダメです」
「いいんだよ、ダメで。あんまり簡単にあっさりいくと、世の中なめちゃうから、ほどほどダメがいい。尻に火がついた頃に見つかるから」

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実はこのお客さんたち、多くが初対面だという。フランス人の留学生も「ホントに最高です。こういう雰囲気に昔から憧れていた」と笑顔で話す。

しかし、古き良き風情が残る「渋谷のんべい横丁」があるのは渋谷駅前の1等地で、いつ再開発が始まってもおかしくない。存続の危機と背中合わせなのだ。さらに、店主の多くが高齢化し、店も老朽化していた。

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「会津」の店主・御厨浩一郎さんの本業は、空間プロデューサー。万博など、大きなイベントで流れる映像やパフォーマンスの演出を手掛けているが、名物女将が引退する時、常連だった御厨さんが、この店を引き継いだ。「自分が長く行っていた店だったので、そのままの姿でいてほしいと思った。横丁全体がなくなったらもったいないなという気持ちだった」と話す。

東京・吉祥寺。駅前にある「ハーモニカ横丁」には約100の店が軒を連ね、活気にあふれている。生き残りのヒントを求めてリサーチしに訪れた御厨さんは、この横丁で12軒の店を経営している「ビデオインフォメーションセンター」代表・手塚一郎さんと会うことに。
手塚さんは、オシャレな店を立て続けにオープン。これが若者を呼ぶきっかけのひとつとなり、街の活性化につながった。

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こちらの「ヤキトリてっちゃん」を手がけたのは、国立競技場をつくった建築家・隈研吾さん。昔ながらの店とモダンな店の共存、その姿は横丁存続のひとつの形だった。

この日、御厨さんがやって来たのは、東京・港区神谷町にあるカナダ・ケベック州の出先機関。ケベック州は、古い街並みをそのまま残した街作りに成功、新たなエンターテインメントを組み合わせ、多くの人を呼び込んでいる。

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「渋谷をもっと面白い街にしたくて、渋谷区とも話している。建ててはつぶすということは破壊。破壊がない街づくりをしたいといつも話している」。

本業で、何度かケベック州を訪れたことがある御厨さんは、横丁を生かした街づくりのヒントにしたいと考えていた。昔ながらの「渋谷のんべい横丁」が、姿を変えずに生き残る秘策はどこにあるのか――。

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