「日本庭園」を愛するポーランド男性が、日本一の庭園を管理する庭師に弟子入り!:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(月曜夜8時)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

今回は、「こんな方ならニッポンにご招待したい!」「人生変わっちゃったスペシャル」をお送りします。

ニッポンとフランスを中継で繋ぎ、そば作りの技を伝授

紹介するのは、フランスに住む「そば」をこよなく愛するミカエルさん。

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日本食を代表する料理のひとつ、そば。ニッポンでそばの栽培が始まったのは縄文時代と言われ、細長い麺として食べられるようになったのは江戸時代から。庶民の日常的な食べ物として普及し、江戸中期にはそばの産地や作り方、そば屋の様子まで書かれた本が刊行されたほど。その後、江戸そば御三家と呼ばれる「更科」「藪」「砂場」が登場。今もなお愛され続けています。

ミカエルさんがそばと出会ったのは、13年前。友人に連れられ、初めて訪れたパリの日本食レストランで、興味本位でざるそばを注文しましたが......食べ方がわからず、そばの上につゆをかけてしまいました。恥ずかしい思いをしたものの、初めて食べたそばは想像以上に美味しく、虜になったとか。

その後、フランス人が開いていたそば打ち教室に参加し、本やインターネットで独学を続けたミカエルさん。そんな中で目に留まったのが、東京・調布市の深大寺にある「一休庵」の記事でした。自家製粉のそば粉を使い、粉の細かさやそばの打ち方にこだわりを持つご主人に、そばの作り方を学びたいと話します。

ここで、実際にそばを打ってもらうことに。使うのは、ガレット用のフランス産そば粉です。ミカエルさんによると、ニッポンでは石臼でゆっくりそばの実を挽くため、粒が細かく仕上がりますが、フランスでは機械を使って速いスピードで挽くので、粒が粗く味も強すぎるそう。

作るのは、小麦粉二割、そば粉八割の二八そば。ふるいにかけた50グラムの小麦粉と200グラムのそば粉を合わせ、125ccの水を少しずつ加えます。そして粉の状態を見ながら、少量の水を加えてはかき混ぜる作業を繰り返します。
難しいのは、どのタイミングで水を入れるのをやめるかということ。「ニッポンでは、粉がウサギのフンみたいになったら完了って言われてるんですよね?」と話します。

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粒が大きくなってきたところでひとつにまとめ、50回こねます。この回数は、通っていたそば教室でフランス人の先生に教わったそう。
こねて丸めたら、2ミリ厚の四角い形になるように平たく伸ばします。打ち粉として振るのは小麦粉。妻のサンドリンさんが心配そうに見つめる中、フランスのめん棒で伸ばしていきますが、途中で破れてしまいました。本当はもっと薄くしたいところですが、「これが今の私の限界です」と話します。

生地を伸ばしたら、あとは折りたたんで切るだけ。ところが、細長く切ることができず、ちぎれてしまいました。麺が切れてしまうことが一番の悩み。

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1分半ほど茹でて、ミカエルさんのそばが完成。日本人の番組スタッフが試食すると、麺が硬く、小麦粉とそばの味がどちらも強いとのこと。実はサンドリンさんもそばは好きなのですが、ミカエルさんの打つそばはあまり食べたくないそう。

「妻を喜ばせることができる本物のおいしいそばを、どうしても打ちたいんです」と話すミカエルさん。とは言え、この時点では、まだニッポンにご招待するには制限がありました。

なんとかミカエルさんの願いを叶えようとスタッフが向かったのは、深大寺にある「一休庵」。平日でも、昼には行列ができる人気店です。店主の内野和彦さんにミカエルさんの熱意を伝えたところ、快く協力していただけることに。

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「一休庵」のそば打ちを撮影させていただき、後日フランスのミカエルさんのもとへ。本人には追加取材とだけ伝えているため、このことは知りません。
まずは、遠く離れたニッポンとフランスを中継で結びます。憧れの内野さんと初対面したミカエルさんは、「お会いできて本当に嬉しいです。あなたとお話しできるなんて光栄です!」と大興奮!
内野さんは、最初に見せたいものがあると、ご自宅に案内してくださいました。この中に、50年前に先代が作った製粉工場があるのです。

使うのは、栃木県益子の農家から直接仕入れるそば。殻付きの「玄そば」を機械でふるいにかけ、粒の大きさを7〜10種類に分けます。粒の大きさを揃えてから殻を剥くと、よりきれいに剥けるため、出来上がったそば粉に殻の破片が残りにくいそう。

大きさを揃えた玄そばは、次の機械で残った皮やホコリを風で飛ばし、続いて識別センサーに入れ、不要なものをエアガンではじきます。殻が残っている時は、この作業を何度も繰り返します。「食べた時の喉越しや味にすごく関わってくることなので、なるべく余分なものは取り除いています」と内野さん。

殻やホコリを取り除いたら、石臼の機械に投入します。手挽きの石臼だと、そば粉の粒の大きさにムラができてしまうため、内野さんはあえて機械を使用。手挽きよりも細かく水分量の多いそば粉ができるそう。ミカエルさんは「ここまで丁寧にそば粉を作っているんですね」と感動。

いよいよそば打ち。「一休庵」は十割そばが人気ですが、今回はミカエルさんが普段作っている二八そばの打ち方を教えていただくことに。

2対8の割合で合わせた小麦粉とそば粉をふるいにかけた後、軽く混ぜて空気を入れます。ここで、粉1キロに対して約400ccの水を計量。この水を、最初に9割ほど一気に入れるのがポイントです。「一気加水」といい、粉の一粒一粒に平均的に水を回すことができるのです。少しずつ水を入れていたミカエルさんは、最初に9割入れることにびっくり!

残った少量の水は3〜4回に分けて加え、手早く指先で押し込んでいきます。事前にミカエルさんのそば作りのVTRを見た内野さんは、「ウサギのフンよりかはもう少し大きい状態にしていただければ」とアドバイス。

生地のまとめ方は、腕をなるべく垂直に保ち、真上から押し込むようにすると力が入りやすいそう。ミカエルさんは50回と決めてこねていましたが、小麦粉に水を加えることでグルテンが強くなり、食感が変わるため50回だと多いとか。

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生地を伸ばす際の打ち粉は、そばの実の最も中心の部分を粉末にしたもの。小麦粉を使うと生地がつながらないそうで、「それも生地が上手くつながらない原因のひとつだったんですね」と納得。手を猫の手のようにしてめん棒を転がす方法も教わりました。

生地の厚みが均一になったら、めん棒で巻きながら伸ばす作業。手を置いたところに圧力がかかり、効率良く薄くなっていきます。この生地を優しく折り畳み、切った麺を45秒ほど茹でれば出来上がりです。

番組スタッフからそば粉の入った袋を受け取ったミカエルさん。フランスに届けてほしいと、内野さんがスタッフに託していたのです。さらに打ち粉までいただき大感激!

中継で内野さんが見守る中、早速いただいた粉でそば打ちをすることに。「一気加水」で水を入れ、「指先を使って押し込むような感じで」というアドバイスに従い、混ぜていきます。粉の状態から大きな塊になってきたところで、残りの水を少しずつ加えていくと、生地が固まってきました。内野さんのように、垂直に体重をかけ、全身の力を使ってこね続けると、しっとりして柔らかい生地に。

続いて、いただいた打ち粉を振りながら生地を平たくしていきます。生地の様子を見て、「全然ひび割れてないですね」と内野さん。普段のミカエルさんの生地は、この時点でボロボロだったそう。

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ここからは、めん棒を使います。教わった通り猫の手で伸ばし、憧れていた厚さ2ミリにしていきます。そしていよいよ切っていくと......普段より細く、長く切ることができました!「今までと比べ物にならない良いそばを打つことができました!」と喜ぶミカエルさんに、内野さんも「素晴らしい!」とお褒めの言葉をくださいました。

早速茹でて、初めてニッポンのそば粉を使って作ったそばをいただきます。今まで打ったそばはゴツゴツした食感だったそうですが、「今回は全く違います。本当においしいです」と感動するミカエルさん。サンドリンさんも、「これです! これが食べたかったんです」と大満足でした。

「貴重な時間を割いて特別なレッスンをしていただいて、本当にありがとうございました」とミカエルさん。「日本に来た時は、ぜひ『一休庵』に寄ってください」と話す内野さんに、「絶対に行きます! 早くお会いできる日が来ますように」と伝えました。

7人の庭師に、「神管理」と称される日本庭園の手入れを学ぶ

続いて紹介するのは、ポーランドに住む、「日本庭園」を愛してやまないセバスティアンさん。

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日本庭園とは、池を中心に山を築き、石や草木を配して自然の景観を表現した、ニッポン独自の庭園。海外に広まったのは、1873年の「ウィーン万博」。ニッポンのパビリオンに日本庭園が設けられると、イギリスの美術商が丸ごと買い上げるほど評判に。以来、万博には欠かせない展示物となりました。

1970年の「大阪万博」では、当時の造園技術の粋を集めた巨大な日本庭園を設営。現在も、万博記念公園の一部として多くの人に親しまれています。

造園業を営むセバスティアンさんは、18歳の時に盆栽と出会い、ニッポンの自然を凝縮した日本庭園にも興味が湧いたそう。以来15年、テニスコート8面分の日本庭園を自宅の裏に造り上げました。

ニッポンにはまだ一度も行ったことはありませんが、本などを参考に独学で日本庭園を造ってきたセバスティアンさん。大きな池の周りに道や橋を設け、歩いて巡ることができる池泉回遊式庭園や枯山水、茶室も自作してきました。
最も苦労するのは、石探し。お隣のチェコまで探しに行っても、日本庭園に合う理想の石が手に入りにくいそう。

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「日本庭園は自然との調和を大事にするところが魅力です。私はポーランドの人に日本庭園の良さを伝えていきたいんです」と話し、私財を投じて日本庭園造りに没頭。いつか島根にある「足立美術館」の日本庭園や「由志園」、「三宝院」、「大徳寺」、「桂離宮」、「苔寺」に行きたいと夢を語ります。

そんなセバスティアンさんを、ニッポンにご招待! 7年前、念願の初来日を果たしました。

向かったのは、島根県安来市にある「足立美術館」。日本画の巨匠・横山大観の作品をはじめ、約2000点もの貴重な美術品を展示しています。
そしてもうひとつの魅力が、日本庭園。どの角度から見ても美しく保たれたこの庭園は、アメリカの日本庭園専門誌で、国内1500ヵ所以上ある庭園の中から、20年連続1位に選ばれています。庭そのものの質はもちろん、「神管理」と絶賛される庭師の技術が評価されているのです。

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この日本庭園をのぞき見ることができる一室があります。そこは、「足立美術館」の創設者・足立全康が住んでいた家。足立全康は、掛軸のかかっていた自宅の床の間の壁をくり抜き、リアルな日本庭園を映す「生の掛軸」を考案したのです。セバスティアンさんは、「美への追求がすごいです!」と驚いた様子。

他にも、窓枠を額縁に見立て、一枚の絵として構図にこだわった「生の額絵」や、横山大観の日本画をモチーフに大量の白砂を敷き詰め、松の木々を配した「白砂青松(はくしゃせいしょう)」など、様々な形の日本庭園を見ることができます。

「写真で見るより雄大で美しく、本当に感動しています! 『足立美術館』の庭師は世界一の技術をお持ちです」と絶賛。実は、東京ドーム3.5個分、約5万坪もの広大な日本庭園を守っているのは、わずか7人の庭師。皆さんにセバスティアンさんの熱意を伝えたところ、快く会っていただけました。

キャリア20年以上と、ベテラン揃いの庭師の皆さん。セバスティアンさんの日本庭園の写真を見ていただくと、「雰囲気は出てますよ」「きれいに刈り込んでる」と嬉しい言葉をいただきました。すると、皆さんから一緒に作業をしてみましょうと提案が! こんなチャンスは滅多にないと、日本一の庭園を管理する庭師に弟子入りすることに。

翌朝、皆さんと同じ作業着に着替えて作業開始。この日は7人の庭師にセバスティアンさんが加わった、8人の特別体制です。

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朝一番の仕事は庭園のチェック。草木に汚れや傷がついていないか、お客さんの目線で確認します。7人全員で庭の隅々まで目を光らせ、わずかな異変も見逃しません。苔が乾燥していれば、朝回る時に軽く、夕方帰る前も少し多めに水をあげるそう。

これまでたった一人で庭園造りをしていたセバスティアンさんは、好奇心が溢れ出し、植物の名前などを次々と質問。日本庭園に対する情熱が、皆さんにも伝わった様子。

開館時間の8時半までに広大な庭園をチェックし、その日行う作業を決めます。セバスティアンさんは、初めて地下足袋を履いて掃除を担当。靴底が薄く、素足に近い地下足袋は、庭師に欠かせない道具のひとつです。

いよいよ日本庭園の中に入り、竹ぼうきで落ち葉を集めます。苔を剥がさないよう竹ぼうきの穂先だけを使い、優しく落ち葉を掃きますが、ポーランドには竹ぼうきがないため、力加減が難しいそう。竹ぼうきを使った掃除は毎日行われ、硬い砂の上も掃くため消耗が激しく、年間なんと350本以上も交換するとか。

続いては、50メートルの長いホースを使って水やり。あまり下にホースを向けると苔を傷めるため、上向きにして水をアーチ状にするなど、植物を傷めないよう細心の注意を払うのが足立流です。「植物を守るという姿勢と、常に美しさを保つ皆さんの仕事ぶりに敬服します」。
朝は掃除にほとんどの時間を費やし、場所によってはほうきを使わず手で落ち葉を拾うことも。実はセバスティアンさん、自然の庭の中になるべく機械を持ち込みたくないという考えから、自分の庭はほとんど手で拾っているそう。慣れた様子で、両手を使って器用に拾います。庭師の永島達二さんによると、普通は片手で拾うため、セバスティアンさんほど早く拾えないそう。

そしてもう一つ、開館までに行うのが「目入れ」。枯山水の砂石(しゃせき)に模様を入れる、庭師の技の一つです。枯山水は、水を使わずに川や池を感じさせる日本庭園の様式。一般的には砂かき棒を使って水の流れを表現しますが、「足立美術館」では、目入れ用の先が柔らかい竹ぼうきを使っています。

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セバスティアンさんも、初めての目入れに挑戦。お客さんの目線に対し、並行にするのがポイントです。慣れない竹ぼうきでの目入れにおぼつかない様子でしたが、15分もすると永島さんから「うまいですよ!」と褒めていただけるまでに。それでもまだまだベテランの技には及ばず、修正していただく一幕も。

この枯山水の砂は、一年に一度入れ替え作業を行うそう。入れ替えた石は水洗いして選別。形の良いものだけを残します。20トンの石に対し、7人の庭師が約1ヵ月かけて行う大仕事だと知り、「尊敬です」と頭を下げるセバスティアンさんでした。

朝の仕事を終えたら、皆さんと一緒にお茶で休憩。そして、この日一番の大仕事が!

向かったのは庭園ではなく、山。「足立美術館」の庭園は、遠くの山を庭の一部であるかのように見せる「借景」を取り入れています。そのため、敷地の外の離れた山も、「足立美術館」が一部を管理しているのです。

庭師の皆さんが、山のわずかな異変に気付いたのは朝。2本の竹が、松の木よりほんの少しはみ出ていたのです。セバスティアンさんには、その異変はわからなかったよう。

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急勾配の山に入り、庭園にいる庭師と連絡を取りながら、伸びすぎた竹を探します。セバスティアンさんも竹を揺すり、庭園側から見てもらいながら探していくと、はみ出ていた竹が見つかりました。2本ともすぐに伐採すると、借景が理想的な姿に。

この日の夕方、庭師の新田真一さんに夕食に招待されたセバスティアンさん。食卓には、手作りの豆腐やおはぎ、郷土料理が並びます。安来名物・どじょうの味が気に入った様子で、新田家の皆さんや永島さんと楽しいひとときを過ごしました。

翌日は、車に乗り込み美術館の外へ。やってきたのは、美術館の庭園の松の木とチェンジするための、スペアの松が植えられた「仮植場」です。

「足立美術館」の庭園には約60種類の樹木があり、中でも目を引く松は、いわば舞台のメインキャスト。多くの松から選ばれ、形や大きさによって置かれる位置が決まりますが、枯れたり病気になったりすればすぐに交換。また、幹が太くなり見栄えが悪くなったものや、枝葉が伸びすぎて周りの木々の邪魔になるものも、即降板となります。いつでも交換できるよう、仮植場には5年や10年、50年など、年代別のスペアが数百本用意されています。

仮植場の世話も毎日行われており、セバスティアンさんも雑草取りをお手伝い。手際良く草を刈り、松の根元に「水鉢」と呼ばれる窪みを作ります。これは、雨水などを溜めて水切れを防ぐための技です。

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ここで永島さんから、「どの松が良い松か」質問されたセバスティアンさん。斜面から生えているような松を選び、「太陽に向かって生き延びようとする力強さを感じました」と話すと、「その通り!」と永島さん。山を意識した「足立美術館」の庭園では、まっすぐに生えた松より、自然界で育ったような曲がったものを選んでいるそう。

さらに永島さんはこんな話も。一般的な木は枝が折れても再生しますが、松は一度折れると生えてこないため、剪定に細心の注意を払う必要があります。鳥が松の枝を折った場合、接木はせず、即スペアの松に交換するとか。「接木にして1年2年3年かけている間に、お客さんが見ますよね。ここは今すぐ見る松を作るんですよ」と語ります。

「足立美術館」の日本庭園はお客さんに見てもらう観賞用の庭園。そこに一切の妥協がないことが、日本一に選ばれた理由なのです。

庭師の腕の見せどころ、松の剪定に挑戦させていただくことに。より美しく見せるために枝葉を切りますが、「手が震えます」と緊張ぎみ。永島さんから「手入れする時も、3年、4年、5年先のことを考えて」と、どの部分を切るのかアドバイスをいただきました。

そして、別れの時。庭師の皆さんに、多くの技術と知識を学ばせていただいたことへの感謝を伝えます。

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最後に、サプライズで作業服と地下足袋、ハサミをいただき、大感激のセバスティアンさん。「庭師の皆さんの写真を館内に飾るべきだと思います。ニッポンの文化を築き上げる人たちですから」と話し、皆さんと握手を交わして足立美術館を後にしました。

あれから7年。足立美術館の庭師の皆さんを訪ねてみると、7人から6人に。7人のうちお2人は、「足立美術館」での経験を活かして新たな道へ進み、6人目として22歳の山本裕介さんが加わったそう。皆さんは、セバスティアンさんのことをしっかり覚えていました。

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訪れた11月下旬は、日本庭園が一年で最も彩り鮮やかになる時期。さらに、この時期にしか見ることのできない絶景があるとか。開館前に従業員総出で大量の落ち葉を拾う際、朝日が借景の山を照らすと......朝靄に浮かぶ、赤く染まった山が! 朝方に雨が降ると、虹が出ることも。お客さんは見ることができない絶景です。

さらに島根県には、「足立美術館」と並び、世界で賞賛されている日本庭園があります。1975年に開園した「由志園」は、紅葉のライトアップ、イルミネーションやプロジェクションマッピングとの融合など、日本庭園の新たな楽しみ方を発信しています。

魅力的な日本庭園が多い島根県。冬の旅の候補にぜひ!

月曜夜8時からは、月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」"新撮!わさび育てる外国人SP"を放送!

「ニッポンに3年ぶりの新規ご招待!」
1000株ほどの"わさび"を自ら栽培しているアメリカのシャノンさん。教わるべき先生がいないためうまく育たないものも...。「本物のわさび作りを先生から学びたい!」その念願が叶い、今回シャノンさんをニッポンにご招待! 生産量日本一の長野県安曇野市へ。創業87年「藤屋わさび農園」の4代目・望月啓市さんから真下の地面から湧き出る水で作る「水耕式栽培法」を学び大興奮!

続いて向かったのは、岐阜県土岐市。「鮫皮おろし」の全国8割近くを製造する工房へ。そこで思いがけないサプライズに感涙!
さらに、伊豆半島の天城へ。わさび農家として57年「名誉農業経営士」にも認定される井上亘さん(75歳)から、静岡県発祥の栽培法「畳石式」を教わる。東京ドーム3個分に広がる「棚田」の景観に...またまた感涙! そして、わさびを使った手料理を振る舞ってもらい絆を深める。

どうぞお楽しみに!