M-1決勝で対決!笑い飯、オードリーの漫才は「気に食わなかった」:あちこちオードリー

公開: 更新: テレ東プラス

裸のトークバラエティ「あちこちオードリー」(毎週水曜夜11時6分放送)。12月7日(水)の放送は、笑い飯(西田幸治哲夫)が初来店。同世代なのに共演ほぼなしの笑い飯とオードリーが、お笑いについてマジトーク!

ダブルボケ誕生の瞬間

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事務所に入らずインディーズ時代を経て、吉本興業に所属した笑い飯。2002年の「M-1グランプリ」では、当時全くの無名ながら"ダブルボケ"という斬新なスタイルで決勝進出、世間に衝撃を与えた。実は、笑い飯にとって、あの時のM-1が「テレビ出るの3回目ぐらい」だったそう。

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同世代ながら、笑い飯とオードリーがじっくり話すのは、今回がおそらく初めて。若林がダブルボケが生まれた瞬間」について聞くと、お互いボケの2人は"ツッコミも必要かも"と気付き、暗黙のうちに「ボケ1回交代になってた」と哲夫。普段から、飲んでいる時にダブルボケのようなノリで遊んでいたという2人にとっては、自然の成り行きだったようだ。

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「M-1」には2010年で優勝するまで、2002年の第2回から9年連続で決勝進出。初登場で3位、翌年2位で、3回目の2004年こそは!という思いはあったというが、「絶対俺らよりもオモロい人がいてはる」と哲夫。毎年、「1組おらんかったら俺ら優勝ちゃうんかい!」と悔しい思いをしていたという。

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「違うネタやったらどうやっただろうな」とも考えたという西田。ネタを決めるのは"寸前"で、2人の意見が合う時もあれば、合わない時も。2009年の決勝1本目、当時の審査委員長・島田紳助が史上初の100点をつけた伝説のネタ「鳥人」を披露したが、西田は反対したという。

理由は、ボケのワードが「目くそ」「鼻くそ」など汚かったから。このネタは最終決戦まで上がれないと思ったという西田だったが、哲夫は「絶対に文句なしでウケる形に変えていった」と、どうしてもこのネタで勝負したかった。周りの人に「西田くんに『あのネタ面白い』って言って、そそのかしてください」と頼み込み、周りから固めるというロビー活動も!?

結果、「鳥人」で100点を獲得するのだが、これはM-1の歴史の中で笑い飯だけしか成しえていない快挙。しかし、最終決戦で披露した2本目のネタ「チンポジ」がハマらず、優勝を逃してしまう。「鳥人」が評価されたことを受け「土壇場でもあれ系のメルヘンなネタに差し替えられた」と、今なら考えられたものの「当時は出来なかった」と哲夫。M-1は同じようなネタを2本やった方が優勝できる風潮があったが、「チンポジはそれを乗り越えられる!」と信じていたと心境を語り、笑わせた。

また、2004年には制限時間4分のところ2分以上オーバーするという事件も。6分半のネタを、早口でネタ合わせをしてなんとか4分50秒に。しかし、本番ではやはり6分半になってしまい、袖でスタッフが「番組潰す気か、アイツら!」とセットを蹴りながら怒鳴り散らしていたという。M-1が制限時間に厳しくなったのは、笑い飯のせいだった!?

そして、数々の伝説を残してきた笑い飯が、自分たちが思うM-1最強のネタについてのトークも!

オードリーの漫才は「気に食わなかった」

2008年のM-1決勝では、笑い飯と、敗者復活で勝ち上がったオードリーが対決。笑い飯にとってオードリーはノーマークで、名前すら聞いたことがなかったという。

オードリーが披露したのは、吉本では異質な"キャラ漫才"。若林が「オードリーの漫才って、気に食わなくなかったですか?」と尋ねると...

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「気に食わなかったよ」と西田。「何キャラ決め込みやがって」と思っていたという。これには春日も「そんな風に思われていたんだ」と驚きの声。一方、哲夫は「これはこれでオモロいやんけ」と感じていたそう。

その他、事務所に入らず尖っていたインディーズ時代からの盟友・千鳥とのエピソード、漫才以外のテレビ出演での葛藤と戦略、若林が笑い飯に会ったらどうしても話したかった事なども。さらに、「24時間テレビ」での坂上忍VS哲夫事件の真相も明らかに! 「プロレスじゃなくて、ガチのレスリングだった...」事前打ち合わせとは違う展開に、哲夫の脇汗が膝まで滴った!?


次回の放送は、若林が憧れている芸人・酒井貴士(ザ・マミィ)、岡野陽一山添寛(相席スタート)が来店。山添のギャンブラー心理に一同驚愕!「あれからえらい目にあってる」という若林、一体何が!?