比叡山はなぜ“母なる山”になった?タモリ、最澄の教えに迫る『ブラタモリ』

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街歩きの達人・タモリが“ブラブラ”歩きながら知られざる街の歴史や人々の暮らしに迫る『ブラタモリ』(NHK総合、毎週土曜19:30~)。9月21日の放送は、「比叡山~比叡山はなぜ“母なる山”になった?~」と題して、タモリと林田理沙アナウンサーが滋賀県と京都府にまたがる比叡山を訪れる。

最澄が延暦寺を開いた比叡山は、仏教の世界では「母なる山」と呼ばれている場所。その理由を、2週にわたってタモリがブラブラ歩いて解き明かす。1週目の今回は、主に「最澄の教え」を探る。

ケーブルカーで登り、東塔というエリアの大講堂を入ると、目に入るのは数多くの僧侶の木像。法然・親鸞・道元・栄西・日蓮など、日本仏教のオールスターともいえる僧たちの像が並んでいるが、彼らはみんな比叡山で修行した高僧。「伝教大師」とも呼ばれる最澄は、まさに仏の「教えを伝える」ために国の命令で唐にわたり、持ち帰った経典で比叡山に延暦寺を作ったのだ。

そして、向学心にあふれた僧侶が全国から比叡山に集まり、さまざまな宗派を生み出したという。天台宗だけでなく、さまざまな日本仏教の宗派を生み出した、まさに「母なる山」なのだ。

次にそんな最澄の教えの神髄に注目。最澄の直筆による国宝「天台法華宗年分縁起」を見ると、「照千一隅」(自分の持てる力を世の中のために活かす)、そして「忘己利他」(自分のことを忘れ、他の人の利益になる)とある。「誰もが等しく仏様になれる素質を持っている」という教えは、当時画期的だったのだ。タモリも、お堂の構造を見たり、書を読み解いたりしながら、最澄の教えに迫る。

では、なぜ最澄は比叡山を修行の場所に選んだのか――。地形を見ると、高い山中であるにもかかわらず平地が多いことが分かる。そのため、人里はなれて修行に専念できる一方、お堂などがたくさん建てやすいという。その地形を形作る秘密が、ホルンフェルスという硬い岩。地形・地質の観点からも、比叡山が「母なる山」になった秘密を探る。

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