「ホス狂い」で話題!大泉りかの半生...SMショーでモデルも

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SMショーのM女、ボディペインティングのモデルなどの経歴を経て、官能小説家へと転身。ルポタージュやポルノ系ライトノベルなど、作家として幅広く活動している大泉りか氏。
去年出版した『ホス狂い』(鉄人社)は、生活費以外の稼ぎを、すべてホストクラブにつぎ込む女性たちの姿を赤裸々に描き、話題を呼んでいる。

今回の「テレ東プラス 人生劇場」は、大泉氏を直撃。レトロな喫茶店で待ち受けると、記者の予想に反し、ママチャリに乗って軽やかに登場。5歳の子どもを持つ彼女だが、性に関してカラッと明るくユーモアを織り交ぜながら話す姿は、実に清々しい! そんな大泉氏に、これまでの半生について、話を聞いた。

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SMショーで縛られたきっかけは...タダになるから

――かつてはアンダーグラウンドの世界で、SMショーなどに出演。大泉さんのエロスへの探究心やポジティブさはどこから来ていると思われますか?

「私は1977年に東京で生まれました。高校生の時にコギャルブームが来て、社会学者である宮台真司さんが言うところの"援助交際第二世代"。
ただ、両親はかなり厳しくて、高校生の時の門限は夜9時、もちろん外泊は禁止でした。でも、高2の時にふらっと家出をし、3日ぐらい帰らなかったら、その後は"帰ってくるだけマシ"という感じになりました(笑)。

そもそも父が週刊誌の編集者だったので、家には本がたくさんあり、特に村上龍さんの本が好きでしたね。大学時代に読んだ『トパーズ』や『エクスタシー』を始めとするSM三部作を、興味津々で読みふけって、衝撃を受けたことをよく覚えています。このポジティブさがどこから来ているか...自分でもよくわかりませんし、同世代のみんながみんなそうではないと思いますが、昔からいやらしいことには肯定的。なので官能小説を書くことにも、なんら抵抗はありませんでした」

――大学時代はSMショーにモデルとして出演。親御さんはその事実を知っていたのでしょうか。

「当時はもちろん知りません。いまは仕事のこともペンネームも知られているので、うっすら知っている気もしますが......。大学生になったらあまりにも家に帰らなくなってしまったので、親から『家を出ていってくれ』と言われまして...そこから一人暮らしを始めましたが、当時はストリッパーやアダルトグッズの店員さんと"ピンクローターズ"というユニットを組んで、SMショーやストリップなどのイベントをやっていました。ある日実家に帰ると、親に『ピンクローターズって何?』と聞かれたので、『バンド名で私はカスタネットをやっている』と話し、適当に誤魔化していましたね(笑)。
実際にSMに初めて触れたのは、友達に『渋谷のクラブでSMショーが見られるよ』と誘われて行ってみたという感じ。テクノがガンガンかかっているクラブで、縄師のミラ狂美さんのショーがカッコよすぎて、『もう、サイコーですね!』と、速攻で私から逆ナンしました(笑)。その後は狂美さんに『今度小さいバーでイベントがあるから来ない? 縛られたらタダだよ』と誘っていただき、SMショーでデビューしました」