ありがとう三遊亭円楽さん!落語を愛するジョージア女性を直々に稽古:世界!ニッポン行きたい人応援団

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ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(月曜夜8時)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

9月30日、肺がんのため逝去された六代目三遊亭円楽さん。実は番組で、ニッポンにご招待した落語好きの外国人女性、ケタさんを快く受け入れてくださいました。
そこで今回は、「ありがとう三遊亭円楽さん ケタさんの落語修業密着スペシャル」をお送りします。

憧れの三遊亭円楽さんから指導を受け、大観衆の前で落語を披露!

紹介するのは、東欧・ジョージアに住む、「落語」をこよなく愛するケタさん。

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ニッポンの伝統芸能の一つ、落語。江戸時代は大衆の一番の娯楽で、当時は落語を観られる小屋が200軒以上あったそう。明治時代には、落語界に大きな功績を残した三遊亭圓朝が登場。今でもレパートリーに加えられている「芝浜」や「死神」といった名作を生み出しました。

昭和になると、破天荒な生き様と芸風で人気を誇った五代目古今亭志ん生、滑稽話を得意として落語家初の人間国宝となった五代目柳家小さん、陽気なギャグで一世を風靡した初代林家三平など、スターが続々と誕生。平成には漫画「昭和元禄落語心中」が大ヒットし、現在首都圏では月に1000件もの落語のイベントが開催されています。

ケタさんは、17歳の時にインターネットで桂歌丸さんの落語を観て興味を持ち、落語の歴史なども勉強しています。あまりに落語が好きすぎて、「寿限無寿限無......」という有名なフレーズを暗記。扇子を使って蕎麦を食べる仕草もできるように。しかし、まだ一度もニッポンに行ったことはありません。

そんなケタさんを、ニッポンにご招待! 4年前、念願の初来日を果たしました。

向かったのは、東京・新宿にある老舗の寄席、末廣亭。1946年に建てられた、現存する中で最も古い寄席小屋です。今も当時のまま、改築せずに保存されています。

1年365日、毎日落語が観られる寄席の由来は「人が集まる席」という意味なのだそう。江戸時代、200軒あったといわれる寄席は、今では都内に4軒のみ。その一つである末廣亭を、落語家の金原亭馬久さんに案内していただきます。

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初めての寄席に、「信じられない!」と大喜びのケタさん。ここで気になったのは桟敷席。椅子席よりも高い位置にあり、両サイドにあるのが基本的な作りで、この桟敷席があるのは末廣亭だけ。桟敷席に上がらせていただき、昔ながらの寄席に感動!

落語はもともとお座敷芸として行われていたため、舞台には床の間も。さらに、照明にも特徴があります。落語は話している落語家さんがお客さんの反応を見て、話をいろいろ変えていくもの。お客さんの顔を見るために、開演しても客席は明るいままなのです。

いよいよ開演の時間に。まずは前座の落語家さんからスタート。前座はプログラムに名前がなく、プログラムの一番手の前で落語をするので、前座と呼ばれています。前座が終わると、「二ツ目」といわれる落語家さんが登場。馬久さんも二ツ目で、真打ちを目指して奮闘中です。

また、寄席は落語だけでなく、紙切りや漫才、曲独楽なども観ることができます。こうした落語以外の芸は「色物」といわれ、寄席の看板に赤い文字で書かれたことからそう呼ばれるようになったとか。

そして、1日の最後の出番は「トリ」。その日の全出演者のギャラの取り分を決める人という意味ですが、現在その風習はないそう。

初めて寄席を体験したケタさんは、「落語以外にもいろんな芸があることにびっくりしました」「寄席の雰囲気が、私が思い描いていた江戸時代のようで夢心地でした」と大満足!

続いて訪れたのは、群馬県前橋市のまえばしホール。なんと、ケタさんが会いたかった憧れの人、六代目三遊亭円楽さんが待っていました。

円楽さんは、20歳の時に五代目圓楽に入門。楽太郎という名前をもらい、1981年に真打ちに昇進。2010年に六代目円楽を襲名しました。4年前に亡くなった歌丸さんとの、「笑点」での名コンビも有名です。今回ケタさんのことを話したところ、お忙しい中、時間を割いてくださいました。

憧れの円楽さんに会えて、大感激のケタさん。ここで、ジョージアで録画したケタさんの落語の動画を観ていただくことに。演目は「寿限無」という古典落語です。

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動画を観た円楽さんは、「日本語としても正しいし、聴いていて景色が見える」と褒めてくださいました。ただ、話しかけている相手に目線を向けていないと指摘。「そこを直せばすごく良くなるよ」とアドバイスも。さらに後日、直々に稽古をつけてくださることに!

この日、円楽さんは、まえばしホールで落語会に出演。円楽さんの落語を初めて生で聴いたケタさんは、「すごかった」と感動! 「今度、お稽古でお会いする時にはもっといろいろなことを聞いて落語を学びたいです。このチャンスを無駄にしたくありません」と、次の稽古に向けての意気込みを語りました。

続いて向かったのは、浅草演芸ホール。円楽さんの口添えで、4年目の桂竹もんさんから、見習いの仕事について教えていただくことに。浅草演芸ホールの方たちにも協力していただき、修業をしている前座さんたちの仕事を見学させていただきます。

落語の世界では、弟子入りをすると、まずは前座見習いを3カ月から1年。そしてようやく寄席に入ることができる前座になります。個人差はありますが、4年ほどして二ツ目に。真打ちになるまでには、弟子入りからおよそ10年以上かかるのが一般的です。

寄席では、常時5人ほどの前座さんが師匠のお世話をしています。皆さん落語の世界に入って日が浅いので、名札をつけて師匠に名前を覚えてもらいます。

皆さんの仕事を見学していたケタさんが気になったのは、お茶を運ぶ仕事。熱いお茶や冷たいお茶を、何度も運んでいます。竹もんさんによると、熱いお茶や濃いお茶など、7種類のお茶があるとか。それを、寄席に来た瞬間に1杯、着替え終わって2杯目、落語が終わった後に3杯目......というように何度も運びます。しかも、その都度お茶や飲み物の種類が変わるそう。

前座になると、たくさんの師匠の好みを覚えるため、落語家さんのプロフィールが掲載されている本に、お茶だけでなくさまざまな飲み物の種類を書いて覚えなければなりません。

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ここでケタさんが、「お茶の種類を覚えるのと、落語がうまくなるのは違うと思うのですが」と質問すると、「1人の人を喜ばすことができない奴が、100人、200人、1000人を喜ばすことはできないってこと、気遣いですね」と竹もんさん。ケタさんは、「1000人のお客さんを喜ばせられるようになるために、今頑張ってるんですね」と納得。この教えを竹もんさんに説いたのは、桂歌丸さんだそう。

前座さんは、ネタ帳を書くのも仕事。ネタ帳とは、その日に落語家さんたちが高座にかけた演目を記したもの。師匠はこのネタ帳を見て、今日どのネタをするか考えます。修学旅行の学生が来ている日は、色っぽいものや夫婦を扱ったものは避け、学生にもわかる演目にするとか。

他にも出囃子の太鼓演奏や、師匠の着付けの手伝いや片付け、座布団を返す高座返し、出演者の名前が書かれた札をめくるのも前座さんの仕事です。一杯のお茶を丁寧に淹れることから始まる落語家の修業は、長く険しい道のりです。

続いてやってきたのは、東京・湯島。寄席で使われるビラやチラシなどの文字を書く、書家の橘右之吉さんにお世話になります。

江戸時代から寄席小屋のビラや看板に使われていた専用の字体をビラ文字といい、それを落語家だった橘右近さんが、昭和40年に寄席文字と名づけました。右之吉さんは橘右近さんの弟子で、ニッポンを代表する寄席文字の書家。歌舞伎の文字、勘亭流の大家としても有名です。

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お客様がたくさん入るようにと縁起を担ぎ、文字の余白をできる限りなくした寄席文字。墨のかすれも「お客が減る」と忌み嫌い、ベタ塗りなのも特徴です。
ケタさんは、落語に興味を持ち始めた時から寄席文字も好きになったそう。

早速、寄席文字を書くところを見せていただきます。右之吉さんが使うのは、穂先が太く短い筆。より太く書くために、筆先ではなく筆全体で書くのも寄席文字の特徴です。ケタさんは、太い部分は絵のように何度も塗っていると思っていました。

今度は、寄席文字を書いてみたいケタさんのために、カタカナで手本を見せてくださいました。ケタさんの「タ」を書く際は、「お客様がたくさん入るように」と余白をなくすため、横の棒をわざとはみ出させて書くそう。ケタさんも挑戦させていただき、念願の寄席文字を書くことができました。

別れの時。右之吉さんから、寄席文字で「夢」と書いた色紙と、「卦多(ケタ)」と書いた携帯ストラップをプレゼントしていただいたケタさん。「今日は本当にありがとうございました。勉強になりました」と感謝を伝えました。

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翌日は、円楽さんとの稽古の日。ジョージアから持ってきた着物を着て、稽古をつけていただきます。以前、円楽さんから目線の動きを指摘されていたケタさんは、少し緊張している様子。

ケタさんの落語を聴き、「前橋で見せてもらった動画よりしっかりしてる。わかってくると違うでしょ? 寄席に行ってみて、今日みたいにお稽古したら入ってくるものがあるでしょ?」と円楽さん。改善ポイントとしては、一本調子にならないために、気持ちをこめて登場人物ごとに口調を変えることが大切だと教えてくださいました。

落語と日本語の関係も解説。日本語は、1人称だけでも「わし」「私」「俺」「ぼく」「拙者」などがあり、それぞれ老人、紳士、青年、子供、武士を表します。言葉の使い分けで声色を変えずに年齢や人物像まで表すことができるため、落語という話芸が発展したのです。

「(稽古の成果を)楽しみにしています」と円楽さん。この日だけ稽古をつけるはずでしたが、なんともう一度落語を見てくださることに!

成果を見てくださるのは2日後。ホテルに戻り、すぐさま今日の復習をします。翌日は公園で、次の日は歩きながら練習し、いよいよ成果を見ていただく日がやってきました。

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この日、円楽さんは横浜の「にぎわい座」で落語会に出演。円楽さんのもとに向かうと、思いもよらない言葉が。なんと、お客さんの前で披露してみないかと円楽さん。実は円楽さんにとって、この場所には特別な思いがありました。

毎年12月、歌丸さんと円楽さんはにぎわい座で二人会を開いていました。しかし、2018年に歌丸さんが亡くなり、二人会を追悼会として落語会を開くことに。円楽さんは、ケタさんが歌丸さんのファンだったことも何かの縁と感じ、こんな提案をしてくださったのです。

突然の提案に驚いたものの、ケタさんは「やります、お願いします」と承諾。というわけで、およそ400名のお客さんの前で、前座として稽古の成果を披露することに。

披露するのは、古典落語の「寿限無」。子供の名前を決められない夫婦が、お寺のお坊さんに相談。たくさんの名前を紹介してもらいますが、決められずに全ての名前をつけてしまい、周りが大変な思いをするという話です。クライマックスは、長い名前を勢いよく流暢に話せるかがポイント。

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本番まで、円楽さんから高座での喋り方などのアドバイスを受け、楽屋でも稽古を続けます。出番が近づくと、円楽さんが、急遽出演することになったケタさんのことをお客さんに説明。そしていよいよ、高座へ! 「どうも、ケタと申します」と名乗り、喋り始めるケタさん。最大の見せ場ではお客さんから笑いが起こり、無事に出番を終えることができました。

円楽さんに感想を聞かれると「貴重な体験をして、ずっと落語をやり続けたいって思いました。高座に上がった瞬間は忘れません」。クライマックスの見せ場でお客さんにウケたことが嬉しかったそう。円楽さんからは「気持ちは大丈夫、こもっていました。熱意も伝わりました。合格」と嬉しい言葉をいただき、ジョージア語で「ケタさんへ」と書かれた扇子もいただきました。

別れの時。円楽さんとお別れをするために劇場で出待ちをしていると、お客さんが「上手でした」「頑張ってください」と声をかけてくださいました。「ありがとうございます。優しすぎる、日本人は」と、皆さんの応援に感動!

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円楽さんに、「本当に会えるとは思わなかった。本当に会えたら何も言えないくらいびっくりして、一番幸せな10日間だった。ありがとうございました」と思いを伝え、最後にしっかりと握手を交わしました。

あれから1年8カか月後の2020年、ケタさんからのビデオレターを、円楽さんに観ていただきます。

ジョージアで唯一、ニッポンで落語を勉強した人として、人気のテレビ番組に出演したケタさん。ニッポン滞在の思い出を話し、「寿限無」をジョージア語で披露しました。その様子を見た円楽さんは「度胸の塊だね」と感心。他の番組では、古典落語の「ちりとてちん」を日本語で披露したそう。

そんなケタさんは、猛勉強をして、東京福祉大学の留学試験に見事合格。2020年9月に入学する予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で翌年3月に延期に。

ここで、円楽さんにお願いが。「(留学したら)その時また、私の落語を観ていただけないでしょうか」と呼びかけます。すると、「ニッポンへ来たらお稽古にいらっしゃい」と快く応えてくださいました。

しかしその後、2021年3月に予定していた留学は、感染が拡大したこともあり、さらに延期。未だニッポンへの留学が実現していない中、円楽さんは帰らぬ人に......。

番組スタッフがジョージアに向かうと、ケタさんはすでに円楽さんの訃報を知っていました。番組でケタさんを知ったニッポンの視聴者から、SNSを通じてメッセージをもらい、知ったそう。「すごくびっくりしました。亡くなったことが悲しいです」。

ケタさんは現在も落語の練習を続けており、ジョージアで自ら企画した寄席で披露しています。延期になっている留学については、今年改めて書類を送り、返事を待っているところで、来月には行けるかもしれないとのこと。「もしまた延期になっても諦めない」と意欲を見せます。

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留学した際には、「日本語を勉強して、落語をやって円楽師匠のお墓参りをしたいです」と話すケタさん。「円楽師匠に声をかけて、もしかしたら噺を聴いてくれるかもしれませんので、必ずニッポンへ行きます!」。

再びニッポンへ行って円楽さんに会いに行く......落語を愛するケタさんの、ニッポン留学の夢は終わりません。

番組に協力いただいた六代目円楽師匠、本当にありがとうございました。