後藤真希「ASAYAN」時代を振り返って「あの頃の自分は恐ろしい...。アイドルになっていなかったらどんな人生を送っていただろうと考えることがある」

公開: 更新: テレ東プラス

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――1999年8月、オーディションに合格。モーニング娘。の一員としてあっという間にスターに。前編で紹介したAKB48とのエピソードからもわかるように、特に後藤さんの人気は凄まじいものがありました。ものすごいスピードで変化していく環境に違和感を覚えることはなかったのでしょうか。

「違和感というか、毎日が本当に目まぐるしかったですね。『LOVEマシーン』が発売される前に横浜アリーナでライブをして、よみうりランド オープンシアター Eastでお披露目会。その1ヵ月後にはプッチモニとして『ちょこっとLOVE』をリリースしていますから。まだ子どもでしたし、あまり考えている余裕もないというか」

――「ちょこっとLOVE」のリリースは1999年11月。合格から約3ヵ月で別ユニットでもデビューしているんですよね。やはりすごいスピード感だと思います。

「そうなんですよ。最初は『この3人(後藤、保田圭市井紗耶香)でラジオをします』という感じで集められたので、特に深く考えていませんでしたが、新ユニットと発表されて驚きました。あの頃は『うたばん』や『ミュージックステーション』にも毎週のように出演していたので、本当に忙しかったです」

――仕事中の移動も大変だったのでは?

「実はデビューしてからも電車移動のメンバーが多くて、私もそうしていました。だけど当時の私は金髪だったので、何も被らないと目立ってすぐにバレてしまうんですよ。だからカツラをかぶって移動することもあって…。『今日はどんな変装をしよう?』とか、選ぶのも楽しんでいましたね(笑)」

――『ASAYAN』やテレビ東京には思い入れはありますか?

「それはもちろん! デビュー当時は、もう住んでいるのかというくらいテレビ東京にいましたから(笑)。でも、『ASAYAN』のスタッフさんは仲良くしてくださる方が多くて、私、スタッフの方に赤ちゃんが産まれた際、名前のアイデアを出したこともあるんですよ。お食事会も定期的にあって、当時は話していることもよく理解できなかったんですけど、大人の会食に参加していました(笑)。楽しかったですね。今でも神谷町に行くと懐かしいなと感じますし、いい思い出はたくさんあります」

――昨年は写真集を発売し、年末には約10年ぶりに有観客でのソロライブも開催。3月10日(木)には、追加公演「後藤真希 Billboard Live~Reply~」も予定されています。最後に、後藤さんの今後についてお聞かせください。

「久しぶりに有観客ライブを、また写真集のオンラインイベントなども行わせていただき、やはり私には、ファンの方との繋がりが必要なんだなと改めて実感しました。ですから今後も、そういう機会を積極的に作っていけるようにしたいです。
私にとってファンの方の存在は本当に大きい。ファンの皆さんが私のことを本当に大事にしてくださるので、ありがたいなと日々感謝しています。コロナ禍が明けたら、YouTubeなどももっともっと活動の幅を広げて、楽しいことをたくさんしていきたいと思っています」

(撮影/uufoy 取材・文/蓮池由美子)

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【後藤真希 プロフィール】
1985年9月23日生まれ。東京都出身。歌手、タレント。1999年より「モーニング娘。」3期メンバーとして活躍し、国民的な人気アーティストとして一世を風靡。その後ソロアーティストとして活動する。2012年より芸能活動を休止していたが、2014年より再始動。2020年4月には、ゲーム実況をメインとした『ゴマキのギルド』(登録者数約30万人)と、ライフスタイルや美容情報を発信する『ゴマキとオウキ☆』(登録者数薬6万人)のYouTubeチャンネルを開設。ビルボードライブを予定するなど、精力的な活動を続け広く支持を集めている。