トルコ人親子が96歳”ニッポンの母”と涙の再会!恩人・芳代さんの現在は...!?:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

続いて紹介するのは、トルコ・イスタンブール在住の、ニッポンでお世話になった方に会いたくてたまらないセヴィムさん。

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セヴィムさんとメフメットさんは、25年前に夫婦で来日。ニッポンの医療を学ぶため、国費で岡山大学へ留学しました。しかし、慣れないニッポンでの生活は苦労の連続。そんな2人を心配し、手を差し伸べてくれたのが、暮らしていたアパートの大家、井上剛さん・芳代さんご夫婦でした。

芳代さんはセヴィムさんが友人の結婚式に招待され、何を着ていけば良いのか悩んでいた時、自分が結婚する時に着た着物をプレゼントしてくれたそう。さらに健康を心配して、度々自宅に招いては、手料理をご馳走してくれたといいます。

ニッポンでの生活にようやく慣れた頃、セヴィムさんが妊娠。そこで生まれた赤ちゃんがギュルヒラルさんです。妊娠がわかった時は、つまずかないようアパートの階段に手すりをつけてくれ、「涙が出るほど嬉しかったのを覚えています」とメフメットさん。本当の家族のように接してくれた井上さんご夫婦には、感謝の言葉しか出てこないと語ります。

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ギュルヒラルさんを孫のように可愛がり、七五三の時には着物から料理まで全てを準備して、お祝いしてくれたそう。優しくしてくれた井上さんご夫婦と過ごした日々は、今も忘れることのできない大切な思い出です。

その後、セヴィムさんたちは4年間の留学期間を終えて帰国。ニッポンを訪れて感謝の気持ちを直接伝えたいと思うものの、経済的な余裕はなく、当時撮影した映像を家族で見ては懐かしんでいます。

2011年に剛さんが他界したという連絡があって以来、セヴィムさんは芳代さんのことをずっと気にかけていました。ご健在なら、芳代さんは96歳。元気なうちに一目会って、感謝の気持ちを伝えたいという思いがあります。

そんなセヴィムさんと娘のギュルヒラルさんを、3年前、ニッポンにご招待。17年ぶりに来日しました。

娘と一緒にニッポンの母に会うため、早速2人は岡山へ。家族で暮らしたアパートまでは駅から2キロほど。緑道を歩くと、芳代さんがお弁当を作ってくれて、お花見をした思い出が蘇ります。

3階の一室で4年半過ごしたアパートは、今も変わっていませんでした。出迎えてくれたのは、芳代さんの長女・扶美子さんと長男の繁広さん。96歳になる芳代さんもお元気でした!

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再会に感激し、涙ぐむセヴィムさんは「お母さんにありがとうって言いたい」と芳代さんに感謝を伝えます。ギュルヒラルさんも「ニッポンのおばあちゃんに会えた」と喜びました。

芳代さんは数年前に脳梗塞を患いましたが、回復して元気に。しかし、物を覚えることが少し難しくなっています。そんな芳代さんは、今でもセヴィムさんたちを思い、ギュルヒラルさんの七五三の写真を額に入れて、毎日のように眺めているとか。芳代さんは、ギュルヒラルという名前は日本人には言いにくいと心配し、「愛ちゃん」というニックネームもつけてくれたそう。

剛さんは、定年までは警察官一筋。「亡くなったお父さんのことも、私たちはトルコでいつも思い出しています。お父さんは素晴らしい人でした」とセヴィムさん。

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ここでセヴィムさんが、トルコで大切に保管していた家賃帳を取り出します。剛さんは、顔を合わせて変わりがないか確認したいと、振込ではなく家賃帳にこだわっていたそう。剛さんとの絆が詰まった大切な家賃帳ですが、「皆さんがお父さんのことを思い出せるように」と、扶美子さんに手渡しました。

いよいよ思い出が詰まった部屋へ向かいます。階段には、セヴィムさんが妊娠した時に、剛さん自ら取り付けてくれた手すりが今もありました。

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セヴィムさんたちが住んでいた部屋は、ちょうど1ヵ月前に空き部屋になったそう。17年ぶりに我が家を訪れ、昔と変わらない様子に、当時の思い出が蘇ります。井上さんご夫婦が、代々岡山大学の医大生に貸してきたというこの部屋で、セヴィムさん一家も4年半過ごしたのです。

すると、続々と家具や家電が運び込まれます。セヴィムさんたちが岡山にいる間、思い出の部屋を自由に使って欲しいと、生活道具一式を揃えてくれたのです。セヴィムさんは、思いがけないサプライズに大感動!

この日は、近くに住む繁広さんのお宅で歓迎会が開かれました。繁広さんの奥さんが準備してくださったのは、焼き穴子にさわらの酢漬け、たこなどをふんだんに盛り込んだ岡山のお祝い料理「ばら寿司」。レモン醤油で香ばしく焼き上げた、チキンの照り焼きも並びます。井上さんご夫婦の馴れ初めも聞かせていただき、楽しい時間を過ごしました。

セヴィムさんには、岡山でどうしても訪れたい場所がありました。慣れないニッポンで暮らすセヴィムさん一家のことを気にかけ、手を差し伸べてくれた剛さん。再び会うことは叶いませんでしたが、せめてお墓の前で、感謝の気持ちを伝えたかったのです。

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困った人を放っておけない性格だった剛さん。警察を退官後も、大家として、故郷を離れて学ぶ学生たちの心の支えになっていました。墓前で「ありがとうございました」と伝えるセヴィムさん。ニッポンのお父さんに、心から感謝を伝えることができました。

この日向かったのは、17年前に通っていた岡山大学医学部のキャンパス。留学中は、筒井研名誉教授と、奥さんで名誉教授の公子さんにお世話になったそう。実は、セヴィムさんには内緒で、筒井先生ご夫婦や当時の研究仲間が集まっていました。そんなことなどつゆ知らず、セヴィムさんは思い出の研究棟で、がんに関する研究をしていた日々に思いを馳せます。

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ある部屋に入ったところで突然電気がつき、セヴィムさんはびっくり! 待っていた筒井先生たちにも驚いた様子で、サプライズは大成功。ハグを交わして再会を喜び合います。

当時、筒井先生たちから教わったのは、実験を丁寧に行い、結果を出すということ。トルコに帰国後、セヴィムさんはウスキュダル大学で准教授を務め、筒井先生から学んだことを学生に伝えているそう。筒井先生によると、セヴィムさんは研究熱心で、ニッポンにいた頃は子育て中も大学に出て、深夜3時まで研究に励んだこともあったとか。思い出話は尽きることなく、心温まる再会となりました。

この日、2人は美容院へ。すると扶美子さんが、ギュルヒラルさんに着物を渡します。この着物は、芳代さんの孫の麻衣子さんが成人式で着たもの。実はセヴィムさんは、17年前の七五三の時のように、ニッポンのお母さんと娘の成人を祝いたいと願っていました。そこで、麻衣子さんが着た振袖を用意してくれたのです。七五三の時も麻衣子さんの着物だったと聞き、「もうドラマみたい」とギュルヒラルさん。

成人のお祝いに、振袖を着付けてもらいます。きちんとメイクしてもらうのも初めて。振袖姿の娘を見て、セヴィムさんは「花嫁みたいです」と嬉しそう。扶美子さんも、「この着物をまた着ていただけるのがすごく嬉しい」と笑顔が溢れます。

そして、芳代さんと一緒に向かったのは、約300年前に完成した日本三名園の一つ、岡山後楽園。成人式の記念写真の定番スポットです。子育てと勉強に追われる姿を気遣い、芳代さんが息抜きに連れて来てくれた思い出の場所でもあります。

すると、なんと岡山市の大森雅夫市長が、お祝いに駆けつけてくださいました。成人の記念に、岡山の特産品・烏城彫の手鏡をいただき、市をあげての歓迎に感動するギュルヒラルさん。

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そして、セヴィムさんが夢にまで見た瞬間が訪れます。17年前の七五三と、同じ構図の写真を撮ることができました。ニッポンの母から受けた深い愛情が、17年の時を超え、再び強い絆に。岡山大学の仲間も駆けつけ、成人のお祝いは大いに盛り上がりました。

別れの時。部屋の鍵は、セヴィムさんから次の住人、繁広さんの息子さんご夫婦に手渡されます。「ありがとうございました。一生記念に残る思い出になりました」と繁広さん。扶美子さんも「またお会いできる日があると思って」と別れを惜しみます。

「皆さんを決して忘れることはありません、本当にありがとうございました」と感謝を述べるギュルヒラルさんに、扶美子さんから、振袖を着て撮った成人式のアルバムが手渡されます。親子にとって、忘れられない思い出がまた一つ増えました。

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セヴィムさんは、色紙に日本語でしたためたメッセージを読み上げます。井上さん一家との縁に感謝し、再会を約束する言葉に、皆さん思わず涙が……。別れ際、芳代さんは「ありがとう、また来てくださいね」と伝えました。

あれから3年。セヴィムさんからのビデオレターを、繁広さん、繁広さん娘・佳奈子さんのもとへ届けます。芳代さんは、2年前に他界。98歳でした。

「お母さんを亡くした悲しみを、一緒に分かち合いたいです。そしてご家族の皆様に心よりお悔やみ申し上げます」。実は、芳代さんが亡くなった日、セヴィムさんが出ていた放送回を家族で観ていたそう。
自宅の棚には、岡山市長からいただいた記念品や井上さんからのプレゼントなど、思い出の品が飾られていました。セヴィムさんは「あの部屋で過ごした5日間、皆さんと家族に戻れたんです」と、ニッポンでの旅を振り返ります。

ニッポンがさらに好きになったギュルヒラルさんは、帰国後、オンラインで日本語を習い始めたそう。現在は日本語とトルコ語の翻訳家を目指して勉強中です。弟のユスフさんも、ニッポンに留学することを目標にしているとか。ギュルヒラルさんの日本語を聞いた繁広さんは、「愛ちゃんが日本語上手になっている!」と目を細めます。

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「ニッポンで学んだ礼儀と規律は私にとってとても大切で、その教えを胸に、大学の教授として仕事を続けています」と語るセヴィムさん。メフメットさんも、ニッポンで過ごした数年で素敵な友情が芽生えたそう。セヴィムさんはまたニッポンを訪れたいと話し、家族とともに「ニッポンに行きたい!」と締めくくりました。

セヴィムさん親子をニッポンにご招待したら、岡山への思いを強くし、さらに長女のギュルヒラルさんは日本語の翻訳家を目指して動き出していました!

月曜夜8時からは、ゲストに小芝風花、花田虎上を迎えて、月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」“6年の全軌跡に密着SP”を放送!

「女子相撲で“世界一”になりたい!」
8歳から始め、2016年のヨーロッパ選手権では軽量級のチャンピオンに輝いたポーランドの18歳アグニエシュカさん。念願の来日を果たし、京都・立命館大学相撲部へ。夢だった軽量級の絶対的エース山中未久さんや今日和さんとぶつかり稽古を! パワーだけでなく技術の大切さを学ぶ。さらに、大相撲・佐渡ヶ嶽部屋へ。憧れの琴奨菊関と対面!特別に稽古を見学させていただき大感動!

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