アメリカ男性が、江戸前寿司の仕込みと握りに挑戦!職人さんとの絆に感動の涙:世界!ニッポン行きたい人応援団

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続いて紹介するのは、ハンガリーに住む「日本刀」を愛してやまないアンドラーシュさん。

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古墳時代から、武器として使われてきた刀。その後、製鉄技術の発達と共に独自の進化を遂げ、平安時代には美しい反りと世界一ともいわれる切れ味を持った日本刀が誕生。
美術品としても高く評価され、上杉謙信の愛刀として伝わる「山鳥毛」には5億円の値がついています。

アンドラーシュさんが、日本刀と出会ったのは少年時代で、新聞に載っていた写真を見て、美しさの虜になったそう。日本刀を一から自分で製造しています。

高校卒業後、一度はタイル職人として働いたものの、日本刀への情熱を抑えきれず、35歳の時に仕事を辞めて独学で日本刀作りに挑戦。ニッポンへはまだ一度も行ったことがなく、本物の日本刀を見たこともありませんでしたが、本を参考に試行錯誤してきました。

ここで、日本刀作りを見せてもらうことに。作業は自宅の裏手にある工房で行っており、鋼を熱する炉や、風を送る吹子(ふいご)も全て手作りです。

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刀の原料となるのは、木炭を熱した炉に砂鉄を入れて作った玉鋼。この玉鋼を、約1000度に熱し、弟子と2人がかりで、ハンマーで叩いて延ばします。
延ばしては折り返す「鍛錬」を繰り返すと、最終的に1万4000ほどの層ができ、強靭な日本刀の土台になるそう。

ニッポンでは刀作りはほとんどが分業制ですが、アンドラーシュさんは全ての工程を自身で行っており、一振り仕上げるのに約5カ月。刀身には、見よう見まねで名前の刻印もしています。オーダーメイドで一振り40万円からですが、3年先まで予約でいっぱいだとか。

しかし、まだまだ課題も。「本物の日本刀に近づけようと努力はしていますが、独学では限界があります。もしニッポンで本物の職人さんとお会いできたら、玉鋼を加熱するコツや層の作り方、ニッポンで受け継がれてきた細やかな技術について聞いてみたいです」と話します。

そんなアンドラーシュさんを、ニッポンにご招待! 念願の初来日を果たしました。

向かったのは、東京・葛飾区。刀鍛冶の吉原義人さんにお世話になります。吉原さんはこの道58年。39歳の若さで刀鍛冶の最高位「無鑑査刀匠」となり、伊勢神宮の御神刀製作を3度も任された、日本刀界の生ける伝説です。アンドラーシュさんは、「吉原義人先生に一度でいいから会いたいです」と話していました。

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憧れの吉原さんと対面し、「本当に信じられません。ニッポンに来て、私の夢が叶いました」と感激! すると吉原さんが、最高の刀に与えられる高松宮賞に輝いた名刀を見せてくださいました。「初めて本物を見ました、感動です」。

ここで、ハンガリーから持ってきた玉鋼を見ていただきます。日本刀の材料となる玉鋼は、ニッポンでは専門の職人さんが作るもの。アンドラーシュさんが自作した玉鋼を見た吉原さんは、「よくできている」と感心。この玉鋼を使って、刀作りを教えていただくことに!

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日本刀作りの工程は、大きく分けて8つ。まずは、玉鋼を熱して叩き、余分な炭素が入った部分を削ぎ落とす「水へし」から。赤くなるまで熱した玉鋼を、ハンマーで打ち延ばしていきます。
アンドラーシュさんが普段使っているものより3倍重いハンマーで、力一杯叩き続けること2時間。余計な部分が削れ、純度の高い鉄の塊に。

続いて、玉鋼の強度を高める「鍛錬」。叩いて伸ばした玉鋼を折り、この作業を繰り返します。ここで大切なのが、お湯が煮え立つような音。「鉄が沸いてから叩かないと、鍛錬の効果が何もない」と吉原さん。アンドラーシュさんは、これまで鉄が沸いた音を聞いたことも意識したこともなかったそう。翌日は、叩いて延ばしたら切れ目を入れ、折り返して再び叩く「折り返し鍛錬」。折り返す作業を繰り返すことで層が増え、15回行うと3万以上の層に! ちなみに、アンドラーシュさんが自作していた時の層は半分以下。これが、日本刀の粘りと強靭さを増すのに欠かせない工程なのです。

この日行うのは、「組み合わせ」と刀の形に整える「素延べ・火造り」。鍛錬した硬い鋼と柔らかい鋼を組み合わせ、丸2日かけて棒状に打ち伸ばします。これをグラインダーで研げば、日本刀らしい形に。

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5日間、休むことなく日本刀作りに打ち込んできたアンドラーシュさん。その姿を見て、吉原さんがある本をくださいました。歴史や作り方を英語で紹介し、欧米を中心に日本刀愛好家のバイブルといわれる吉原さんの著書で、「この本は一生の宝物になると思います!」と大興奮!

いよいよ、日本刀作りも佳境。粘土をもとに配合された、焼刃土と呼ばれる素材を塗る「土置き」の工程です。塗った時の濃淡が、そのまま刃文になります。刃文とは、焼き入れによって付く日本刀独特の白い模様。美しさだけでなく切れ味にも影響するといわれ、刀鍛冶の技術が最も試されます。

吉原さんが得意とする「丁子乱れ」は、植物の丁子の蕾が重なり合うような刃文。一つひとつの刃文に変化と華やかさがあります。しかし、狙った通りの模様を出すのは至難の業。アンドラーシュさんも独学で挑戦してみたものの、一度も成功していないそう。
そこで、吉原さんが直々に手ほどきをしてくださることに。

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「同じような刃文が2つ揃っちゃいけないんだよ。隣の刃文がいつも形が違う、大きさが違う、どこか違いがなくちゃいけない」と吉原さん。土を塗ったら、剥がれないよう半日かけてしっかり乾燥させます。

翌日、東京を離れて向かったのは、岡山県長船町。日本有数の砂鉄の産地として知られ、平安時代から刀鍛冶で栄えた町です。今回は、刀以外のパーツの伝統技術を学ぶため、日本刀専門の工房がある「備前おさふね刀剣の里」にやってきました。

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まずは、日本刀に彫刻を施す専門職、装剣金工師の片山重恒さんの元へ。アンドラーシュさんも独学で彫っていましたが、片山さんによると、仕上げがまだ荒いそう。
「鏨(たがね)で彫るところで止まっているので、その後の切下げという磨きの過程をすると、グンと良くなると思います」とアドバイスをくださり、その”切下げ”という道具を特別に一本くださいました。

続いては、刀を収める鞘に漆を塗る塗師、抜き差しが日本刀の良し悪しにもつながる鞘を作る鞘師の方の仕事を見せていただき、柄巻師の方からは持ち手の柄の握りを良くする技を教えていただきました。巻いた組紐がずれないよう、紐の下に三角に折った和紙を詰めるのです。握ってみたアンドラーシュさんは「すごく手にフィットします」と感動!

「備前おさふね刀剣の里」の刀職人の皆さん、本当にありがとうございました!

東京に戻ると、いよいよ日本刀に命を吹き込む「焼き入れ」に入ります。切れ味を決める反りと刃文が仕上がる、最も重要な工程です。
部屋を暗くし、刀身の色で温度を見極め、火加減を調節。冷却して研いでみると……刃文が見えました! 「義人先生の刃文、初めて見ました。本当に素晴らしいです」。

そして、刀鍛冶の最後の仕事「銘切り」。みんなでアンドラーシュさんの当て字になる漢字を探し、「吉原義人」の名前から一字いただいて「安人羅修」と彫り、完成です。

「ずっと自分の漢字で名前を彫りたかったので、私にとっては生涯忘れられない刀になると思います」。試し切りをすると、「切れ味が最高でした! 皆さんと私の思い出が詰まったこの刀は本当に最高の一振りです」と大満足です。

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別れの時。吉原さんと皆さんに、お世話になった感謝を伝えます。すると吉原さんが、「みんなで一緒に作った刀。切っちゃったけど、ぜひ持って帰ってください」と、名前が入った持ち手部分をくださいました。

実は、皆さんと作った刀は試作品で、日本刀として所持するための登録が難しいそう。
登録された日本刀以外は持って帰れないため、武器となる刃の部分を切り落とし、持ち手部分だけをいただけることに。

さらに、伝統のたたら製鉄で作られた、ニッポンの玉鋼もいただき、「本当にありがとうございました!」とお礼を伝えました。

吉原さん、刀鍛冶の皆さん、本当にありがとうございました!

日本刀を通じて様々な出会いがあったニッポン滞在。帰国を前にアンドラーシュさんは、「今は本当に幸せな気分です。ニッポンの方々は外国人の私にもすごく親切でした。ニッポンで体験したことは忘れません。ニッポンに来て本当に幸せでした!」と締めくくりました。

アンドラーシュさん、またの来日お待ちしています!

月曜夜8時からは、月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」【新撮&内緒で出張3時間半SP】を放送!

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“握り寿司”を自宅で毎日握るアメリカのエリックさんの寿司修業後編!
東京で「江戸前寿司」の仕込みを学び、向かったのは北海道。海の幸に恵まれ発展した「蝦夷前寿司」の極意を教わるため、「鮨 無双」の小林大さんの元へ。
道内各地へ足を運び、直接漁師から仕入れる独自のルートを開拓し、各界の著名人もお忍びで通うという名店で、新鮮なネタの鮮度を保つ“握り”の速ワザを学ぶ。

どうぞお楽しみに!

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