女性・ファミリーに人気の「スズキ」カリスマ経営者を継ぐ息子の闘い:ガイアの夜明け

公開: 更新: テレ東プラス

2月24日(金)に放送された「ガイアの夜明け」(毎週金曜夜10時)のテーマは、ガイア20周年記念 第10弾「カリスマを継ぐ者~スズキの新たな闘い」。
EVへと大きく舵を切る自動車業界、席巻してきたインド市場に忍び寄るライバルたち。状況が激変する中で、カリスマなき後、「スズキ」はどんな道へと進むのか?

カリスマ経営者・鈴木修

去年7月、静岡・浜松市内のホテルで開かれた「スズキ」の退職者の集い。今年で93歳を迎えた相談役・鈴木修さんの周りに出席者が集まっていた。
40年以上にわたり社長・会長を歴任してきたカリスマだが、多くの社員にとって身近な存在。「生まれ変わってもこの会社で働きたい」と話す元従業員もいるほどだ。修さんは、社員一人ひとりと信頼関係を築いてきた。

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創業は1909年。「スズキ」は機織機の製造から始まった。自動車メーカーになるきっかけはエンジン付き自転車で、改良してオートバイに。まずは二輪で名を馳せた。
初の自動車を発売したのが1955年。その3年後、創業家の娘婿として入社したのが修さんだった。

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社長になって初めて手掛けたのが、1979年に発売された軽自動車、スズキ「アルト」。軽の新車が65万円前後だった時代に、47万円という衝撃的な価格で大ヒットした。他のメーカーが高級路線に走る中、ターゲットを女性にし、独自路線で勝負をかけたのだ。

1982年、他のメーカーがアメリカ一辺倒の中、「スズキ」はインドに進出。「ガイア」は17年前、業界内で無謀と言われた、そのインド進出に密着していた。
修さんは日本でもインドでも、徹底した現場主義を貫いた。当初、日本の部品メーカーはどこも協力してくれず、全てゼロからのスタートだったが、この勝負に「スズキ」は勝つ。

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「どっか行って1位を取ろうという野望があった。どこのメーカーも出て行っていないところに行けば、1位を取れる」。

今や国内でも好調で、販売台数は「トヨタ」に次いで2位だが、東日本大震災などで業績が悪化するなど、その道のりは決して順風満帆ではなかった。

2021年2月、修会長は「後進に道を譲ることを決めました」と発表。代表権を持たない相談役に就任した。

カリスマ依存からの脱却 初取材!経営陣総出で臨む"工場視察"

「スズキ」は、グループ全体で従業員7万人以上(2022年12月時点)、売上高は3兆5000億円(2021年度)を超える。
カリスマからバトンを託されたのが、長男の鈴木俊宏社長(63歳)。電気自動車や自動運転など、100年に1度の大変革期といわれる自動車業界...難しい舵取りが求められる中での交代となった。

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10月下旬。社長と7人の幹部が集まり、経営に関する最重要事項を話し合う「ワンプラスセブン」が行われた。会議を立ち上げたのは俊宏さん自身で、
「相談役から代が替わって、僕がいきなり1人でやるのは無理だなと。みんなの力を借りながらやっていかないと『スズキ』の存続は難しい」と話す。

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富山・高岡市にある「タナベ自動車」。会長の田辺千秋さんは、父親の代から60年間「スズキ」一筋。直営店が少ない「スズキ」は、こうした町の自動車店が販売の頼りだ。

「全て一番を目指して頑張れ」

田辺さんは、修さんからもらったこの言葉を宝物にしている。修さんは大企業のトップでありながら、全国の販売店に足を運び、誰にでも気さくに接した。「会長(相談役)のことを話したら涙が出てくるんですよ。それくらいの人なんですよ。僕にとっては」。この固い絆こそ、「スズキ」の販売網の強みなのだ。

そして今、販売店と新たな関係を築く日々が続いていた。「躍動する"チーム・スズキ"を作り上げる。国内における相談役の存在は大きいが、まったく同じスタイルを僕はとれない。それを乗り越えていかなければならない」と俊宏さん。

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静岡・湖西市にある湖西工場。敷地面積は東京ドーム25個分で、国内に5つある「スズキ」の工場の中でも最大の生産拠点だ。2022年の国内生産台数約92万台のうち、約半分がここで作られた。

10月下旬、年に1度の工場視察が始まった。各部署が1年間の取り組みを発表し、経営幹部が問題を指摘、品質や生産性のさらなる向上を目指すのだ。修さんが工場視察を始めたのは34年前で、現場と一緒に小さな工夫を積み重ね、町工場から「スズキ」を作り上げてきた。

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工場視察だけは今も欠かさない修さん。これが、自らを"中小企業のオヤジ"と呼ぶゆえんだ。近頃は声が出しづらくなっているため、指摘内容はメモで伝えている。

一方、俊宏さんにとってこの工場は、自身が経験を積んだ現場。俊宏さんは、修さんとは違う新たな取り組みを始めていた。それは、今後の労働力不足を見据えた工場のさらなる自動化。その一つが、「スズキ」で初めて導入したタイヤ自動搭載装置で、ラインを動かしたままタイヤを取り付けることができる。

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工場視察から10日後。指摘を受けた現場では話し合いが続けられていた。グループ長の林秀和さんは、「湖西工場が『スズキ』のマザー工場(モデル工場)と言われているが、本当のマザー工場になりきれていない。ワンランク上のレベルを目指す」と意気込む。
湖西から、国内外の工場へ...新たな挑戦が始まった。

スズキの牙城 インド市場の苦戦

「スズキ」がいち早く注目したインドの市場は、沸騰していた。人口は14億人で今年中には人口世界一となり、15~64歳までが7割近くを占め、今後ますます成長が期待されている。

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新車の販売台数も、去年、日本を抜いて世界第3位に。その原動力となったのが「スズキ」で、国民車と言われるほどの存在だが、今、「スズキ」の牙城が揺るぎ始めている。
かつて50%以上を誇ったシェアは約41%にダウン。経済発展著しいインドに競合他社が猛烈な攻勢をかけ、その急先鋒となったのが、韓国の「ヒョンデ」だ。「スズキ」が手薄なSUVのラインナップを充実させ、シェアを急激に伸ばしている。

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さらにインドの国内メーカーも急成長。「タタ・モーターズ」は、「スズキ」が未だ1台も生産していないEV、電気自動車を3年前から市場に投入した。去年は3万台を販売、今年度は10万台を目指している。

売り上げの約4割をインドの市場が占めるまでになった「スズキ」にとって、シェア奪還はまさに生命線。俊宏さんは「我々の顧客は、現在14億人のうちの3億人。販路を全土に拡大することが重要」と話す。

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去年8月、「スズキ」はインド進出40周年を祝う式典を開催し、俊宏さんはEV関連施設などへの巨額投資をぶち上げた。シェア50%奪還に向け、動き始めた「スズキ」の闘いを追う。

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