蟹江一平が”敬三先輩”から学んだ技 親子で紡ぐ「ガイアの夜明け」の物語

公開: 更新: テレ東プラス

2022年4月に20周年を迎えた経済ドキュメンタリー「ガイアの夜明け」(毎週金曜夜10時放送)。
動画配信サービス「テレ東BIZ」では、スピンオフ「あの主人公はいま...」を毎週配信中! これまで「ガイア」が追いかけてきた主人公たちのいまに迫る。

このスピンオフのナレーションを、「ガイアの夜明け」初代ナレーターを務めた故・蟹江敬三の長男で俳優の蟹江一平が担当。過去の放送を蟹江敬三のナレーションとともに振り返り、主人公たちを追跡取材した"いま"を蟹江一平が伝えている。

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役者になり、23年経ったいま、スピンオフで"親子共演"が実現。偉大な父から何を学び、どんな思いでナレーションに臨んだのか......蟹江一平に話を聞いた。

「5分、10分でいい」次期ナレーターにと直談判

―― 一平さんはお父様が亡くなられた後、「ガイアの夜明け」本編のナレーターを切望されたそうですね。プロデューサーに直談判したというお話も伺っています。

「父が入院し、代役の役者さんが週替わりで『ガイア』のナレーションを担当していましたが、放送を見た際、僭越ながら『もう少し声を若返らせてもいいのでは』と勝手に思ってしまったんです。

その後、父の葬儀に番組スタッフの方がたくさん来てくださって、いただいた名刺の中にプロデューサーの方の名刺を見つけて...。当時の僕は所属事務所も通さず、直接その方に電話をして直談判してしまいました。『一度自分の声を聞いてくれないか』と。
電話越しにプロデューサーの方が戸惑っているのがわかりましたが、『5分、10分でいいので』とMAスタジオに押し掛けたんです。ランチタイムだったこともあり、スタッフの皆さんはおにぎりやお弁当を食べていましたが、さぞかし"厚かましいな"と思われたでしょうね(笑)。

『ガイア』の2代目ナレーターとして就任することはありませんでしたが、その翌年『日経スペシャル 未来世紀ジパング』(2011~2019年)の番組プロデューサーから連絡をいただきました。聞けば、僕が直談判した現場にその方もいらっしゃったそうで、もしかしたら何かしら引っかかるものがあったのかもしれません。
若気の至りとはいえない40代で、衝動に駆られて銀座のスタジオに押し掛けたあの時の自分を、少し褒めてあげたいところもあります」

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――「ガイアの夜明け」は、一平さんにとってどんな存在ですか。

「番組名を聞くと、やはり父の顔が思い浮かびます。僕が20代で実家にいた時、父が愛用のソファに座って、事前に届いたVTRを見ながら、分厚い『ガイア』のナレーション原稿を読んでいたことを覚えています。時にはボソボソとナレーションを口に出しながら、まさに黙々と、といった様子でした。

実家を離れてからは父と頻繁に会うこともなくなり、テレビから父の声が聞こえてくると"あの練習がここにつながっているのか"とぼんやり思うこともありました。
でも、今回スピンオフに参加するにあたり、改めて父のナレーションを聞くと、たくさんの発見がありました。初回のナレーション収録の際は、いろいろな感情が渦巻き、過呼吸のような状態になってしまったことも。ですが、落ち着いてヘッドホンに集中すると、"なるほど、敬三先輩は『てにをは』をここで立てて、主語と述語をこんな風につなげていくのか"と勉強になることが多かったです」

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――改めてお父様のナレーション術に触れ、発見があったと。

「情熱がほとばしる役者というイメージが強い父ですが、ナレーションでは冷静に、程よく気持ちを込めてバランスを取っている印象がありました。
『ガイア』のナレーションは、感情を入れすぎるとパワフルな映像とぶつかってしまうので、ナチュラルトーンが求められます。"なるべく感情を入れずに淡々と、でも言葉を立てる"、それってものすごく難しい。実はナレーションって、抑揚をつけた方が楽なんですよ。

これは想像ですが、父も回数を重ねるうち、"淡々と言葉を立てるナレーション術"を培っていったのではないかと。聞いていると、言葉の端々から"俺はこんな風に読んでいたんだよ"という父の思いが伝わってくるようです。

ただ、どれだけ偉大であっても、"父に負けたくない"という気持ちはありました。僕の中にも、『未来世紀ジパング』2代目ナレーターとして、4年半参加した自負があります。『ジパング』のナレーターを務めていたあの日々が、血肉や骨になっている。そこで培った技術を、僕なりに精いっぱいぶつけています」

――MAスタジオに押し掛けたあの日...お父様が背中を押した、という感覚はありましたか?

「それは全くありません。むしろ父は、僕が行こうとするのを止めていたはず。役者を目指したいと相談をした時も『向いていないからやめろ』の一点張りでしたから。ただ、"聞かない息子"の僕は勝手に始めてしまいましたが。
とにかく僕は褒められない息子だったので、今回の仕事に関しても、父がまだ生きていたら『お前、まだまだだな』と照れ隠しにつぶやくのではないでしょうか。

番組が20年続いた歴史があるからこそ実現した今回のスピンオフは、大げさですが、僕にとっては父との合わせ鏡のようなもの。時空を超え、こうした形で一つの作品におさまるのは、もちろん初めてのことです。見てくださった方に、何かしらの思いが伝わればうれしいですね」