リトアニア男性がニッポンの職人に畳を学ぶ!職人一家との心温まる交流も!:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(月曜夜8時)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

今回は、「ニッポンにご招待したら人生変わっちゃった! スペシャル」をお届けします。

合掌造りに畳作り...ニッポンの伝統文化に触れる

紹介するのは、リトアニアに住む、「合掌造り」と「畳」を愛するヴァルダスさん。

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ヴァルダスさんが夢中になっているのは、ニッポンの「村」。野武士から村を守る映画「七人の侍」に感銘を受け、15年前に田舎の安い土地を購入。もともと建築設計の仕事をしていたこともあり、村を作ろうと独学でニッポンの建築技術を身につけ、灯籠や井戸なども自分で作ったそう。

村好きが高じて「中村」と名乗るほど村を愛するヴァルダスさん。本業はデザイナーで、ニッポンとリトアニアの国交25周年を記念するロゴが採用されたことも。しかし収入はそれほど多くなく、3人の子どもを育てるのがやっと。ニッポンには行けないため、リトアニアにニッポンの村を作っています。

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子どもたちが成人し、奥さんのダリャさんと暮らすようになって、ようやく村作りに打ち込む時間が取れるように。かき集めた廃材を材料に、10年かけて村を作り上げました。
中でもこだわったのが、たった1人で3年を費やして建てた日本家屋。しかし、ニッポンにはまだ一度も行ったことがないヴァルダスさんには、理想の家がありました。

それは「合掌造り」の家。合掌造りとは、岐阜県の白川郷や富山県の五箇山に残る、茅葺き屋根の民家。豪雪地帯のため、雪が落ちやすいよう45度から60度に傾いた屋根が特徴で、村人総出で行う葺き替え作業は、村の風物詩となっています。

「私はまるで女性に恋をするように、ニッポンに心を奪われました。ニッポンの文化を知れば知るほど、愛が深まっていったんです」。そんなヴァルダスさんを、ニッポンにご招待! 5年前、念願の初来日を果たしました。

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向かったのは、富山県の世界遺産「五箇山」。かつては陸の孤島といわれた山深い集落で、この土地独自の文化が守られてきました。
その一つが、江戸中期から昭和にかけて建てられた合掌造り。合掌造りという名は、手を合わせた「合掌」の形が由来だとか。夢にまで見たニッポンの原風景を目の前にしたヴァルダスさんは「ずっと憧れていた場所ですよ!」と大興奮。

厳しい自然環境の中、先人たちが築いてきた合掌造り。ヴァルダスさんが知りたかったのは、茅や木で作られた家が、なぜ何百年も維持できるのかということ。その秘密を知るため、築220年の集落で最も大きな合掌造り「合掌の宿 庄七」を見せていただきます。

茅葺き屋根の「茅」は、通気性がよく、断熱性もあることから屋根の材料に使われてきた草。茅は山にある「茅場」から収穫しますが、茅場は家ごとに指定されています。そんな茅を長持ちさせるために欠かせないのが、囲炉裏。囲炉裏で火を焚くと煙で家が燻され、この煙には防虫・防腐作用があり、茅を丈夫にする効果があるのです。

家を支える梁には、雪の重みで根曲がりした部分を使っています。重さに耐えた木材はとても丈夫で、家の強度が増すそう。ちなみに、この家の広さは約200平米で、1階部分は大工さんが、2階から上は集落の人たちの手で造られています。

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宿のご主人、池端良公さんによると、合掌造りの2階は人が住むところではないとのこと。ここで行われていたのは、村人たちの生活の糧だった養蚕です。さらに、養蚕で出た蚕のフンは、ヨモギやヒエガラと混ぜて床下へ。囲炉裏の熱などで培養させ、「塩硝」という火薬の原料も製造。当時はお米の代わりに、年貢として納めていたそう。

もう一つ作っていたのが、障子などに使われる和紙。蚕が育たない冬に作られた五箇山和紙は、洗濯ができるといわれるほど水に強く、障子一枚で雨や雪を防げるのです。

合掌造りについて学んだ後は、山と川の幸を使った山里料理を堪能。畳の上に布団を敷き、憧れのニッポンの生活を満喫したヴァルダスさんでした。

続いて訪れたのは、熊本県。実は、リトアニアで日本家屋を造ったものの、本物の畳は高級品のため、化学繊維のござで代用しているヴァルダスさん。畳がどうやってできているのか、材料から詳しく知りたかったのです。

和室の床に欠かせない畳は、ニッポンの風土に合わせて生まれ、気品と安らぎを与えるニッポン独自の文化。冬は室温を逃さず、夏は外の暑さを遮る天然のエアコンです。現存する最古の畳は、1200年以上前の奈良時代のもの。当時はござのように薄く畳めたことから、畳という名になったとか。

最近は洋室人気に押され、生産量は最盛期の3分の1に。しかし近年、畳の材料となるい草に集中力を高める成分があるとわかり、学習塾などで敷くところも増えています。

い草は、そのほとんどが熊本産。水はけが悪く台風が多かったため、い草栽培が盛んに。夏になると一面が鮮やかな緑色に染まります。今回は200年の伝統を受け継ぐ、い草農家の岡初義さんにお世話になります。

一畳に使われるい草は、約4000〜5000本。これを織り機にかけ、ござ状の畳表に仕上げます。ここまでがい草農家の仕事で、出来上がった畳表は畳職人のもとへ。藁を圧縮した畳床に被せて畳縁をつければ畳の完成です。

早速、畳表作りを見せていただくことに。まず、岡さんの息子さんが、い草を選別。ここで折れているものを取り除き、さらに岡さんもチェックして根が白っぽいものを除外します。機械では識別できない色の違いを、人間の目でチェック。ヴァルダスさんは「これほど細かい検品作業があるなんて」と驚いた様子。

厳しく選び抜かれたい草を織り機にかけ、縦に張られた麻糸に、左右からい草を交互に通して織り上げていきます。最後の検品は、奥さんの仕事。い草に張っていた蜘蛛の巣を手で取り除きます。目を凝らさないと見逃してしまうほど、細やかな作業です。

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「繊細な仕事です。皆さんの畳表への深い愛情が伝わってきます」とヴァルダスさん。最後に、岡さんにお世話になった感謝を伝え、握手を交わしました。

あれから5年。岡さんに放送後の変化について伺いました。
4年前、八代市の姉妹都市、台湾の基隆市で開催された物産展で、岡さんは畳表やい草をPR。すると、瞬く間に現地で寝ござが評判になったそう。これを機に、寝ござやい草のドライフラワーを輸出するようになったといいます。い草のドライフラワーは、飾っておくだけで和室の香りが漂う天然の芳香剤になるそう。

さらにヴァルダスさんの影響を受けて、岡さんも日本家屋を新築。玄関に畳を、襖には畳表を使っています。岡さんはヴァルダスさんに、「私も日本古来の昔ながらの家を建てました。良かったら遊びに来てください」と伝えました。

続いて向かったのは、同じ熊本県内にある畳屋さん。創業70年以上の「髙濱畳店」にお世話になります。熊本城の築城400年を記念して行われた復元工事では、580枚もの畳を新調。その中で最も格式ある「昭君之間」の張り替えを任された職人が、髙濱義和さんと、父親で親方の豊さん。

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採寸、畳床の裁断、框(かまち)縫い、平刺し、返し縫いと、5つの工程を経て出来上がる畳。この日、豊さんが手がけていたのは、仏様の前に置く置き畳です。家庭用の畳は機械製が多くなりましたが、お寺などの畳は今も手縫いが基本。その理由は、畳のフチを保護する「縁(へり)」にあります。神社やお寺で使われるのは「紋縁(もんべり)」というもので、隣り合う模様を揃える必要があり、時間と手間がかかるそう。

ここでヴァルダスさんから、機械ではできないのかと質問が、義和さんによると、最終的に人間の手で微調整が必要になるので、機械では難しいとのこと。「畳は日本文化の最髙峰ですね」というヴァルダスさんに、「うれしいですね」と笑顔で返す義和さん。

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その夜は、歓迎会が開かれました。義和さんのお母さん、ツギエさんが出してくださったのは、郷土料理の「だご汁」。小麦粉を練った団子と野菜を入れた汁で、髙濱家ではスルメを加えてコクのある出汁に。ヴァルダスさんは「とても美味しい」と、初めてのだご汁に舌鼓を打ちました。

翌日、新しい畳に入れ替えるお宅があるということで、作業を見せていただくことに。
向かったのは、400年以上の歴史を持つ西蓮寺の隣にある、住職さんのご自宅です。居間として使っている6畳の部屋は、家を建てた14年前から畳を変えていないそう。

畳の出入り口の付近は擦れて白くなっており、部屋の歪みによってできた隙間や、柱の出っ張り部分に合わせて微調整が必要なところも。畳は一枚一枚大きさや形が異なるため、部屋の寸法を細かく測り、隙間なく敷けるようサイズを決定。ミリ単位で異なる6枚の畳を製作し、ようやく搬入となるのです。

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まずは、古い畳を外へ出します。ヴァルダスさんも率先してお手伝い。そして新しい畳を傷つけないよう慎重に搬入し、縁を合わせてゆっくり降ろせば、隙間なくピッタリ!
畳の敷き方にもルールがあり、外側から渦を巻くように敷くのが一般的ですが、葬儀など不祝儀の時には、縁が四つ辻になるよう敷き変えます。

最後の1枚を敷き、一寸の隙間もないかと思いきや......豊さんがチェックすると、わずか1ミリにも満たない段差が。新聞紙を折って畳の下に入れ、微調整すると高さが合いました。隙間なく敷かれた畳を目にし、「本当に素晴らしいです。職人の技ですね」と感動!

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そして別れの時。畳の作業工程の写真をアルバムにしたものをいただいたヴァルダスさんは、「これは秘伝の書ですよ」と大感激。ヴァルダスさんからは、髙濱畳店のためにデザインした、畳と日の丸をモチーフにしたロゴをプレゼントしました。豊さんは、「髙濱畳店のマークにします」と大喜び。

さらに、義和さんから「親方が仕事終わって作りました」と渡されたのは、なんと半畳の畳。「こんな素敵なものをいただけるなんて」と驚き、感謝を伝えます。

「ニッポンの職人さんに出会えて光栄でした。これからもお元気で畳を作り続けてください」

最後に髙濱さん親子と握手を交わしました。