わさびを栽培するアメリカ男性が、憧れのわさび田に感動の涙:世界!ニッポン行きたい人応援団

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ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(月曜夜8時)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

今回は、コロナ禍を乗り越え、3年ぶりに外国の方をご招待! 念願の来日を果たした様子をお届けします。

安曇野の100年続くわさび農家で、伝統の栽培方法を学ぶ

紹介するのは、アメリカに住む「わさび」をこよなく愛するシャノンさん。

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わさびの学名は、「ワサビア ジャポニカ」。ニッポンの固有種で、飛鳥時代から薬として使われはじめ、江戸時代後期には魚の生臭さを消し、毒消しの効果があると握り寿司に使われたことから庶民の間に広まりました。

そんなわさびに魅了されたシャノンさん。職場があるカリフォルニア州サンフランシスコから車で北に4時間、自然豊かな田舎町・ウィードで、自らわさびを育てています。

わさびと出会ったのは4年前。YouTubeでわさびの育て方を紹介する動画を見たのがきっかけです。わさびは、一定の温度の澄んだ湧水が出る場所でなければ、自然での生育は困難。ニッポンでは、わさびの90%近くが長野県と静岡県のもので、いずれも山からの豊富な湧水に恵まれた地域。このわさびが育ちやすい環境が、故郷とよく似ていると思ったそう。

シャノンさんの故郷・シャスタ山からも、雪で蓄えられた清らかな水が大量に湧き出ており、ニッポンでも馴染み深い「クリスタルガイザー」として販売されるほど。そこで、仕事の合間を縫って、シャスタ山でわさび作りをすることを決意しました。

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知識を得るために英語で書かれたわさびの論文を取り寄せ、半年間にわたって研究。両親が牧場として使っていた場所に、わさび田の建設を始めました。川とも呼べないほど荒れていた場所を、地道に1ヵ月以上かけて川幅を拡張し、石を運んで滝も自作。水耕栽培のわさび田を作り、2年前の春、初めて収穫に成功! シャノンさんのわさびは、サンフランシスコにあるミシュラン1つ星の寿司懐石の店でも使用されています。

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シャノンさんは、川での栽培だけでは満足できず、「畳石式」のわさび田でも栽培しています。畳石式とは、大中小の石を順番に積み上げることで地中まで水を行き渡らせ、養分や酸素を供給する仕組み。自然環境を保持する美しい農法として、世界農業遺産にも認定されています。この畳石式のわさび田を、シャノンさんはたった一人で2ヵ月かけて完成させたそう。

ところが、順調に育ったわさびは全体の半分ほど。「石が合っていないか、陽が当たり過ぎていたのかもしれませんが、アメリカでわさび栽培をしている人を知らないのでわからないんです」と話します。

また、わさびの栽培ではこんな悩みも。以前は1000株あったこともありましたが、今は650〜800株ほど。多くは川で流されてしまったのです。「僕には教わるべき先生がいません。だからニッポンに行って、本物のわさび作りを本物の先生から学びたいんです」。

ニッポンに行ったら、本物のわさび農場で職人さんに学び、その農法をカリフォルニアに持ち帰って、わさびの魅力を広めたい。そう願うシャノンさんを、ニッポンにご招待! 念願の来日を果たしました。

向かったのは、わさびの生産量日本一の長野県。その9割を生産するのが、北アルプスの山々に囲まれた安曇野市。雪解け水の量は約70万トンに上り、栽培に適した環境を保つ数少ない名産地のひとつです。シャノンさんは安曇野のわさび栽培を、アメリカで行う水耕栽培の参考にしています。

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安曇野にある「大王わさび農場」には、東京ドーム10個分という広大なわさび田が。実はこちら、シャノンさんが初めて知ったニッポンのわさび田。「今回の旅をここから始めたかったんです」と話し、感極まって涙する場面も。

翌日訪れたのは、「藤屋わさび店」。創業100年、「藤屋わさび農園」四代目・望月啓市さんにお世話になります。望月さんは代々受け継がれた安曇野伝統の栽培方法を継承し、長野県で開かれた品評会では20代にして最優秀賞を受賞。さらに、わさびを世界に広めたいとの思いからSNSで海外への発信を行い、アメリカ、フランス、韓国など世界12ヵ国に輸出しています。シャノンさんもSNSを通して知り、ぜひ訪れたいと思ったそう。

お店では収穫したわさびの加工、販売を行っており、早速「わさび漬け」を試食させていただきます。わさび漬けは、みじん切りにしたわさびを熟成させた酒粕に3日間漬け込んだもの。初めてのわさび漬けをおいしくいただいたシャノンさん、使っているわさびの品種について質問すると、「藤屋わさび農園」独自の品種とのこと。

わさびは大きく分けて、栽培が比較的簡単な「実生」と、成長が遅く栽培が難しい「真妻」の2種類あります。その他、農家がそれぞれ独自に品種改良を行うことで種類が増え、今では1000種類にもなるとか。「藤屋わさび農園」でも、田んぼを用いた水耕栽培で「藤屋1号」など独自の品種を4種類栽培。どのように栽培しているのか見せていただくことに。

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わさび田に向かうと、途中に犀川が流れています。しかし、川の水を引いているわけではなく、使用しているのはわさび田全体から湧き出る水だそう。「(わさびを)川では栽培しちゃいけない」と望月さん。川をそのまま利用すると、雨で増水したり、水が濁ったりする危険性があるのです。川の水をそのまま使っていたシャノンさんは、「だから僕のわさびは流されてしまったんですね」と納得。

そもそも安曇野でわさび作りが盛んになったのは、明治から大正の頃。当時の人々が、地下水が常に湧き出るように地面を2メートル近く掘り下げ、わさび田を開いたといいます。

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「藤屋わさび農園」のわさび田は、約1万平方メートル。野球のグラウンドほどの大きさで、3万株以上のわさびが栽培されています。わさび田全体が水源地で、田んぼの真下から水が湧き出しており、外側から傾斜をつけることで水が中央に集まり、最終的に犀川へと排水されます。実は、この水の流れが重要だそう。

わさびは成長する際、自らの辛味成分を根から排出し、他の植物を寄せ付けないようにしています。しかし、その成分が土に溜まってしまうと、腐ったり成長しなくなったりすることも。畑の中に水流を作り、辛味成分を水で流すことでわさびが成長すると望月さんは考えています。辛味成分を流すために大切なのが、水量と流れなのです。

シャノンさんによると、アメリカでは安曇野のように真下から水が湧き出ているわけではなく、数ヵ所の湧水地から湧き出る水を利用しているそう。すると望月さんは「掛け水の栽培方法で設計した畑が、シャスタ山には合うんじゃないかと思います」と提案します。

川をそのまま利用して栽培すると、増水などにより流されてしまう危険がありますが、川の水を人工的に引き込むようにして田んぼに流すことで、水量をコントロールできるようになるとか。掛け水という方法を知り、「本当に素晴らしい教えです」。

ここで、苗を植えてから2年で成熟するという、「藤屋わさび農園」のわさびを収穫させていただきます。腕くらいの太さがあるわさびに、シャノンさんはびっくり。良い水と適切な温度で育てると、2年でここまで大きくなるのです。

わさびの表面にあるゴツゴツとした凸凹は、成長の痕跡。下の茎を落としながら上に向かって成長するため、茎の跡が残るのです。樹木で言う年輪にあたり、凹凸の目が詰まったものはじっくりと成長した証。肉質も緻密で辛味や味も良いそう。

収穫したわさびは、大きさで仕分け。未成熟なものは「2世苗」として再び植えると、2年後に大きく成長します。わさびは捨てるところがない植物と言われ、葉や茎は漬物や酢漬けにして食べることができ、スナック菓子やチューブの風味づけとしても使用されています。

仕上げに、わさびの茎を人の髪を切るように整えます。真ん中を長く、外側を短くして見栄えを良くするのが望月さんのこだわり。新人は切らせてもらえないというこの作業に、シャノンさんが挑戦。苦戦しましたが、「いいと思います」と褒めていただきました。

採れたてのわさびを食べさせていただき、「とっても辛いです! でも甘い」と感激。良質なわさびには果物ほどの糖度があり、ツーンとした辛味の後に甘味を感じるため、味に深みがあるのです。

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わさびの下の部分をいただくと......「脳みそを撃ち抜かれたような刺激です」と、強い辛味に驚いた様子。2年かけて下から成長するため、一番古い下の部分には強い香りと辛味、新しい上の部分は爽やかな辛味と甘味、真ん中はバランスの取れた辛味と、部位によって違う味わいに。

わさびについて様々なことを教えていただいたシャノンさんは、「本当に有益な時間でした。味だけじゃなく形やわさびの生態まで、わさびの常識が僕の中で一変しました」。

その夜は、望月さんが歓迎会を開いてくださいました。迎えてくれたのは、「藤屋わさび農園」で働く皆さんです。わさびで食べる甘辛いタレのすき焼き風鶏鍋、わさびを練り込んだそばなど、わさび料理に舌鼓を打ち、皆さんとの交流を楽しみました。

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翌日は、昨日収穫したわさびの根から分けた、2世苗を植えることに。短くして植えると、再び成長します。使用するのは「わさび鍬」と呼ばれる道具。この道具で穴を掘り、そこに苗を植えて土を戻します。

シャノンさんは、アメリカで育てるのにベストなわさびの品種についても質問。望月さんによると、ある品種を植えたとしても、ほんの1メートル離れただけで同じ品種が育たない場合もあるそう。「長年ずっと育てていく中で、ここの畑はこの品種が合うなっていうやつを育てています」と望月さん。

わさびは非常に繊細で、同じ田んぼ内の微妙な環境の違いですら成長に影響を与えてしまいます。そのため、交配などによって自らの田んぼに合ったものを作り出してきた結果、1000種類もの品種が誕生。「試行錯誤を重ねることが重要だということですね」と納得するシャノンさんでした。

その後も時間が許す限りわさび作りを教わり、ついに別れの時が訪れます。シャノンさんはお世話になった感謝を伝え、お礼に帽子とスウェットをプレゼント。「望月さんに教えていただいた知識と経験は私の人生の宝です」と感謝の思いを伝えます。

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すると、望月さんからアメリカでわさび作りが成功するようにと、わさび鍬のプレゼントが! 職人さんがひとつずつ手作りしているわさび鍬は、現在3年待ちになっている希少な道具。大感激のシャノンさん、「これからは、わさび兄弟と呼ばせてください!」と、望月さんと握手を交わしました。

「藤屋わさび農園」の皆さん、本当にありがとうございました!

夢にまで見た「畳石式」のわさび田に、感動の涙

続いて向かったのは、岐阜県土岐市。長次郎の名で知られる、鮫皮のわさびおろしを製造する「ワールドヴィジョン株式会社」を訪れます。市場に出回る鮫皮おろしの8割近くがこちらで作られており、アメリカで鮫皮おろしを愛用するシャノンさんは、作り方を見てみたいと願っていました。

そもそも鮫皮のわさびおろしが誕生したのは、江戸時代末期。古来より刀の柄の滑り止めに使用していた鮫皮を擦るために使ったのが始まりと言われ、寿司の流行と共に日本全国で愛用されるようになったそう。

実は、鮫皮という名ではあるものの、江戸時代から多く使われるのはエイの皮。今では鮫皮おろしを作るところはわずかしかなく、後世に残したいとの思いから、二代目である大塚康史さんのお父さんが創業したそう。

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鮫皮おろしは、指で上向きになぞると滑らかですが、下向きになぞるとザラザラしています。上から下へ擦る時、粒が引っかかるような仕組みになっているのです。

わさびはそのまま食べても辛くはなく、擦りおろして細胞を破壊することで、香りや辛味の成分が出てくるもの。細かく擦りおろすほど香りや辛味が立つため、目の細かい鮫皮は、風味を最も引き出すと言われています。鮫皮の上で円を描くように擦りおろすと、ほどよく空気を含み、クリーミーできめ細かい仕上がりに。

製造の様子を見せていただくことに。使うのは、水に強く抗菌作用に優れたヒノキ。これをカットし、その上にエイの皮を貼ります。
よく見ると、皮の部位によって粒の大きさはバラバラ。おろしの大きさによって、粒も適したものに変えています。職人が一枚一枚に目を凝らし、適切な大きさで粒がそろっている部分を選定。使わない部分は、弓道で使うカケという手袋の滑り止めに利用されます。

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続いて、ヒノキと鮫皮を張り合わせ、機械でヤスリがけをして仕上げ。このヤスリがけを、シャノンさんも体験させていただきます。グローブはしなくても大丈夫と聞き、素手で恐る恐るヤスリがけをすると、ヒノキが焦げてしまいました。擦りすぎると温度が上がり、中でヤニが溶けて焦げてしまうとか。こちらは後で直してくださるとのこと。

ちなみに、鮫皮おろしに刻まれた「長次郎」という名前ですが、「長次郎は存在しないんです」と大塚さん。初代が日本人に親しみやすい名前として考案したものだそう。

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最後に、大塚さんからプレゼントが。2週間かけて、シャスタ山のロゴ入り鮫皮おろしを作ってくださったのです。シャノンさんは「一生使います」と感激。完璧に整った粒に感動し、涙ぐみながらお礼を伝えました。

「ワールドヴィジョン」の皆さん、本当にありがとうございました!

続いて、安曇野に並ぶわさびの生産地、静岡県伊豆市へ。天城連峰の豊富な伏流水を利用して作られている、伊豆のわさび。中でも、静岡県で発祥した「畳石式」という農法は、大きく良質なわさびを育むことで知られています。アメリカで畳石式に挑戦するシャノンさんは、本場の畳石式を見てみたかったのです。

今回は、わさび農家歴57年、優れた農業の実践者に送られる「名誉農業経営士」にも認定されている井上亘さんにお世話になります。昔ながらの農法にこだわる井上さんのわさびは、ミシュランガイドに掲載される和食の名店でも使用されています。

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早速、井上さんのわさびを食べさせていただくことに。井上さんのわさびの特徴は、なんといっても強い辛味と豊かな香り。その味の良さから、最高級品として取り引きされることも。シャノンさんは、その辛さに驚き「とても力強くて美味しいです」と感想を。

ここで、検疫に通して持ち込んだシャノンさんのわさびを見ていただきます。まずはわさびの全体を眺め、「おいしそう」とうれしい言葉が。その場で擦って試食していただくと、「ちょっと苦味がある。力がなくなると不純物が入って黒くなる」とのこと。

形成層という組織から水を吸い上げるわさびは、収穫が遅れると次第に生命力を失い、形成層が不純物を取り込んでしまうそう。シャノンさんはたった1人で多くのわさびを管理しているため、収穫のタイミングを逃してしまうことも。貴重な意見をいただき、「井上さんはわさびお父さんです。本当にありがとうございます」と感謝を伝えます。

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翌日、シャノンさん念願の、畳石式のわさび田を見せていただけることに。井上さんの家から車を走らせること7分。そこには、東京ドーム3個分の広さがある「筏場のわさび田」が広がっていました。その景観は「静岡県棚田等十選」にも選ばれるほど。憧れ続けた場所を目の前に、シャノンさんは涙を浮かべ「美しいです。本当に信じられません」と大感動!

実はここ筏場では、安曇野のように真下から水が湧き出ているわけではありません。「水口」と呼ばれる大量の水が湧き出る場所が約40ヵ所あり、その水を効率的に利用するため、明治25年に開発されたのが畳石式です。

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畳石式では、水口から湧き出た水を上段から下段に掛け流すことで、棚田全体に水を行き渡らせます。さらに砂利、小石、石、岩の4層構造になった田んぼで不純物を濾過すると共に、酸素をより多く含ませることで、下段の田んぼにも清らかな水を供給できるようになっています。

わさびは農薬を使わないと話す井上さん。蝶の幼虫である青虫に葉を食べられてしまう危険性がありますが、蝶を絡めとる蜘蛛の巣をあえて残しておくことで青虫の増殖を防ぐことができるそう。

そんな100年以上変わらぬ農法で育つ、伊豆天城のわさび。実はわさびには、直射日光に弱いという性質も。強い日差しに晒されると葉焼けという現象を起こしてしまいますが、ここでは夏になるとハンノキが天然の日陰を作り、日差しから守ってくれるとか。しかもハンノキの葉は柔らかく、落ちてもわさびを傷つけません。伊豆の畳石式栽培は、その機能だけではなく、自然に優しい農法として世界農業遺産に認定されたのです。

しかし、自然環境を生かした農法には大きな苦労も。増水しそうな場合はすぐに水を抜き、水位を調節。そのままだと苗が流されたり腐ったりするため、水位を保つことが大事なのです。

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実は65年前、ここ筏場のわさび田は、伊豆半島を襲った大型台風によって壊滅的な被害を受けました。若い頃、その再建に関わった井上さんは自然の恐ろしさを知り、常に水の状態を観察。毎日広大なわさび田を見回り、落ち葉による水の詰まりや天候による濁りをチェックしています。井上さんの話を聞いたシャノンさんは、「まさに僕の目指すべきわさび作りがここにあります」と語ります。

ここで、植え付けのお手伝いをさせていただくことに。苗を等間隔で植えるため、棒につけられたテープを目印に作業を進めます。その手際の良さに、「今までいろんな研修生が来たけど、こんなに上手な人は初めて」とお褒めの言葉も。その後も、心ゆくまで伊豆のわさび作りを学びました。

その夜は、井上さん宅で夕食を一緒にいただくことに。奥さん特製! わさびを使った料理が食卓に並びます。旬の椎茸やイサキの塩焼きにもたっぷりのわさびを。お酒を酌み交わしながら、わさびの話に花を咲かせました。

翌日は、わさび作りにゆかりのある、1673年に創建された「貴僧坊水神社」へ。境内には、水の湧き出る場所があります。わさび作りがうまくいくように、水の神様にお参りすることが井上さんの日課。伊豆天城は、富士の麓で豊かな水源を誇る土地。自然の恵みに感謝し、共存することが何よりも大切なのです。一緒に参拝したシャノンさんに「これで良いわさびができるよ」と井上さん。

別れの時。シャノンさんはお世話になった感謝を伝え、シャノンさんの両親の出身国・ベネズエラ産のラム酒とシャスタ山のポストカードを贈ります。そこには「たくさんのことを教えてくださりありがとうございました。この経験を忘れることはありません」とメッセージが。最後に、伊豆天城の最高級わさびと椎茸をお土産にいただき、ハグを交わして別れを惜しみました。

井上さん、本当にありがとうございました!

わさびを通じて、たくさんの出会いがあったニッポン滞在。帰国を前にシャノンさんは、「皆さんから受けたご恩は決して返しきれるものではありませんが、一生をかけて返していきたいと思います」と語ってくれました。

シャノンさん、またの来日をお待ちしています!

月曜夜8時からは、ゲストに桜庭ななみ、濱尾ノリタカを迎え、月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団"すき焼き&和紙"愛す外国人SP」を放送!

「薄い"美濃和紙"の作り方を学びたい!」
版画家として"和紙"を自作するイタリアのアンドレアさん。「美濃竹紙工房」で1300年の歴史を持つ最高級「本美濃紙」の作り方を学び十文字漉きを初体験! さらに、高知県土佐市で「紙漉き」に欠かせない「簾桁(すげた)」を作る工房へ。この道68年、黄綬褒章を授与された山本忠義さん(当時88歳)から竹ひごを編む熟練の技を学ぶ。あれから4年半!和紙作りがとんでもない進化を!

「本物の"すき焼き"作りを学びたい!」
"すき焼き"を愛するフィンランドのサムリさん。東京・新橋で明治時代から続く老舗「今朝」で牛肉を薄く切る手技を学び、極上の味に舌鼓! さらに山形県では400年以上の歴史を持つ「菊地保寿堂」ですき焼きのための「究極の鍋」を制作!
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どうぞお楽しみに!