<号泣>南米パラグアイの日系人女性が家族と感動の再会...亡き両親の故郷で驚きの出会いも:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

ニッポンに行きたくてたまらない外国人を世界で大捜索! ニッポン愛がスゴすぎる外国人をご招待する「世界!ニッポン行きたい人応援団」(月曜夜8時)。毎回ニッポンを愛する外国人たちの熱い想いを紹介し、感動を巻き起こしています。

これまで番組では、多くの日系人の方々をご招待。ニッポンにルーツを持つ人たちが、家族と再会する夢を叶えてきました。今回は、遠く離れた家族の絆を繋げる「ニッポン里帰り応援団」をお送りします。

40年ぶりのニッポンで、離ればなれになっていた弟と再会

紹介するのは、南米パラグアイのイグアスに住む日系2世の中山ソフィアさんと、姪で日系3世の中山エレナさん。

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120年以上前に始まった、ニッポンから南米への移民政策。1934年に最大の移民先ブラジルで新規受け入れが制限され、新たな移住地として選ばれたのがパラグアイです。
「緑の地獄」と呼ばれた荒地を命がけで切り拓き、ニッポンから持ち込んだ野菜を栽培。農業経営の地盤を作り、持ち前の明るさと勤勉さで苦難を乗り越え、日系移民は信頼を得てきました。

ソフィアさんの父・栄助さんは、15歳の時、長崎から家族でパラグアイに移民。当時は石油利権を巡ってパラグアイとボリビアの間で戦争が勃発し、明日の暮らしも見えない状況でした。そんな中で必死に生き抜き、26歳の時に同じ長崎出身のツマさんと結婚。長女・ソフィアさんが誕生すると、その後も子宝に恵まれ、8人姉弟に。

戦後も治安が悪く、各地に盗賊団が出没。過酷な暮らしの中、幼いソフィアさんは両親を少しでも支えたいと、弟たちの世話をしていました。母・ツマさんから、味噌汁や筍料理などニッポンの味を教わり、弟たちによく食べさせていたそう。

苦労の絶えない暮らしの中で、両親が常に大事にしていたのは日本人の誇り。義務教育とは別に、8人の子ども全員を日本語学校に通わせるため、懸命に働きました。
両親から受け継いだ日本人の誇りを胸に、高校卒業後、学校の先生になったソフィアさん。パラグアイの子どもたちにもニッポンの作法や礼儀を伝えたいと奮闘し、パラグアイの日本大使館からその功績を表彰されました。

一方の弟たちも、それぞれ家庭を持つと、家族に少しでも楽をさせたいとニッポンへ出稼ぎに。ソフィアさんも20代の頃に一度、教育研修のためニッポンを訪れたものの、それ以来40年以上、パラグアイで教師一筋。さらに、ニッポンに渡った弟たちに代わり、両親の面倒も見てきました。

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そして32年前に、栄助さん、15年前にツマさんが他界。ソフィアさんは「兄弟を大事に」という両親の言葉をいつも大切にしてきましたが、三男・タデオさんと四男・フェリペさんはニッポンでの生活が忙しく、母の死に目にも会えませんでした。やり取りはたまに送られてくる手紙のみで、タデオさんとは18年、フェリペさんとは29年会っていません。

70歳になったソフィアさん。元気なうちに、ニッポンにいる弟たちに両親の思いを直接伝えたいと考え、そのために定年後も40キロ離れた大学で講師を務めています。ただ、給料は日給制。大雨で道路が冠水して職場に行けない日も多く、月にもらえるのは6万円がやっと。物価も高く、生活はギリギリです。

さらに、タデオさんの娘・エレナさんもニッポンでお父さんに会いたいと願っています。母やソフィアさんの面倒を見るためパラグアイに残ったエレナさんは、父親と18年顔を合わせていません。「お父さんと過ごした時間は短かったので、散歩やご飯を食べたりするのが夢です。一目でいいから会いたい」と涙ぐみます。

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そんなソフィアさんとエレナさんを、ニッポンにご招待! 3年前、ソフィアさんは40年ぶり、エレナさんは生まれて初めて来日を果たしました。

来日したのは11月下旬。昼間は40度近くになるイグアスと違い、この日の気温は8度!寒さに驚く2人でしたが、ツマさんからよく聞いていたニッポンの四季が織りなす紅葉を見ることができました。いつか見たいと思っていた景色に感動していると、そこにタデオさんの長男でエレナさんのお兄さん、松男さんが! 2人のために協力を買って出てくれたのです。

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ソフィアさんにとっては甥にあたる松男さん。イグアスにいた頃は、息子のように可愛がっていたそう。教師だったソフィアさんに勉強やしつけを叩き込まれた松男さんは、今は在日パラグアイ共和国大使館に勤務しています。

早速、タデオさんの自宅がある埼玉県坂戸市へ。タデオさんを驚かせたいと、2人の来日は秘密にしているそう。誰よりも家族思いだったタデオさんは、いつも手紙に「姉さんや娘に会いたい」と書いていました。

松男さんの提案で、まずはソフィアさんから会いに行くことに。18年の時を超え、お姉さんと再会したタデオさんはびっくり! 「急だから心の準備できてないよ」と言いながらも、うれしそうです。弟と再会できたソフィアさんも、「本当に幸せ」と笑顔に。続いて娘のエレナさんとも対面し、タデオさんは「でっかいサプライズだ!」と大喜び。

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リフォーム関連の会社で働くタデオさんは、出張で不在の次男・光男さんが建てた家で一緒に暮らしています。額に飾られていたのは、40年前の家族写真。ニッポンでつらかった時は、この写真を眺めて元気をもらっていたとか。

するとソフィアさんが、生前のお母さんの写真を渡しました。ツマさんが亡くなった当時、タデオさんはニッポンで家族を養うのに精一杯。金銭的にもパラグアイに戻ることはできず、最愛の母の死に目に会えなかったことを、ずっと悔やんでいたといいます。

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「家族全員で集まって暮らした方が一番いいって、母にいつも言われていた」とタデオさん。
亡くなる数時間前、ツマさんから電話で告げられた「姉弟、絆を確かめ合うように」という言葉が心残りだったそう。母の写真を渡すことができたソフィアさんは、「今回来て、本当にもう何も、これから欲しいなって思うことはないね」と話します。

ここで、18年ぶりに会いに来てくれた姉と娘をもてなしたいと、タデオさんが料理を振る舞うことに。肉料理中心のパラグアイでは、どこの家庭にも肉専用の冷凍庫があるそうで、タデオさん宅の冷凍庫にも大量の豚肉が! 豚肉を使った手料理に舌鼓を打ち、家族水いらずのひと時を過ごします。

すると、そこにタデオさんの兄・エンリケさんが訪ねてきました。定年後に一度パラグアイに帰国し、2人とは再会を果たしていましたが、隣町の川越市に住んでいるからと、松男さんがこっそり呼んでくれたのです。エンリケさんも交え、みんなで昔の家族写真を見ながら、話に花を咲かせました。