高橋克実、大学受験を“口実”に憧れの東京へ。予備校にはまったく行かず「最初にやったことがドラマのロケ地巡り」

公開: 更新: テレ朝POST

1990年代後半、『ショムニ』シリーズ(フジテレビ系)の人事部長役でブレイクし、『フルスイング』(NHK)、『ドン★キホーテ』(日本テレビ系)、『デジタル・タトゥー』(NHK)、映画『ウェディング・ハイ』(大九明子監督)、舞台『セールスマンの死』など多くのドラマ、映画、舞台に出演している高橋克実さん。

俳優としてだけでなく、『トリビアの泉~素晴らしきムダ知識~』(フジテレビ系)、『直撃LIVE グッディ!』(フジテレビ系)など司会者&キャスターとしても活躍。2022年10月14日(金)には初主演映画『向田理髪店』(森岡利行監督)の公開が控えている高橋克実さんにインタビュー。

 

◆中学時代は「CMをつくる人」に憧れ

新潟県で生まれ育った高橋さんは、小さい頃からモノマネをしたり、みんなを笑わせることが好きだったという。

「みんなにウケたい、笑わせたいと思っていろんなことを考えていましたね。笑い担当。クラスに必ず一人いるようなヤツです(笑)」

-CMディレクター志望だったとか-

「いえいえ、中学生当時は『CMディレクター』なんて言葉さえ知らなかったですから、ただイメージだけで『コマーシャルを作る人』っていいなあ、と思っていただけなんです。

若くして亡くなってしまったんですけど、杉山登志さんという有名なCMディレクターさんがいて、当時の印象的なCMはすべてその方の作品だったので、その影響だったと思います。

でも、広告代理店という存在もまったく知りませんでしたし、『CMを作る人』になるにはどうしたらいいのかなんて情報もなかったですから。ただ漠然ときれいなCMの世界に憧れていただけでした。

僕らが子どもの頃は、ドラマ全盛の時代で、子どもの楽しみというとテレビドラマだったんです。

刑事ドラマ、学園もの、ホームドラマ…すごかったですからね。金曜日に『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)を見て、次の日にその話をみんなが学校でしていました。『天下御免』(NHK)を見た人と『太陽にほえろ!』を見た人にクラスが分かれたりして(笑)。そういう時代でした。

あの頃の子どもたちはみんなそうだったと思いますが、『太陽にほえろ!』で萩原健一さんが殉職するなんて誰も思ってもいなかったですから、やっぱり見たときは衝撃でクラスで大騒ぎでしたね。あとは『傷だらけの天使』(日本テレビ系)も好きでした。

僕は子どもの頃から映画も好きでよく見ていたんですが、映画やドラマで映る東京の風景に憧れていたんです。それで、とにかくいつか東京に出なければと思うようになりました」

※高橋克実プロフィル
1961年4月1日生まれ。新潟県出身。高校卒業後、予備校に通うために上京するが、俳優の道に進み小劇場で活動。1998年、『ショムニ』でブレイク。『梅ちゃん先生』(NHK)、『確証〜警視庁捜査3課』(TBS系)、『オールドルーキー』(TBS系)、映画『フラガール』(李相日監督)、舞台『女の一生』、などテレビ、映画、舞台、CMに多数出演。『トリビアの泉』の司会、『直撃LIVE グッディ!』のキャスターも話題に。2022年10月14日(金)に公開される『向田理髪店』は映画初主演作となる。

 

◆家業を継ぐはずが東京の予備校へ

高橋さんは、高校卒業後、新潟で実家が営む金物店を継ぐことを期待されていたが、東京の大学を受験することに。

「高校3年のときに『東京の大学を受けさせてください』って親に頼んで、自分としては予定通りに浪人して、1年だけという約束で東京の予備校に通うことになりました」

-予備校生活はどうでした?-

「それが予備校にはまったく行かずに、最初にやったことが中村雅俊さんの主演ドラマ『俺たちの旅』(日本テレビ系)のロケ地巡り。吉祥寺に行ったり、肩車をしているシーンの新宿の噴水に行ったりして(笑)。

あと『太陽にほえろ!』のロケ地の新宿中央公園を見に行くとか、大好きな松田優作さんがよく行くという下北沢の焼き鳥屋さんや渋谷のバーに、優作さんに会えるかもしれないと思って行ったり…。そんなことばかりしていました(笑)」

-親御さんは大丈夫だったのですか-

「多分もう諦めていたと思います。大学に行く気がないということがわかっていたんでしょうね(笑)。東京に行きたかっただけなので、大学受験のことは口実でしたから」

-東京に来てわりとすぐに映画のポスター撮りにも遭遇されたとか-

「そうなんです。僕はそういう運が結構多かったですね。偶然佐藤慶さんをお見かけしたり、新宿の高層ビルのところで『蘇える金狼』(村川透監督)という映画のポスター撮りをしている小池朝雄さんと成田三樹夫さんと佐藤慶さんに遭遇したり、とにかく日本映画に欠かせない大好きな役者さんばかりでしたから、もう大興奮でした(笑)。

今でも繰り返し見てしまう『仁義なき戦い』(深作欣二監督)は、公開時は小学生だったのでリアルタイムでは見ていないんですが、初めて見たときは衝撃でした。だから、東京に出てからは、予備校にも行かず、そういう日本映画を見歩いてばかりいました」

-昔は東京に名画座がいっぱいありましたね-

「そうですね。あれは本当に感激しました。『ぴあ』とか『シティロード』を持って行くと割引になるので、それを持ってよく名画座に行っていました。

予備校の寮にものすごい映画好きがいたんですよ。それで何を観るか相談して、横浜とか『飯田橋ギンレイホール』とか、いろんな映画館に行きました」

-その頃にはお芝居をやりたいとか俳優になりたいという思いは?-

「まったくなかったです。ただ、好きな映画の世界の近くで何かできたらな、とは思いはじめていました。だからスタッフになりたいという気持ちはありましたけど、役者になりたいとは思っていなかったです」

-それが変わったきっかけは何だったのですか?-

「どういう風に映画の世界に近づいたらいいのかもよくわからなかったので、雑誌を見て役者のオーディションに行ってみたんです。そこで映画監督さんも生で見られるわけですし(笑)。

それでいくつかオーディションに行っていると、落ちた人たちが結構一緒のバスに乗ったり電車に乗ったりするので、ちょっとしゃべったりしているうちに何かやってみようかという話になって。それで劇団を作ろうかと。

自分たちで映像を作るのは大変だから、劇場を借りて何か発表するほうがお金もかからない、というのが始まりだったような気がします。最初は映画を目指していたのに『何で俺は舞台をやっているんだろう?』とは思っていましたね(笑)」

-ちょうど時代も「本多劇場」ができたりして小劇場ブームでしたね-

「そうです。それでおもしろい映像作品に出ている役者さんもそういう小劇場の方が多かったんです。友だちのツテで運よく、石橋蓮司さんがいらした『第七病棟』の稽古を見る機会があったんですが、石橋蓮司さんを間近に見て、『うわーっ、石橋蓮司だ!』って興奮していました。本当にミーハーでしたから(笑)。

後になって、石橋蓮司さんと仕事でご一緒したときに、その話をしたんですよ。もちろん蓮司さんは覚えているわけないんですが、『ヘえー』って笑われちゃいましたけど、その話ができたのもうれしかったですね(笑)」

 

◆予備校の寮の退去を迫られ、仕送りもストップ

予備校の寮では食事の心配もなかったが、ほとんど予備校に行っていなかったため、とうとう退去を迫られることに。

「予備校にいる間は、親に『夏期講習があります』とか、適当に理由を並べてお金を振り込んでもらっていたんですけど、そういうことを何回もやっているうちに、ついにコレクトコールに出てもらえなくなってしまいました(笑)」

-寮を出てからはどのように?-

「笹塚の家賃2万円の小さなアパートに住んで、いろんなバイトをしました。一番長くやっていたのは看板の取り付けです。マンションの広告看板が多かったですね。バブルの頃でしたから結構忙しかったです」

-かなりの肉体労働ですね-

「そうです。穴を掘って支柱を立てて看板を取り付けるんですけど、当時はバブルなのでリゾートマンションとかが流行(はや)っていて、関東だけじゃなくて、那須とか遠方にも行っていました。

その会社の人が劇団活動に理解があって、公演や稽古で休んで戻ってきても全然オッケーだったんです。そのおかげで結構長く続きました。『ショムニ』が36歳のときでしたが、37、8歳までバイトしていましたね」

 

◆映像のことがわからないままドラマ初出演

1993年、32歳のときに高橋さんは、『トーキョー国盗り物語』(NHK)で初めてドラマに出演することに。

「舞台で演技はやっていましたけど、映像のことは何もわからなかったですからね。スタジオでは何台かカメラがありますけど、ロケに行くとだいたいカメラが1台で、そうするとつながりってあるんですよね。それがシッチャカメッチャカになっちゃって。

最初は食べながら話しているシーンだったのが、カットバックのときに同じようにやらなきゃいけないのに、勝手がわからないから全然それができなかったんですよ。

記録さんと監督さんに、『このセリフでこれを持って、次にグラスをあけて、一度テーブルに置いてまた飲む』って言われても『マジですか?』って(笑)。そのつながりが全然できなくて、セリフもカミカミみたいになっちゃって」

-高橋さんにそんなことがあったなんて嘘みたいですね-

「最初はラストまで出る設定だったはずなんですが、いつの間にか大阪に転勤になって出なくなってしまいました。多分あまりにワケがわかっていなかったので『転勤』させられたんだと思います(笑)。NHKの番組に出たときに、この話はしたこともありますが、いまだに恥ずかしくなりますね。

もちろん、その経験以来、つながりというのをすごく自分で気にするようになって、そのあとは撮影の度に『つながり、つながり』って自分に言い聞かせていましたから。

昔は先輩俳優さんを見ていると、お酒を飲んでいるシーンなどでカットがかかると、グラスの位置や手の角度とかを全部自分で確認してから席を立っていたんですよね。そういう姿からも勉強して、自分でもやるようになりました」

ドラマ、映画などに出演することになった高橋さんは、1998年、『ショムニ』の寺崎人事部長役で注目を集め、俳優業だけでなく、『トリビアの泉~素晴らしきムダ知識~』や『直撃LIVE グッディ!』などでキャスターとしても活躍することに。次回は撮影エピソード&裏話も紹介。(津島令子)

ヘアメイク:国府田雅子(b.sun)
スタイリスト:中川原寛(CaNN)

©2022 映画「向田理髪店」製作委員会

※映画『向田理髪店』
2022年10月7日(金)より福岡+熊本先行公開
2022年10月14日(金)より新宿ピカデリーほか全国公開
配給:キャンター
脚本・監督:森岡利行
出演:高橋克実 白洲迅 板尾創路 近藤芳正 筧美和子 根岸季衣 富田靖子ほか
かつての炭鉱町で、親から継いだ小さな理髪店を営む向田康彦(高橋克実)と妻の恭子(富田靖子)。ある日突然、東京で働く息子・和昌(白洲迅)が帰郷し、会社を辞めて店を継ぎたいと言い出す。戸惑いながらも久々に親子3人の生活が始まるが…。

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