豆腐を愛するフランス男性が驚きの進化!売り上げ予想...1億4000万!?:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(月曜夜8時 ※12月19日の放送は夜6時25分)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

今回は、「ニッポンにご招待したら人生変わっちゃった! スペシャル」をお送りします。

神社を愛するポーランド女性が、富士の山頂にある神社に参拝

紹介するのは、ポーランドに住む、「神社」をこよなく愛するズザンナさん。

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神社とは、神様を祀った日本固有の祭祀施設。厄除けや縁結びなどの祈願、夏や秋のお祭りなど、古くから生活と密接な関わりがあります。もうすぐ迎えるお正月の初詣では明治神宮や伏見稲荷大社など、三が日だけで数百万人が訪れる神社も。

ズザンナさんがニッポンの神社に興味を持ったきっかけは、12歳の時。ポーランド語に翻訳された古事記でニッポンの神話を知り、その奥深さに魅了され、日本書紀も読破。そんな神話の世界を体現し、神々が祀られている神社に強く惹かれたそう。

神話に300以上登場する神様の中で、ズザンナさんが一番好きな神様はスサノオノミコト。神話ではヤマタノオロチを倒したことで知られる男の神様です。「スサノオ」と「ズザンナ」という自分の名前が似ていて、親近感が湧いたとか。

ニッポンへはまだ一度も行ったことはありませんが、日々神話や神社の知識を深めています。そんなズザンナさんをニッポンにご招待! 4年前、念願の初来日を果たしました。

向かったのは、スサノオにも縁の深い、島根県出雲市の出雲大社。出雲は、かつてスサノオが降り立ち、神話の世界が今も残る場所です。今回は、島根県立古代出雲歴史博物館の小野篤彦さんに案内していただきます。

参道の真ん中は正中(せいちゅう)といい、神様の通り道とされているので、左右に避けて通るのがマナー。小野さんによると「神様の正面だから遠慮してお参りをしましょう」というニッポンの文化だそう。このマナーを知っていたズザンナさん、参拝前の手水の作法もしっかり下調べ済み。

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神楽殿にやってくると、大しめ縄の迫力に驚きの声を。大しめ縄の大きさは、長さ13.6メートル、重さ5.2トンと国内最大級! 田植えの時から稲が決まっており、その量は甲子園球場とほぼ同じ1.5ヘクタール分だとか。

「出雲大社ではお参りの仕方が他の神社とは違うと聞きました」。一般的には「二礼二拍手一礼」が正式ですが、出雲大社では「二礼四拍手一礼」が作法なのです。

作法の通りに参拝した後は、「ここに絶対お参りに来たかったんです」と御本殿の裏手へ。そこには、スサノオを祀る素鵞社(そがのやしろ)が。スサノオは御本殿に祀られたオオクニヌシの父神にあたり、後ろから見守っているともいわれています。
念願叶ったズザンナさんは、お参りの際に「あなたに会うためにここに来ました」と伝えたそう。

さらに、出雲を訪れたら必ず来たかったという神話の舞台も訪れました。10月に全国から八百万の神が上陸するという、稲佐の浜です。ズザンナさんは美しい夕陽を眺め、「ニッポンでは、いつもこうして神様を身近に感じるからこそ、神社へ祀り、敬っているのがわかりました」。

翌日向かったのは、出雲市佐田町にある、スサノオの魂が眠っているといわれる須佐神社。須佐神社のある須佐地区は、かつてスサノオがその御魂を鎮めたことから名付けられた、スサノオと縁の深い町です。

早速、須佐神社で神主さんから御祈祷を受け、お札やお守りをいただいたズザンナさん。「御祈祷の途中で突然風が吹いてきたので、神様がいらっしゃったのかと思いました」と話していると、そこに須佐神社の禰宜、須佐建央さんが登場。実はこの方、スサノオノミコトの末裔なのだそう。スサノオの子孫との思わぬ対面に、ズザンナさんもびっくり!

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境内を散策していると、秋祭りに奉納する神楽が聞こえてきます。神楽とは、洞窟に隠れたアマテラスを神々が歌や踊りで外に誘い出した、天岩戸の神話が起源といわれる歌と舞い。地元の方に手ほどきを受けて特別に参加させていただき、楽しい時間を過ごしました。

ズザンナさんには、ニッポンに来たらどうしても叶えたかった夢がもう一つありました。標高3715メートル、富士山の山頂に位置する久須志神社への参拝です。

向かったのは、富士登山の出発点がある山梨県富士吉田市。富士山は古くから神が宿る山と信じられ、江戸時代には山頂で参拝する富士詣が大流行。今も八合目以上は神社の境内となっていて、参拝を目的に富士登山をする人も多いそう。

登山前に、400年以上続く御師(おし)の家「筒屋」を訪れます。御師とは、信仰登山をする人々のお世話や祈祷をする人のこと。江戸時代には80以上の御師の家が軒を連ね、今でも御師町と呼ばれています。宿にも登山の安全を祈願する御神殿があり、こちらでお参りさせていただくことに。

その夜は「吉田の火祭り」が行われました。400年以上続く富士山の噴火を鎮めるお祭りで、参道には90本を超える松明が焚かれ、富士山麓に茂るすすきを神前に捧げる習わしがあります。ズザンナさんもすすきを掲げて進んでいくと、富士山をかたどった真っ赤な神輿「御影」が! 重さ1トンの神輿を地面に叩きつけ、荒ぶる富士を鎮めます。

初めてのお祭りに「今夜ここに来られて幸せです」と大興奮。お祭りの出店で食べたかったというかき氷とたこ焼きもいただき、ニッポンのお祭りを満喫しました。

翌朝、車で五合目へ。初めての富士山ということで、富士山登山ガイドの太田安彦さんに案内していただきます。

挑むのは、4つの登山ルートのうち約7割の登山者が利用する吉田ルート。標高2305メートルの五合目から1400メートル以上登り、途中八合目の山小屋で仮眠をとって、山頂で御来光を待つというスケジュールです。

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太田さんによると、登りは小股で歩くのがコツ。一歩一歩を小さくして、体力を消耗させないのがポイントです。
8月下旬のこの日、東京の気温29度に対し、五合目の気温は15度。山頂まで5.3キロと知って「この距離ならいけるかもしれません」と、快調に登っていきます。

途中、他の登山者とも交流しつつ、出発から3時間かけて七合目へ。登山では6時間で1.5リットル近くも水分が失われ、脱水症になることも。1時間に1回の休憩と早めの水分補給が必要ということで、忘れずに水分を補給。

ここから先は、さらに急勾配。上へ行くほど過酷になりますが、まだまだ大丈夫そう。ただ、体に取り込める酸素の量は平地の3分の2ほどになるため、太田さんの「呼吸を意識してください」というアドバイスに従い、呼吸が浅くならないように進みます。

五合目を出発して6時間半、八合目の山小屋に到着。夕食のカレーライスをいただき、4時間ほど仮眠をとって御来光を目指します。8月にも関わらず、気温は10度。山頂での体感温度は氷点下になることもあるとか。

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午前0時半に出発。さすがに九合目に差しかかると疲れを見せたものの、山小屋を出発して4時間、ついに山頂に到着しました! 「山頂まで登れてもう最高です!」。
日の出まであと10分の時点では、雲に覆われて何も見えませんでしたが......ズザンナさんを迎えてくれたかのように雲が晴れ、御来光を拝むことができました。

念願の久須志神社で参拝し、「ここにまた来られますように」とお願いしたズザンナさん。どうしても欲しかった御朱印もいただき、「なぜみんなが富士山に登るのか、山頂に来てわかった気がします。神様が宿るすべてのものを敬う気持ちなんですね」と語りました。

あれから4年。ズザンナさんからビデオレターが届きました。

大学生になったズザンナさんは、イギリス・ウェールズにある、多くの外交官を輩出してきた名門・アベリストウィス大学に留学中。ポーランドの親元を離れ、一人暮らしをしています。須佐神社で御祈祷を受けた後にいただいたお守りは、今も大切にしているそう。

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そんなズザンナさんの将来の夢は、ニッポンのポーランド大使館で働くこと。「ポーランドの人が知らないニッポンの素晴らしい文化を多くの人に紹介したい」「2つの国を繋げる懸け橋になりたいです」と話します。ウェールズに留学したのも、この夢を叶えるため。

夢に向かって進むための力の源になっているのは、なんとたこ焼き! 富士吉田のお祭りで食べたたこ焼きがとても美味しく、ウェールズで売っているのを見つけた時は心が躍ったそう。最後に「次はニッポンの大使館でお会いしましょう!」とメッセージを送りました。

神社が大好きなポーランドのズザンナさんをニッポンにご招待したら、ますますニッポンと神社への愛を深め、ニッポンのポーランド大使館で働くという夢に向かって邁進していました!

富山の名店でこだわりの豆腐作りを学び、とんでもない進化を遂げた!

続いて紹介するのは、フランスに住む「豆腐」を愛してやまないダビッドさん。

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ニッポンを代表する食べ物のひとつ、豆腐。湯豆腐や出汁で煮込んだ豆腐をご飯にのせた「とうめし」など、アレンジも様々。高タンパクで低カロリー、昔から和食には欠かせない万能食材です。

奈良時代、ニッポンに伝わった豆腐は僧侶や貴族などが食べる高級品として扱われ、江戸時代後期には舌触りが滑らかな絹ごし豆腐が誕生。その後は日本中で、風土にあったオリジナル豆腐が多数作られるように。そして今では「TOFU」として、世界各国に広まっています。

「豆腐を初めて食べたのは10歳の頃で、その衝撃はいまだに忘れられないです」。そこからどんどん豆腐にハマって独学で作り方を覚え、自宅で豆腐を一から作っているそう。そこで、作り方を見せてもらうことに。

まず、フランスでとれた大豆をミキサーで撹拌。鍋で温めた後、布を使って裏ごしすると、豆腐の元となる豆乳が完成。この豆乳を固めるのが、海水から塩を作る際に生成される「にがり」ですが、フランスでは手に入らないのでニッポンから取り寄せています。ダビッドさんによると、最も難しいのが豆乳を煮る温度で、いつも83度にしているとか。

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6年前からほぼ毎日豆腐を作っているダビッドさん。情熱が詰まったお手製の木綿豆腐は、フォークで刺せるほど硬めの仕上がり。ニッポンの豆腐のように柔らかくする方法が知りたいと話します。しかし、豆腐をフランスで広めたいと販売を開始し、設備などに貯金を使い果たしたため、ニッポンに行く余裕はありません。

そんなダビッドさんを、ニッポンにご招待! 3年前に初来日しました。

向かったのは、富山市八尾町。全国からお客さんがやってくるという名店「長江屋豆富店」の長枝春一さん・美千子さんご夫婦にお世話になります。

早速、自慢の豆腐をいただきます。大豆の旨味を十二分に生かす方法で作られた木綿豆腐は、インターネット販売でもすぐに売り切れに。ダビッドさんは「舌の上にのせると溶けてなくなるように柔らかいです。それに少し甘みがあり、大豆の味が引きたっています」と絶賛!

長枝さんの豆腐作りには、いくつものこだわりがありました。使う大豆は、甘みに長けた富山産の希少な品種「オオツル」。これを、地下から汲み上げた北アルプスの雪解け水に一晩浸けておきます。実は、富山市の約7割は森林で、至る所に湧水が。豆腐は8割以上が水でできており、富山のきれいな水が美味しい豆腐を生むのです。

この大豆を石臼ですり潰し、「呉(ご)」と呼ばれる状態に。通常、呉は保存期間を延ばすため、高温で煮てから機械でしぼり豆乳にしますが、「長江屋豆富店」では生のまましぼります。この「生しぼり」は、煮ない分、味に雑味がなく、喉越しが良いスッキリした味わいになるそう。

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呉を麻の袋に入れてしぼり機にかけると、豆乳が出てきました。しかし、これではまだしぼりきれていないため、さらに手作業でしぼります。ほぼ毎日、豆乳をしぼるだけで3時間かかるそう。

こうしてできた濃厚な豆乳を、釜で煮ます。豆乳を糖度計で測ると、スイカより少し甘いくらいの14パーセント。ちなみに、一般的な豆乳の糖度は10パーセントほど。この甘味が、生しぼりで作られる豆腐の特徴です。

いよいよ、にがりを加えて豆乳を固める作業に入ります。長枝さんのもうひとつのこだわりは、奥能登の塩田まで足を運んで選んだ天然にがり。通常は精製されて透明ですが、伝統的な製法で塩を作る際にできるにがりには、天然の色素で色がついています。

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ダビッドさんがにがりを入れる温度について質問すると、木綿で60〜70度とのこと。柔らかい豆腐ほど温度は低いそう。ダビッドさんは83度で入れていたため、温度が高すぎて硬くなっていたのです。

こうして、極上の木綿豆腐が完成。豆腐は水につけることで保存がききますが、「できるだけ水にさらしたくないんです」と美千子さん。水にさらすと大豆の旨味やにがりの栄養分が逃げてしまうため、「長江屋豆富店」では極力水につけず、木綿豆腐を販売しています。

絹豆腐も、普通の作り方とは少し違いがありました。木綿と同じく生しぼりの豆乳ににがりを混ぜたら、冷蔵庫で一晩寝かせます。生しぼりだとタンパク質が分解されず、寝かせないと固まらないそう。生しぼりで作る豆腐は、あらゆる工程で手間がかかるのです。

「丁寧に教えていただき、本当にありがとうございました。この経験を生かしてフランスで豆腐を作りたいと思います」。長枝さんから天然にがりと醤油、美千子さんが作った豆腐のレシピ集をいただき、お店を後にしました。

続いて向かったのは、沖縄県の宮古島。実は、一世帯あたりの豆腐への支出額は那覇市が日本一。沖縄の豆腐文化の最大の特徴は、温かい豆腐が売られていること。温かさは鮮度の証なのです。

今回は、宮古島で評判の豆腐店「石嶺とうふ店」の山村日出男さん一家にお世話になります。奥さんの洋子さんの両親から続く家族経営の「石嶺とうふ店」では、昔ながらの製法にこだわり、今はほとんど使わない海水で豆腐を作るため、幻の豆腐ともいわれています。

豆腐作りは、深夜2時半から。日出男さんが大豆をすって呉の状態にしたものに、泡を消すためのラードを投入します。呉の泡を残すと豆腐の日持ちが悪くなるため、通常は消泡剤を使いますが、「石嶺とうふ店」では、自然の産物、ラードを使用。ほんのり風味が増し、煮こぼれを防ぐそう。

次に、遠心分離機でしぼった豆乳を、大きな煮釜で直火にかけます。薪を焚くのは、長男の真太郎さん。遠赤外線効果で鍋全体を温める薪ですが、1〜2分目を離すと火の具合が変わっていることもよくあるとか。焦がさず、ムラが出ないように注意しながら煮ます。

豆乳が煮えたら、洋子さんの出番。湯葉を取った後、幻の豆腐を作るための重要な工程に。にがりを使わず、前日に汲んできた海水を豆乳に入れて固めますが、海水に含まれた塩化マグネシウムで豆乳が固まり、塩気も加わるそう。ダビッドさんは「信じられない方法です」と驚きの表情に。

海水はそのまま使うのではなく、サンゴを通して濾過。手間と時間がかかるため、伝統的製法を守る店は激減。味を似せるために食塩を入れる店もあるそう。

海水によって温度が変わるため、すかさず薪を逃して火力を調整。火が弱すぎると固まりにくく、強いと硬い豆腐になってしまいます。豆腐が自然に寄ってきて固まることを、沖縄の方言では「ゆしる」といい、四角い状態にする前の豆腐は「ゆし豆腐」と呼ばれ、沖縄では袋に入れて販売されています。

汁の部分と豆腐を一緒にすくって飲むのが、ゆし豆腐の食べ方。早速いただいたダビッドさんによると、海水の塩分があるそう。実は、宮古島の海水で作った塩はミネラル成分の多さでギネス世界記録にも認定されたほど。きれいな海がなければ、幻の豆腐は作れないのです。

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このゆし豆腐を木箱に詰め、水抜きをします。切った時に穴が開いていない豆腐にしたいとの思いから、何度も詰めては水を抜くため、中身はぎっしり。栄養成分は一般的な豆腐の1.4倍以上! ダビッドさんも水抜きをお手伝いさせていただきました。

あとは切り分けて、袋詰め。ゆし豆腐から作った島豆腐の出来上がりです! 豆腐をたんぱく源としてよく食べる沖縄では、一丁の重さはなんと1キロ。出来立てをいただき、「冷たい豆腐を温めて食べるのとは美味しさが全く違います」とデビットさん。

配達は長女の明日香さんが担当。切り終わって袋に詰めたらすぐにスーパーに持っていきます。沖縄県民が温かい豆腐を好むのは、家庭で出来立ての豆腐を食べていた名残。そのため、国が冷たい豆腐の販売を義務づけた際、沖縄県民は猛反対。昭和49年に、温かいまま豆腐を売る特例を認めさせたそう。

その夜、ダビッドさんの歓迎会が開かれました。食卓には幻の豆腐を使った郷土料理が並び、ダビッドさんもお手製の湯葉パスタを振る舞うと「ずみ!(最高)」と大好評! 締めに、ゆし豆腐をのせた味噌ラーメンをいただき、大満足!

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別れの時。ダビッドさんは感謝の思いを綴った手紙を読み上げ、「毎日早朝からよく働く日出男さんに勇気をもらいました。洋子さんは家族を引っ張り、とてもユーモアのある方です。これからも宮古島の人を笑顔にしてあげてください」と伝えます。お土産に、明日香さんが描いたダビッドさんの似顔絵と泡盛をいただき、ハグを交わして別れを惜しみました。

あれから3年。ダビッドさんのビデオレターを、富山の長枝さんご夫婦、宮古島の山村さんご夫婦のもとへ届けます。

ダビッドさんは、ニッポンでの経験を生かし、毎朝6時から6人の従業員と豆腐作りに励んでいます。

大豆は一晩水に浸けたものを使用。これは「長江屋豆富店」で学んだ工程です。水を含んだ大豆は茹でずに機械にかけ、豆乳とおからに分けます。スッキリした味わいになる生しぼりも、「長江屋豆富店」で学びました。「日本に来られたのが役に立っていてよかった」と長枝さん。

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しぼった豆乳を窯で煮て、日本製のにがりを入れますが、ここで溜まり醤油もブレンド。フランスでは、味がついた豆腐を好む人が多いので考案したそう。にがりを混ぜる時は、「豆腐はデリケートだから女性を扱う気持ちで混ぜなさい」という、洋子さんの言葉を思い出しています。

こうしてたまり醤油味の豆腐が完成。2つの店の良さを生かした豆腐は、チリや紅茶など全5種類。味付きのため、島豆腐のような硬めの仕上がりです。

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ダビッドさんの豆腐は、フランス最大級のオーガニック食品を扱うスーパーに置かれており、お客さんの評判も上々! コロナの影響で外出制限が出されたフランスでは、自宅での食事が増加。健康を気遣いヘルシーな豆腐を食べ始める人が増えたそう。

ダビッドさんの会社の売り上げも、ニッポンに行く前の2倍以上に。今年の売り上げ予想は1億4000万円だそう。これには山村さんも「桁が違う」とびっくりです。

豆腐作りで大成功を収めたダビッドさん。ニッポンで皆さんにもらったお土産は、今も大切にしています。美千子さんにもらったレシピは、新しい豆腐料理のメニューを考える時の参考に。似顔絵も部屋に飾って眺めているそうで、「宮古島は町も人も『ずみ(最高)』でした」。

今後は新工場を建設し、豆腐を増産する計画で、2年後に完成する予定。最後にダビッドさんは「工場が完成したら、皆さんをフランスにご招待したいと思っています」と呼びかけました。

ダビッドさんをニッポンにご招待したら、学んだ知識を生かした豆腐作りで、フランス中に豆腐文化を大きく広めていました!


月曜夜6時25分からは、ゲストに戸田菜穂、望月歩を迎え、月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」"メロンパン&タミヤ"愛す外国人 を放送!

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