超高齢化に向け、アートによる繋がりで”誰もが孤立しない共生社会”を目指す

公開: 更新: テレ東プラス

2030年、日本は3人に1人が65歳以上の超高齢社会を迎える。望まない孤独・孤立を無くすため、東京藝術大学は産官学の連携でアートによる社会的繋がりにより「誰もが孤立しない共生社会」を目指すプロジェクトを始動する。

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2022年4月、東京藝大・学長に就任した日比野克彦さんは、段ボールを使った作品で脚光を浴び多岐に渡る分野で活躍してきた日本のアート界のスターだが、この10年近くは「アート×福祉」のプロジェクトにも精力的に取りくんできた。多様性を認めあえる社会を実現するためにも、個と違いが尊重されるアートが基盤になるという信念をもつ日比野さんに新たなプロジェクトについてうかがった。

アートは生きる力を支える

学長室でのインタビューを控えて待っていると、東京藝大に新たにオープンする「国際交流棟」を案内したいとの申し出が。階段を颯爽と降りてきた日比野さんは、スターのオーラを漂わせて目の前を駆けぬけていく。後ろ姿を急いで追う。さすがサッカー愛好家、俊足である。

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こちらが2022年12月15日にオープンした「国際交流棟」。隈研吾氏が設計した地上5階建ての鉄骨・木造の混合造。外壁面にさまざまなパブリックアートが飾られている。

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取材時はオープンに向けアートの取り付け作業中。階段をのぼって辿り着いた5階の部屋は窓際に耐震補強として木柱が斜めに4本あり、なかなかのインパクト。その傍らに佇んで「インタビューは立ってやろう」と爽やかにおっしゃる日比野さん。しかし、気を利かせたスタッフの方がイスを持ってこられたので、腰を落ちつけてお話をうかがうことに。

――昨年4月に東京藝術大学の学長に就任されましたが、振り返っていかがでしょうか?

「東京藝大で25年以上の教員生活になりますが、美術学部の学部長を6年勤めて学長になりました。コロナ禍を経たこれからの大学の運営や芸術教育について考えるだけでなく、社会や地域におけるアートの役割を考えて大きな視点にたった活動が必要とされている時代です。そうした活動についてやりがいもありますし、今後いろいろ経験を重ねていかないといけないところもあるというのが実感ですね」

――高齢者の孤独・孤立については、阪神淡路大震災を経て東日本大震災の際に社会課題として認識されていました。東北の被災地でワークショップをされていましたが、どのようなことを思われていましたか。

「非日常のことが起こった時に人は戸惑いを感じたり生きる力を失うこともあって、そういう時にこそ日常に近い距離感のアートが機能する。それなのにコロナの時もアートは"不要不急"といわれて美術館、劇場が平気で閉鎖され、また、それに対する疑問が投げかけられることもない。"芸術文化がなくたって生きていける"という認識がいまだにあると思います。

災害のときに衣食住のライフラインは整えられても、最終的に孤独死は起こります。被災地で仮設住宅の生活に馴染めず人とのコミュニケーションを失うと、やがて心が動かなくなり生きる力がなくなる人もいる。それは災害時だけの話ではなく、日常の中でも地域のコミュニティに入りきれなかった人の孤独死があるわけで。常日頃から文化的な活動ができる地域づくりに取り組むことは生きる実感をうみだしライフラインを築いていくことにつながります。

日頃の人と人との触れあいのなかで、それぞれの人の美、その人らしさを感じとることはできる。多様な価値観がある社会で、その違いに共鳴しあいながら、文化を感じとれるような地域社会や人間関係のあり方を提案して実践していく。それが教育研究施設をもつ大学のやるべきところだと思っています」

アートプロジェクト

――ギャラリーや美術館で作品を発表することに加えて、長年に渡りさまざまなアートプロジェクトを実践されてきました。

「これまで30年ほどアートプロジェクトをやってきました。例えば瀬戸内国際芸術祭のような美術館を飛びだした地域の芸術活動。その土地の住民と寝食を共にしたり、一緒に物をつくったり、土地の歴史と課題に向きあう中でアートが果たす役割はずいぶんあるということを感じていました。

一般的に"アート"というと絵画や彫刻、コンサートホールに行って音楽を聴くなどパッケージされた物だと思われがちです。そうではなく、アートプロジェクトというのは"物"ではなく"出来事"なんです。物にせよ出来事にせよそれを体験するのは人であり、心の動きが目的だとすれば、その手段は絵を見たり音楽を聴いたりする以外にもいろんなバリエーションがあっていいはずです。プロジェクトを通じて体験を共有した人たちの心が動くということであれば、それもアートとして捉えていきましょうということなんです。

"出来事"というアクションになるとバリエーションが増えるので、藝大が"さまざまな参加者と共に創造する、イメージする時間を共有すること"を"アート活動"として社会に提案して実践していく。そのための人材育成や、予算を得るための評価基準の作り方やエコシステムの準備をしているところですね」

――1999年から始めた、日比野さんによるワークショップシリーズ「HIBINO HOSPITAL (日比野美術研究室付属病院放送部)」はスタイルは変わりましたが、茨城県守谷市のアーカススタジオを中心に今も続いていますね。

「大学の附属病院があるなら藝大にもあっていいじゃないかという発想からきているタイトルです。当時のデザイン学科の日比野研究室の学生たちを担当医と呼んで、全国から付属病院放送部のホームページを通じてさまざまな悩みや相談ごとを受けつけて...『商店街が寂れているので絵がほしい』『子どものことで相談したい』とか。その人たちに実際にお会いして学生と私が一緒に物をつくったりアクションを起こしていきました」

「アート×福祉」活動を発展させる

――東京藝大では「アート×福祉」をテーマに社会人向けの履修プログラム「Diversity on the Arts プロジェクト(通称DOOR)」をやっていますが、日比野さんが2014年から障害者福祉施設に行くようになったのはなぜですか。

「アール・ブリュット(「生(き)の芸術」というフランス語。正規の芸術教育を受けていない人による、技巧や流行に囚われない自由で無垢な表現)がきっかけとなって、障害者施設で創作活動している人たちの描いている姿を見てみたい、どういう生活をしているのかを見てみたいと思うようになって。アール・ブリュットが好きな理由は人間の本来持っているドローイングの線や形というものが作家たちにあるから。どうしても僕たちは周りの評価を気にしてしまうじゃないですか。気にしないといっても気にしまう、恰好つけてしまうがゆえに自分の思っている線が素直にでてこないということがあるんじゃないか。そういうことに気づかせてくれたのがアール・ブリュットですね。彼らは自分自身を見つめながらつくっているので作品という意識すらないようなものもある。自分にないものがあるから憧れるというところはありますね」

――お好きなアーティストは?

「同世代だとやっぱりバスキア(ジャン=ミシェル・バスキア)、昔の作家だと色合い的にマティス(アンリ・マティス)はいいですよね」

――ではそのときにアートと福祉のつながりについて考えるようになったのですね。

「そうですね。障害者施設にショートステイしてそこから学ぶことが多かったので、他の人たちもやったらいいんじゃないかと、滞在制作ができる作家との協働を『TURN』プロジェクト(東京都の文化事業)として始めて。それから作家を受け入れられる福祉の環境を目指して社会人向けの履修プログラム『DOOR』を始めました。福祉の現場に作家が入って作品を発表するなかで施設が社会に開かれ、お互いに刺激を与えあえる関係を目指しています。2017の初年度は受講者50人程度で始めたものが今は100人くらい。『共生社会をつくるアートコミュニケーション共創拠点』は、これまでの『DOOR』や『TURN』の活動が根幹になっています」

geidai_20230116_04.jpg撮影:冨田了平
音楽・ダンスチームの「パポとユミ」と就労継続支援B型事業所の「上町工房」のサルサダンスを通じた交流より

geidai_20230116_05.JPGDOORの演習授業「プログラム実践演習」
講師であるアーティストの指導のもと、受講生が粘土を用いて制作。制作した作品は「TURN on the EARTH ~わたしはちきゅうのこだま~」展(東京藝術大学大学美術館)にて展示された。

誰もが孤立しない共生社会

――今お話に出た東京藝術大学をはじめとした12の大学・企業・団体の連携による「共生社会をつくるアートコミュニケーション共創拠点」が、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)が公募する「共創の場形成支援プログラム」のプロジェクトとして採択されました。産官学の連携により、病気や障害や介護などの望まない孤独や孤立を防ぎ、アートのコンテンツを通じた社会的な繋がりをつくっていくという取り組みです。例えばコロナ禍において開催された「おうちでゴッホ」のような作品のオンライン鑑賞会も、ちょっとした感想を話しあうだけでも心が温まりますよね。これからの予定についてはいかがですか。

「この事業を実装させるための組織づくり、協力してくれる大学や企業のネットワークづくりに取り組んでいて、今年はよりちゃんとした形にしていく予定です。これまでの『TURN』や『DOOR』で協力関係を築いてきた高齢者施設の運営もしているSOMPOホールディングス、指一本で豪華な自動演奏ができるシステム『誰でもピアノ』を開発したヤマハ、クリエイティブを武器とした新しい医療を目指す横浜市立大学の武部貴則先生のチーム、「文化的処方」の実践の場づくりの岐阜大学といったメンバーが仲間になってくれています」

――昨年10月に渋谷のSHIBUYA QWSで行われた「孤独孤立をなくす アートとくらしとテクノロジー」についてのフォーラムでは、認知症予防のアプリを作ったアーティストと高齢者との1対1のコミュニケーションのデザインについても示唆されていました。

「自分の身体が動かなくてもアバターを使えばバーチャル空間のどこにでも行けますよね。こうしたゲームの中で理屈的に可能なことを、実際にどう使える形にしていくか。本当に重度の障害者とか身体を動かす気持ちにもなれない、きっかけもないという人たちがゲームをやることによってちょっと外にでてみようかなという関係性をつくるというのも重要ですね」

geidai_20230116_06.jpgフォーラムでプレゼンするプロジェクトリーダーの伊藤達矢 東京藝術大学 特任教授

――「アートは年齢、障害あるなしを問わず正解がないもの。その認識は正しいがそこで止まってほしくない。アートだからできるというような逃げにも使ってほしくない」と話されていました。これからの理想の社会についてお聞かせください。

「地域の中には様々な人間がいる。本当にいろんな人間がいるんです。 多種多様であればあるほど本来の社会の姿で、そうした違うもの同士を繋げてくれるのはやっぱりアートだと思います。大学や美術館の中だけにアートがあるのは違うと思うし、日常の地域の中にアートがあるという意識を誰もが持てる状況にしていくことが一番の理想ですね。"アートというのはもっと有機的に変容していく自在性があるもの"と世の中に受け止められる発信をしていくこと、それが実感できる実例をどんどん出していかなくてはならない。それに対してちゃんと価値を認めて経済的な支援もしてくれるような人たちも増やしていきたいですね」

インタビューの場として、本格オープン前の国際交流棟に案内してくださった日比野さん。非常にアグレッシブでありながら全身から優しいオーラを発していて「アート×福祉」の活動を長年されてきたアーティストだということを実感。強い信念を内に秘め、多くの人たちと協力してきっと理想を実現されるだろうと思わせる方だった。

藝大といえば、東日本大震災の時に避難所をまわりボランティアで演奏をしていた藝大出身のチェリストにお話をうかがったことがある。震災前から芸術交流館のアウトリーチに携わっていた方で地元の東北のために献身されていた。被災者にとってはチェロの音色が癒しであり、テレビから流れてくる「ふるさと」は辛くて最も聴きたくない曲であったとうかがい、本当にいたたまれなかった。いざというとき、自分の助けになるのは何なのか、どんな繋がりなのか。アーツとの関わりを考える際のひとつのヒントになるかもしれない。

(取材・文:榊原生織)

【プロフィール】
日比野克彦(ひびの・かつひこ)
1958年、岐阜県岐阜市生まれ。アーティスト。東京藝術大学第11代学長。
東京藝術大学美術学部デザイン科卒業、同大学院美術研究科修了。1982年第3回日本グラフィック展大賞、1983年第30回ADC賞最高賞、1986年シドニー・ビエンナーレ、1995年ヴェネチア・ビエンナーレ出品。2015年文化庁芸術選奨芸術振興部門 文部科学大臣賞受賞他多数。「明後日新聞社文化事業部/明後日朝顔プロジェクト」(2003年〜現在)など地域性を生かしたアート活動を展開。岐阜県美術館長、熊本市現代美術館長、日本サッカー協会社会貢献委員会委員長を務める。