明治時代から続く老舗で、フィンランド男性が本物のすき焼きに大感動!:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(月曜夜8時)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

今回は、「ニッポンにご招待したら人生変わっちゃった! スペシャル」をお送りします。

和紙作りを学んだイタリア男性が、帰国後に驚きの進化

紹介するのは、イタリアに住む、「和紙」をこよなく愛するアンドレアさん。

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ニッポン伝統の紙、和紙。自然そのものの色合いや光沢があり、長い繊維が絡んでいるため、薄くても耐久性があります。飛鳥時代に当時の戸籍を記した和紙は、1300年以上経っても朽ちることなく今に残るほど。江戸時代、火事が起こると帳簿を井戸に投げ込んで焼失から守ったと言われるほど水にも強く、世界中で歴史的絵画の修復に使われています。

版画家として活動するアンドレアさんは、17年前に自分の作品に使う紙を探していたところ、ニッポンの和紙と出会いました。翻訳された数少ない書籍をもとに、独学で和紙作りを勉強。和紙の原料である楮(こうぞ)という植物が手に入らないため、イチジクの木で代用するなど試行錯誤し、和紙を手作りできるまでに。

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今は自分の作品のためというよりも、和紙そのものが好きだと話すアンドレアさんですが、まだ一度もニッポンに行ったことがありません。今作っている和紙よりもさらに薄いものを作るため、「ニッポンに行ってもっと勉強したいです」と語ります。

そんなアンドレアさんを、ニッポンにご招待! 4年半前、念願の初来日を果たしました。

向かったのは、岐阜県美濃市。1300年の歴史を持つ本美濃紙は、和紙の中でも最高級とされています。一般的な和紙が障子2枚分で約1000円なのに対し、本美濃紙は高いもので6万円以上。一枚一枚職人の手で作られ、薄いながらも丈夫。その圧倒的な丈夫さで、江戸城の障子にも用いられていました。

今回アンドレアさんを受け入れてくれたのは、三代目の鈴木竹久さん、豊美さん夫婦が営む「美濃竹紙工房」。本美濃紙の伝統を今に受け継ぎ、手掛けた本美濃紙は国宝「鳥獣人物戯画」の修復にも使われています。

憧れの本美濃紙を見せていただいたアンドレアさんは、わずか0.06ミリという薄さに感動! 薄いのに丈夫という特徴は、「十文字漉き」という技法によって生み出されます。
早速、その十文字漉きを見せていただくことに。

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本美濃紙の原料となるのは、茨城県の大子那須楮。繊維が細長く、細かくすることでよく絡み、美しい模様と強い耐久性が生まれます。
そして、和紙作りに欠かせないのが、トロロアオイの根を砕いて水に混ぜた「練り」。トロロアオイの根は粘り気がとても強く、繊維同士をくっつける接着剤のような役割を果たすのです。

イタリアではトロロアオイが手に入らず、サボテンの粘り気を代用しているアンドレアさんは、初めて見る強い粘り気にびっくり。鈴木さんに「触ってみてもいいですか?」と聞くと、熱に弱く粘り気が損なわれてしまうため、直接触るのは厳禁とのこと。

次に、漉き船と呼ばれる水槽に、水と原料の楮、トロロアオイの粘液を入れ、全体に満遍なく広げます。ここからは、十文字漉きの工程。一番難しいところは、水の動きを操ることだそう。

縦に漉く時は水が縦だけに動くように、横に漉く時は、横だけに動くように。この動きが正確にできると、縦漉きの時は繊維が縦に揃い、横漉きの時は横に揃おうとするため、繊維が十文字に絡み合い、薄くても丈夫な和紙ができます。

縦に漉く時は腕の動きだけで水を一定に動かすことができますが、横に漉く時には簾桁(すげた)が前後に動かないよう、体全体を使って揺らします。大事なポイントは腰の回転。一定のリズムを保ち、左右同じ動きで揺らさないとうまくいきません。

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アンドレアさんも、十文字漉きを体験させていただきますが、ご夫婦にサポートしてもらいながら挑戦したものの、水が回って繊維の塊が残ってしまいました。一人前になるまで5年はかかるという横漉き、そううまくはいきませんが、鈴木さんからは「そこそこいい紙になってる」と嬉しい言葉も。この後は、1時間天日干しをして完成です。

別れの時。感謝の気持ちを込めて、アンドレアさんは自分で作った和紙の版画を贈ります。すると鈴木さんから、アンドレアさんが漉いた和紙と、鈴木さんが手掛けた本美濃紙のプレゼントが! 「これは私の生涯の宝物にします」と大感激のアンドレアさんでした。

続いて向かったのは、高知県土佐市。実は来日前、アンドレアさんは、紙漉きに欠かせない「簾桁」を作る職人さんに会いたいと話していたのです。

簾桁とは、竹ひごを編んで作った「簾」と、ヒノキで作られた枠「桁」を合わせたもの。和紙の出来を左右する重要な道具で、50万円以上するものも。今回は簾桁作り一筋68年、山本忠義さんにお世話になります。

ちょうど作業中とのことで、工房を見せていただくことに。アンドレアさんは、簾桁づくりで最も難しい「竹簾編み」の細かな作りに感動! 竹ひごの隙間は全て0.41ミリに揃えられており、山本さんの職人技が光ります。

簾の材料は、半年かけて乾燥させた真竹。それを切り出し、小さい穴に通して、一本一本を0.6ミリという極細の竹ひごにします。材料からすべて一人で作業し、どんなサイズの簾桁も全てオーダー通りに作ってしまうのが、山本さんのすごさ。

ここで、アンドレアさんが自作した簾桁を見ていただきます。アンドレアさんには竹ひごを細くする技術がないため、ナイロンで代用。山本さんの簾桁と比べると隙間が広いのがわかります。

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そのため繊維が間から抜け落ちてしまい、薄くて丈夫な和紙ができないそう。そこで今回特別に、簾を編む熟練の技を見せていただきます。

簾を編むには、絹の糸を巻きつけた木の玉を前後に組み替え、後ろから持ってきた糸を交差させます。よく使われる簾は長さ1メートル、幅1.2メートル。竹ひごを1000段編む必要があり、完成までには1カ月かかるそう。熟練の山本さんでも1日50段が限界だとか。

アンドレアさんも挑戦させていただくことに。隙間を揃えるには力加減を一定にする必要があり、「本当に難しいですね」と苦戦します。翌日も、再び簾の手編みに挑戦。山本さんの指導を受けながら、途中でお茶の時間を挟んで作業を続け、なんとか5段分を完成させることができました。

別れの時、山本さんが簾をプレゼントしてくださいました。アンドレアさんに自分の簾を使ってもらいたいと、1週間かけて作ってくださったのです。どんな長さの道具にも合うようにと、長めにしてあるそう。アンドレアさんは「光栄です、本当にうれしいです」と大感激です!

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アンドレアさんは「簾桁を作る山本さんの姿に、本物の職人のすごさを見ました。あなたに会えたことを本当に感謝します。短い時間でしたが、本当のおじいちゃんとおばあちゃんのようでした」と思いを伝え、山本さんご夫婦とハグをして別れを惜しみました。

あれから4年半、アンドレアさんのビデオレターを鈴木さんご夫婦の元へ届けます。

帰国後は、年間300枚のペースで和紙を製作。鈴木さんから和紙作りを教わったことで質が向上し、版画の注文数はなんと10倍に!

さらに、イタリアにニッポンの和紙を広めるべく、和紙教室などのイベントも開催。和紙教室には、イタリアだけでなくスペインやフランスなど国外からの参加者も。これが話題をよび、新聞や雑誌から取材されたことも。

実はアンドレアさん、イタリアでニッポンの楮を手に入れ、栽培も。早速、和紙の製造工程を見せてくれました。
まずは、蒸した楮の大きな繊維を、木槌で叩いて丁寧にほぐしていきます。続いては、接着剤のような役割を果たす、練り。トロロアオイはイタリアではうまく育たないため、以前と同じくサボテンを使っています。

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漉きは、鈴木さんご夫婦に教わった十文字漉きではない方法で、版画に適した厚めの和紙を作っています。ご夫婦にアンドレアさんが漉いた和紙を見ていただくと、「これだけで芸術品に近いね。結構原料がほぐれている」と褒めていただきました。

しかし、所々に原料の塊が。これでは表面が凸凹してしまい、版画にした際インクのノリにムラが出てしまいます。原因は、サボテンからとる粘りの少ない練りにあるそう。
すると鈴木さんが、美濃和紙の原材料や作り方がまとめられている本をくださいました。そこには、練りに適した材料も書かれています。後日、この本をアンドレアさんに届けると「とても参考になります」と大喜び!

「将来的にはイタリア全土に和紙を広めたいです! さらに、私の和紙と版画をニッポンの美術館に展示できるように頑張ります!」と語るアンドレアさん。鈴木さんは「紙漉きは終わりがないです。これからも修業をしながら良い紙を漉いてください」とエールを送りました。

老舗で本物のすき焼きを堪能! 究極の鉄鍋作りも体験

続いて紹介するのは、フィンランドに住む「すき焼き」を愛してやまないサムリさん。

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牛肉と様々な食材を割り下で煮る、ニッポンのすき焼き。ニッポンでは飛鳥時代から1200年、仏教の影響で牛肉を食べることを禁じていましたが、明治4年に明治天皇が肉食を解禁。自ら肉を食べると宣言したことで、一気に庶民の間にも広まったそう。

その後は、すき焼きのルーツといわれる味噌や醤油で煮込む牛鍋が大ブームに。ほどなく現在のようなすき焼きが登場し、ニッポンを象徴する料理となりました。

子どもの頃から大の料理好きだったサムリさん。様々な日本料理に挑戦する中、醤油やみりんを使った割り下で煮る、西洋にはない「すき焼き」の虜になったそう。しかし、ニッポンにはまだ一度も行ったことがなく、レシピはインターネットを参考にしています。

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フィンランドでは和牛のようなサシがきれいに入った肉は手に入らず、使うのはお尻に近いランプ肉。まれに和牛も売られていますが、とても買える値段ではありません。「いつかすき焼きに和牛を使うのが僕の夢なんです」。

ニッポンのように薄切り肉は売っていないため、自らスライス。どうしても厚くなってしまうので、手で叩いて薄くしています。

味の決め手となる割り下は、インターネットのレシピを参考に試行錯誤していますが、「本物のすき焼きを知らないので、味に自信がありません」とサムリさん。ニッポンに行けたら、肉の切り方と本物の割り下を学びたいそう。

そんなサムリさんを、ニッポンにご招待! 4年前に初めて来日しました。

向かったのは、東京・新橋の明治13年から続くすき焼きの老舗「今朝」。五代目の藤森朗さんと、料理長の大倉徹也さんにお世話になります。140年にわたり愛される美味しさの極意は、手切りにこだわる肉の切り方にあります。そこで、特別にその技を見せていただくことに。

お店で使うのは、A5ランクの松阪牛。霜降りのロースの塊を、生のまま極薄にカットしていきます。口に入れた時、溶けるような絶妙な食感となるその厚さは、約1ミリ。この薄切りの技があるからこそ、ニッポンの牛肉料理の先駆け、すき焼きが誕生したと言われています。

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大倉さんの包丁は、サムリさんが普段使っている包丁の3倍ほどの重み。大倉さんによると、肉は力で切るのではなく、包丁の重みで切るそう。日本刀の技術を結集した包丁と職人の技が相まって、見事な薄切りができるのです。

さらに手切りにすることで肉に細かな溝が生まれ、そこに割り下がからみ、舌触りから噛み応えまで変わるそう。大倉さんが肉を切る様子を、フィンランドで見直せるようにと動画で撮影させていただきました。

続いて、割り下作りも見せていただきます。使うのは、みりんに醤油、砂糖、日本酒。みりんは、もち米や米麹、焼酎などを原料に1カ月以上熟成させて作る本みりんです。
サムリさんが使っているのは、糖液に調味料などを調合した新みりん。フィンランドはアルコールに関する法律が厳しく、新みりんしか売られていないのです。

醤油は丸大豆醤油。脂身の多い松坂牛との相性は抜群で、上品な味わいに。これらの材料を合わせてひと煮立ちさせれば、創業以来140年守り続ける秘伝の割り下が完成!

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いよいよ、初めてニッポンで本物のすき焼きをいただくことに。サムリさんは「人生で一番美味しいすき焼きです! 言葉にならないくらい口の中で味が爆発しました!」と絶賛! 森さんによると、季節や景気によっても味を微妙に変えているとのこと。景気が良い時は少し甘口、景気の良くない時は辛口が好まれるといいます。

老舗のすき焼きを堪能したサムリさん。「忘れられない1日になりました。ありがとうございました」とお礼を伝えました。

その後、向かったのは山形県鋳物町。鋳物に適した土壌のため、平安時代から鋳物作りが盛んな地域です。

元々、鉄の「くわ」や「すき」の上に肉をのせ、焼いて食べたことがすき焼きの語源ともいわれており、すき焼きと鉄は切っても切れない関係。溜め込んだ熱を逃がさない鉄は食材が冷めにくく、すき焼きに最適なのです。

ニッポンで鉄鍋について学びたいサムリさんを受け入れてくださったのは、創業から400年以上の歴史を持つ「菊地保寿堂」。古くから湯釜や鉄瓶を製作しており、十五代目の菊地規泰さんが手掛ける作品は、国内外で数々の賞を受賞しています。

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そんな菊地さんが作ったのが、すき焼き用の「究極の鍋」。素材と厚さにこだわり、完成まで3年かかったそう。食材の美味しさを最大限に引き出す、究極の鍋の作り方を見せていただくことに。

まずは砂型作り。鋳物はまず、砂で型を作り、その隙間に鉄を流し込みます。この時、鍋の表面にあたるのが膚砂(はだずな)、土台となる部分が裏砂です。

膚砂は、鍋の表面の凸凹加減を決める砂。極めて細かくなるよう選別します。すると、食材と鋳物の鉄がピッタリとくっつきながらも、表面に細かな凸凹があることで食材を焦がさず、遠赤外線効果で火が通り、料理が美味しくなります。土台となる裏砂は、表面が凸凹にならないよう、水分を2%に調整。

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今回特別に、この砂型作りを体験させていただきます。実は、砂型がきちんと作られていないと、熱い鉄を流し込んだ時、鉄が流れ出してしまうそう。緊張しつつ、機械で砂をプレスして固めていくサムリさん。菊地さんから「初めてにしては上出来だね」とお褒めの言葉をいただきました。

翌日は、鉄を溶かすことからスタート。材料となる鉄は、不純物が混ざらないよう短時間で溶かすことが重要です。

ここで炭素を加えると、遠赤外線効果が高まり炭火焼きのような効果が出るのですが、入れすぎると錆びやすくなってしまいます。そこで、錆びにくい量の炭素を最大限含ませる調整に1年を費やしたそう。さらに、遠赤外線効果を保つ鍋の厚さも探り、厚さ17.2ミリ、重さ7.2キロの鍋が誕生。まるで炭火で焼いたようにカリッとジューシーに仕上がります。

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いよいよ砂型に鉄を流し込む作業。この時、鉄が急に冷えると鍋の表面に薄い皮膜ができ、錆止めの効果も。熱々の鉄を流してから固まるまで30分。サムリさんが仕上げた型をばらして砂を払うと、鍋ができていました! 「嬉しいです」と、菊地さんと握手。初心者がここまで仕上げたのは初めてだそう。

最後の仕上げは漆塗り。使う度に、漆の細かい粒子の間から良質な鉄分が食材に溶け出すそう。こうして、鋳物技術を集結させた究極の鍋が完成しました!

別れの時。「貴重な経験をありがとうございました」と感謝の手紙を読み上げます。すると菊地さんから、サムリさんが作った鍋と、作業用に用意してくださった安全靴のプレゼントが! 大感激のサムリさんでした。

続いて向かったのは、群馬県下仁田町。下仁田ネギ農家の大澤貴則さんにお世話になります。

すき焼きの具として欠かせないネギ。中でも下仁田ネギは、柔らかくふくよかな甘みがあり、すき焼きとの相性も抜群。江戸時代から250年続く伝統農法で作られています。

早速、大澤さんのネギ畑へ。掘り起こしてみると、「フィンランドで売っているネギよりも太くて硬いです」とサムリさん。下仁田ネギの特徴は、太く短い白根。ここに旨味が凝縮しています。一般的なネギは、白根の部分を長くするために土を3回ほど寄せて伸ばしていきますが、下仁田ネギの土寄せは、わずか1回。こうして太い白根を作り上げています。

自分の畑で採った種を蒔き、通常のネギの倍近い15カ月かけて収穫する下仁田ネギには、こんな特徴も。旨味を増やすため、一番暑い時期に一度畑から抜き、2時間ほどおいて植え直すそう。ストレスがかかったネギは強度を増し、甘味も増加するとか。
40度近い猛暑の中、1本1本手作業で植え直すこと約10万本。この手間暇が、幻とも言われる下仁田ネギを作り上げるのです。

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ここで、採れたての下仁田ネギをいただきます。下仁田ネギを美味しく食べる方法は、炭火焼き。丸ごと炭火焼きにした下仁田ネギは、炭火で蒸されて中はトロトロ! 熱することで、驚くほど甘くなります。サムリさんは「すごく甘くて美味しいです」と手が止まらず、なんと4本も平らげてしまいました。

その日の夕方は、大澤さんの自宅の庭で、下仁田ネギの種を採るお手伝い。ネギの穂先にできる球状のネギ坊主と言われる部分を水に入れ、殻を取り除き、沈んだ種を採ります。こうして自家採種した種を使う農家は少ないそう。

夜は大澤さんのお母さんが腕を振るい、下仁田ネギをたっぷりと入れた郷土料理「おきりこみ」や、かき揚げなどネギづくしの料理がズラリ。ご家族と一緒に食卓を囲み、楽しい時間を過ごしました。

そして別れの時。「今日は本当にありがとうございました。下仁田ネギの育て方を勉強できて良かったです」とお礼を伝えるサムリさん。お土産に、箱入りの下仁田ネギをいただきました。

あれから4年。「今朝」の皆さんと、下仁田ネギ農家の大澤さんの元に、サムリさんからのビデオレターを届けます。

大学を卒業し、社会人になったサムリさん。大澤さんの下仁田ネギの美味しさが忘れられず、フィンランドでもネギを探しているものの「あれほど美味しいネギは見つけられません」と話します。「嬉しいねぇ」と大澤さん。

帰国後は「今朝」でのアドバイスを生かし、以前の包丁よりも重い和包丁を購入。教わった肉の切り方を今も練習していますが、薄く切るのはまだまだ難しいそう。

ここで、すき焼き作りを見せてもらうことに。4年前は4時間かけて食材を集めていましたが、今は自宅から15分ほどのスーパーでほとんど揃うように。本みりんも手に入るようになりました。

以前はうまく肉を切れなかったサムリさんですが、今はかなり薄く切れるように。切り方は何点か問いかけると、「70点くらいかな」と大倉さん。藤森さんからは「でも崩れないで薄く切れているからすごいと思いますよ」とお褒めの言葉が。

割り下も「今朝」で教わった通り、砂糖と酒と本みりん、丸大豆醤油を入れ、アルコール分が完全に飛ぶまで煮て完成。進化したすき焼きは、彼女のアイノさんにも好評です。

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「フィンランドのたくさんの友達にすき焼きをご馳走して、この素晴らしい日本料理を知ってもらえるといいですね。またいつかニッポンに行って、美味しい和牛と下仁田ネギを使った本物のすき焼きが食べられる日が来ることを願っています」とメッセージを送りました。

サムリさんをニッポンにご招待したら、すき焼き作りにより一層情熱を注ぎ、その魅力を広めようとしていました!


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どうぞお楽しみに!