とんねるずが勝俣州和に土下座!実は芸能界の数々の伝説を作ってきた男:あちこちオードリー

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不用意発言禁止! 裸のトークバラエティ「あちこちオードリー」。前回放送は「どんな大物にもハマってきた2人」勝俣州和菊地亜美が来店。実は、○○を始めたのは勝俣だった? 知られざる数々の伝説が明らかに!

【勝俣州和伝説1】握手会を最初にやったアイドル

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実は、勝俣州和は、"欽ちゃん"こと萩本欽一の番組から生まれた、歌って踊れてお笑いもできるアイドルグループ"CHA-CHA"のメンバーだった。勝俣がCHA-CHAのことを「昭和の」と表現すると、若林は「それは叩かれますね。俺も許さないし」と却下。

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...とはいうものの、歌番組でも大活躍し、爆発的な人気を誇っていた。勝俣によると、当時は今のように男性アイドルグループが多数いなかった時代で、ライバルは大スターの光GENJIだけ。「光GENJIには出来ないことをやったら勝てる」と戦略を練り、CHA-CHAはCDに握手券を付け、全国で握手会を開催。今、AKBグループらがやっていることを、すでにやっていた。勝俣は「秋元(康)じゃないのよ、勝俣なの」と豪語。CHA-CHAは、元祖"会いに行けるアイドル"だったのだ。

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センターの"かっちゃん"こと勝俣は、ファーストコンサートではファンのうちわの9割が「かっちゃん」だったほどの大人気。ところが、ライバル(!?)である光GENJIの"かーくん"こと諸星和己に対抗しようとしたことから、ほころびが...!? プライベートでは毛皮を着て、サングラスをかけ、身近な距離感が魅力だったにも関わらずサインも断るなど、「ド天狗」状態に。するとファン離れが加速し、ファイナルコンサートでは「かっちゃん」うちわがゼロへと転落してしまったという。

今では、おぎやはぎ・矢作兼に「勝俣州和ファンゼロ説」などと揶揄されるものの、「ファンゼロで、これだけテレビ出れるのすごくない?」とめげない勝俣だった。

【勝俣州和伝説2】泣きのもう1回の土下座

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CHA-CHA解散後、バラエティ番組に出るようになった勝俣。「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」(日本テレビ系)に出演した際、ボウリング対決でとんねるずに勝利する。しかし、とんねるずが「はいはい、もう1ゲームもう1ゲーム」と、当然のようにやり直しを始めようとしたため、勝俣は「やるにしても頼み方違いますよね?」と抗議。すると、とんねるずが2人で土下座して再戦を申し込んだという。

これが、今のバラエティではお馴染みの"泣きのもう1回の土下座"誕生の瞬間だった。この事実に若林も「全然知られてないじゃないですか!」と驚く。