福知山線脱線事故はなぜ起こったのか

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福知山線脱線事故はなぜ起こったのか
福知山線脱線事故はなぜ起こったのか

2005年4月25日に起こった、死者107人・負傷者563人となったJR西日本福知山線脱線事故。
事故調査報告書や、当時の関係者の取材をもとに再現ドラマで紹介した。

当時23歳、運転士になってまだ11ヶ月だった彼は朝6時に出勤。午前9時、数本の運行を終えたのち、宝塚駅で大阪方面行きの快速列車に乗り込んだ。

この列車の一両目には理髪店を営む西野節香さんが乗っていた。この時点で列車は35秒の遅れが発生していた。

快速列車は通過駅である北伊丹駅を時速120kmで通過、この時、遅れは1秒ほど解消していた。遅れが生じた場合、可能な限り正常なダイヤに戻す“回復運転”というものがあった。その方法は、停止時間を切り詰めたり、より加速したり、ブレーキのタイミングなどで時間の短縮を図るというものだ。これは運転技術が必要で先輩運転士などから受け継がれていたもの。

2000年、高校を卒業後に18歳でJR西日本に入社したこの運転士は、運輸管理係・車掌を経て2004年5月、念願叶って運転士となった。休日でも運転技術の向上に励んでいたという。

そんな彼だったが事故の10ヶ月前、ある駅でブレーキ操作を誤り停止位置から100mもはみ出し、ダイヤに8分もの遅れを生じさせてしまった。運転士は上司に厳しく追及され、1時間半にも及ぶ執拗な事情聴取を受けペナルティが課されることになった。

当時のJR西日本には乗務員を再教育する目的で課した日勤教育と呼ばれるものがあった。
現在は改善されているが、当時、JR西日本の特に大阪・兵庫の日勤教育は厳しいものとして知られていた。日勤教育となった者は乗務することはできず別メニューの勤務となる。その主な内容は事故の顛末書や反省文の作成。

事故があった日、ダイヤより遅れている中で伊丹駅停止時に運転士はまたも操作を誤り、停止位置から72mオーバー。停止位置を戻す為、遅れは1分8秒に増えてしまった。遅れ1分20秒となり伊丹駅を出発。

当時のJR西日本はダイヤを守ることに関して厳しかったという。
ライバル社とのスピード競争に勝つため、秒単位で所要時間の切り詰めを図っていたのだ。

運転士は最後尾にいる車掌に連絡をとった。車掌は列車の遅れやミスなどがあった場合、指令員への連絡を行っている。運転士は「まけてくれへんか?」と車掌に言ったという。
午前9時17分頃に、猪名寺駅を通過し、列車は速度を上げ時速125kmに。
運転士はブレーキをかけ始める位置を逃してしまった。事故調査報告書によると「運転士は車掌が指令員にどう報告するのかに特段に注意を払っていたことや日勤教育を懸念し言い訳を考えていた事から注意がそれたものと考えられる」とある。

午前9時18分、急カーブに時速116kmで進入。ブレーキをかけたが列車はカーブを曲がりきれず線路わきのマンションに激突。1両目はマンションの1階部分にある駐車場につっ込み、2両目はマンションの壁面に激突。列車はくの字に折れ曲がり、そこに3両目が激突。4両目に乗っていた大学生の男性も、事故の衝撃で首をねんざしたが命に別状はなかった。西野さんはこの事故で帰らぬ人となった。

生存者は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しめられることになる。それは強烈なショック体験や強いストレスが心の傷となり、ストレス障害を引き起こす精神的な後遺症だ。生存者は列車に乗る事はもちろん、突然、事故の体験がフラッシュバックする事などもあったという。

その大学生の男性も事故後明らかに様子が変わり、学校にも行く事はなくなり部屋にこもる日々が続いた。そして次第に大勢の人たちが亡くなった中、自分は生き残ったのか?常にその事が頭を離れなくなっていった。

それは「サバイバーズ・ギルト」。生存者罪悪感とも呼ばれ、大災害や大事故で生存者が、助かった事に対して罪の意識を抱くものだ。自分の幸せは他者の不幸の上に成り立っていると感じ、自分の人生に何の意味があるのか?と思い悩んでしまうという。

実はこの事故での生存者の多くが、同じくサバイバーズ・ギルトに悩まされていたという。思い悩んだ男性は自ら命を絶ってしまった。

JR西日本は、事故後「あんしん社会財団」を立ち上げ、被害者の精神面、身体面のケアを行う事業の支援を行っている。中央大学 人文科学研究所 客員研究員 髙橋聡美先生によると「さまざまなトラウマを抱えている人たちが病院にかかる割合はすごく少なくて、自分が心を痛めていて自分がそういう対象であることの自覚がない人が多い」と話す。心の傷は自覚しにくい。しかし、事故や災害による精神的なストレスから体の一部がずっと痛い・血圧が上がるなどの身体的な症状が出ることもある。その場合、まずはかかりつけ医に見てもらうことで心の治療につながることもあるという。

事故後、JR西日本は運行ダイヤも改善。全体的に余裕のあるダイヤ設定を行った。更に、急なカーブに対してはATS(自動列車停止装置)を設置した。

ヒューマンエラーへの対処方法も大きく変わった。反省文などで長期に及ぶことのあった乗務員の再教育システムを見直しその期間や教育内容を改善、原因追究に重きをおくシステムに変更した。事故以来、JR西日本は毎年安全対策を見直し、外部からのチェックを受けている。

現在は、人は誰でもエラーする可能性があることを前提に、上司は部下に対し傾聴の姿勢を持ち、社員が自らのエラーや気づきをためらわず報告できる環境を組織全体で作り、安全対策に生かしていくと発表している。事故をきっかけに、どんな時でも安全を優先する組織へとシフトチェンジした。

日本の鉄道業界の意識も大きく変わった。関西大学の安部教授は「ここ30年、飛行機、船、鉄道の事故の6割~7割がヒューマンエラーなんです。注意していても人間はエラーをしてしまうんだということを理解した上で、ヒューマンエラーを少なくしていこう、無くしていこうということが日本の鉄道界では2005年以降進むようになった」という。

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