オウム真理教特別手配犯 最後の1人の足取りとは

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オウム真理教特別手配犯 最後の1人の足取りとは
オウム真理教特別手配犯 最後の1人の足取りとは

地下鉄サリン事件をはじめとする様々な事件を起こしたオウム真理教。実行犯の信者達は「オウム真理教特別手配犯」として指名手配、最後の指名手配犯が高橋克也だった。一体どうやって逃げ続けたのか? そして逮捕されるきっかけとは?裁判資料や当時の警視庁捜査官、関係者への取材などをもとに再現ドラマで紹介した。

2011年、櫻井と呼ばれる男が神奈川県川崎市の工場で働いていた。男の本当の名前は高橋克也だ。

1995年3月20日に起きた、死者14人・負傷者6000人以上となった地下鉄サリン事件。高橋はその凶悪犯罪に関わっていた。そして特別手配犯として追われるなか全くの別人になりすまし、ひっそりと生活していたのだ。

1995年の地下鉄サリン事件から3ヶ月後。高橋は、他の特別手配犯らと埼玉の6畳一間のアパートに隠れ修行を続けていた。しかし1年以上経った時1人の信者が出頭。そして、潜伏場所も自供した。

すぐにそこへ捜査員が向かうと、高橋と同じく地下鉄サリン事件で実行犯の送迎を行った北村浩一をその場で確保した。

櫻井という人物になりすまし、横浜で日雇い労働を始めた。働く姿が評価されたのか川崎にある建設会社に雇われた。

1999年、逃亡を続けるオウム特別手配犯3人に1人あたり200万円の懸賞金がかけられた。警察は、高橋らはオウムの資金で逃亡していると睨んでいた。なので、多くの人がいる場所で働いている可能性は低いと考えていたのだ。

ある日、工場で高橋は人より時間がかかり詰められ、4年勤めた会社を辞めた。それから3年ほど仕事もせず暮らしていたと思われる。その後、更新料の支払いに納得がいかず住み慣れたマンションを出ていくことになった。すると、以前の職場に頼み込み働き始め、会社の寮で生活を始めた。

2012年に生活を共にし、高橋の今の顔を知る女性信者が捕まった。警察は女性信者が高橋と生活していたというマンションへ向かった。が、部屋を覗くと空き部屋のようだった。

翌日、高橋が共に住んでいたマンションの管理会社へ向かい、不動産職員による発言内容は女性信者の証言と合っていた。こうして初めて高橋が川崎に10年以上潜伏していたことが判明した。

不動産職員に退去した後の住所を聞き、警察は櫻井と名乗る男の引越し先へ急いだ。しかし、そこには全く関係ない人が住んでいた。

一方高橋は信用金庫へと向かい、口座の金238万円を3回にわけ全て引き出した。そして「身内が危篤になったと連絡があって1週間休ませてもらいます」と会社へと電話をした。そして寮を早く出なければと思った高橋は貯めた金をすべて詰め込み、オウム真理教の写真や本も詰め込んだ。
警察は高橋の職場を突き止めた。会社で高橋が今月分の給料の前借りを頼んだと聞き、その時の防犯カメラの映像を確認。そして、警察は櫻井と名乗る男・つまり高橋が会社の寮にいることを知る。警察は寮の部屋に向かうも逃亡したあと。しかしその部屋から指紋やDNAを採取した。

櫻井名義の口座があった信用金庫を調べていた警察は、高橋の姿を防犯カメラで確認。その姿は警察が想像していた姿と大きく違っていた。手配書の顔とも、現在を想像したイラストとも全く違うと初めてわかったのだ。

寮周辺の防犯カメラを徹底的に調べた。しかし高橋は防犯カメラに写っていたリュックを逃亡中に捨てた。翌日、キャリーバッグを駅のロッカーに隠し、メガネも変えた。

一方その頃、櫻井と名乗る現在の高橋の指紋が一致。高橋が仕事に復帰した際、提出していた履歴書の写真を公開した。その夜にはより市民からの情報を得るために信用金庫の防犯カメラ映像も公開。ガニ股で歩く高橋の特徴も紹介された。

高橋は蒲田にあるマンガ喫茶に入っていた。翌日、高橋はまたも同じマンガ喫茶に入った。その様子を1人の男性が注意深く見ていた。そして、大森にある交番にその男性がやってきた。男性は「歩き方が高橋に似ている男を見まして」と話した。

こうして午前9時過ぎ、捜査員2人が通報のあったマンガ喫茶へ。警察は「昨日の午後6時過ぎに入店したお客でまだいる人はいますか?」と店員に聞くが、すでにいないという。が「高橋克也ですよね?」「それなら似ている人が今いるんです」と店員が告げる。朝6時過ぎに入店した高橋は3時間利用し、まさに店を出るところだった。

警察は後を追い高橋を取り囲み、高橋を任意同行。高橋は「私が高橋克也です」と名乗り、「コインロッカーに荷物が入っているので荷物を出させてください」と言ったという。

ロッカーに保管していたバッグの中には信金でおろした238万円と198万円が入っていた。また財布の中には22万円、高橋は合わせて458万円を所持していた。そして麻原の本が12冊に説法テープとラジカセ、麻原の写真が5枚、うち1枚は、入信した時麻原と撮った写真だった。

午前11時10分、指紋が一致し高橋は逮捕された。

裁判では逃亡生活について「逃げろとの指示だったので出頭しようとは思わなかった」と語ったという。麻原との関係については「弟子と思っているかわからないですが、解消したという話し合いもないしその関係は続いていると自分では思っています」と話した。

高橋は地下鉄サリン事件の後にも重大事件を起こしていた。警察がオウム教団施設の一斉捜索にのりだし麻原逮捕へ動き出した頃、捜査をかく乱するため爆破事件を起こそうとしていた。幹部の命令で、電子工学の専門学校出身の高橋が起爆装置を作ることになった。

この年、東京都知事選で青島幸男氏が当選。書籍型の爆発物を作って、青島都知事に送るという計画だった。高橋は本を開けたら、糸で引っ張られてスイッチが入る仕組みの爆弾を作った。

爆発物を投函して5日、まだ都知事公館で爆発との報道がない5月16日に麻原こと松本智津夫が逮捕された。実は爆発物は青島都知事が公館に入居する前だったため、都庁に転送されていたのだった。麻原が逮捕された9時間後の夜7時。都庁で封筒を開けた秘書が左手の指を失う大怪我を負った。

高橋には、殺人(共同正犯)、殺人未遂、爆発物取締罰則違反、逮捕監禁致死、死体損壊の罪で無期懲役の判決が下された。

犯罪を犯した全ての信者が逮捕。高橋の逮捕から6年ほど経った2018年7月13人の死刑囚、全てが執行された。

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