タモリ、天皇の住まいだった“京都御所”がなぜ京都の隅にあったのかを探る!

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街歩きの達人・タモリが“ブラブラ”歩きながら知られざる街の歴史や人々の暮らしに迫る『ブラタモリ』(NHK総合、毎週土曜19:30~)。9月7日の放送は、「京都御所~天皇の住まいはなぜこの場所だった?~」と題して、タモリと林田理沙アナウンサーが京都御所を訪れる。

今回の舞台は、京都市の中心部、京都御苑の一画にある「京都御所」周辺。改元でも注目を集める京都御所は、14世紀から明治はじめまで約500年もの間、天皇の住まいだった場所だ。しかし京都御所の位置をみると、平安京の中心部ではなく、なぜか北東の隅にある。なぜ天皇の住まいだった京都御所はこの場所にあったのか――。タモリが京都をブラブラ歩いて解き明かしていく。

まず向かったのは、平安京の中央で天皇の住まいがあった「大内裏(だいだいり)」の跡。残された痕跡を探ると、大内裏はあまりに広すぎて使い勝手が悪く、天皇家にとって住みづらい場所だったことが分かる。そのため天皇家は、大内裏を出て有力貴族の家などに仮住まいするなど、移動を繰り返していたという。

そこで天皇が仮住まいした場所をみると、右京(京都の西側)ではなく左京(東側)に偏っていたことが判明。その理由を探るため、タモリはかつての右京の地域を走る京福電鉄嵐山本線・通称「嵐電(らんでん)」に乗って、さらには左京を流れる鴨川の近くにある商店街を歩いて、その地形の違いから、天皇の仮住まい先が左京に偏っている理由に迫る。

移動を繰り返した天皇家の住まいは、14世紀以降になって今の京都御所がある場所に定着。その理由の1つが「御所用水」と呼ばれる水だ。鴨川の上流から京都御所まで、約3kmにわたって引かれた御所用水の痕跡を歩いてたどっていく。

500年近く京都御所から動くことのなかった天皇の住まいだが、明治時代になり、天皇家は京都御所から東京に移り住む。それとともに、周辺に住んでいた公家も東京に引っ越しするが、その中で京都に残り、残宮廷文化をほぼ完全な姿で留めているのが「冷泉家(れいぜいけ)」。タモリらは最後に冷泉家を訪ね、当時の宮廷文化に触れる。