徳川家康が愛用した「日本最古の鉛筆」とは

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“勉強好き”だった徳川家康

徳川家康の墓がある、静岡県の「久能山東照宮」。境内の博物館には、家康が所持していた舶来品の数々が収蔵されています。

そのうちの一つが、硯箱の中から見つかった「鉛筆」勉強好きだったという家康が実際に愛用した“お手回り品”です。

日本最古の鉛筆日本最古の鉛筆

イギリスで発明された鉛筆は、当時の日本では珍しいものでした。家康の所持品は「日本最古の鉛筆」で、軸の木にはアカガシ、芯はメキシコ産の黒鉛が使われています。

家康が進めた“グローバル時代”

鎖国の印象が強い徳川幕府ですが、実は江戸時代初期の日本は海外と貿易を行っていました。

家康は、外国との交流を非常に重視。1600年、日本に漂着したイギリス人航海士ウィリアム・アダムスに、ヨーロッパ諸国の政治情勢や航海術・数学・天文学など、さまざまなことを尋ねたといいます。

ウィリアム・アダムスウィリアム・アダムス

さらに、海外交易の利益の大きさを感じていた家康は、アダムスに命じて西洋船を2隻も作らせました。大航海時代の西洋船は長期航海が可能で、当時の最新鋭の機械だったといいます。

大航海時代の西洋船大航海時代の西洋船

見事造船に成功したアダムスを家康は信頼。「三浦按針(あんじん)」の名を与え、外交の顧問として重用しました。

将軍職を譲ったあと、家康は慣れ親しんだ駿府(現在の静岡県)に移ります。大御所として実権を握っていた家康に会うため、駿府に面する駿河湾には南蛮船が来航して賑わい、街は発展したそうです。

「駿府」にのぞむ駿河湾「駿府」にのぞむ駿河湾

“束の間のグローバル時代”を迎えた江戸時代初期の日本。時代を先取りした勉強熱心な家康が、牽引していました。

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