江戸開府400年の謎、家康はなぜ江戸を選んだのか?

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6月11日の『英雄たちの選択』(BSプレミアム 毎週木曜 20時~21時)で、シリーズ“政権誕生の地”「なぜ家康は江戸を選んだのか?」を放送する。同番組は、英雄たちの「脳内」に深く分け入り、選択の崖っぷちに立たされた英雄たちが体験したであろうかっとうを、専門家の考証に基づいて厳密に復元していく。

400年以上日本の中心であり続けたその繁栄の礎を築いたのが徳川家康である。だが家康が入国した当時の江戸は関東の空白地帯であり、沼地ばかりの寒村に過ぎなかったという。

家康はそんな江戸に城を築き、徳川将軍3代47年の歳月をかけて都市機能を完成させた。しかし「なぜ家康は江戸を居城に選んだのか?」という根本的な理由については諸説あり、大いなる謎となっている。家康が東海5か国から関東8か国に移封されたのは、天正18年(1590年)の小田原合戦の時。関白・豊臣秀吉に命じられたのが契機とされる。

実はこの時、新たな領国支配の拠点として家康には3つの選択肢があった。ひとつは関東の覇者・後北条氏の居城「小田原」をそのまま拠点とするか、あるいは鎌倉時代以降「武家の古都」として完成されていた「鎌倉」か、それとも田舎町に過ぎない「江戸」か……。他の2つの候補地に比べ、圧倒的に不利な条件の江戸の選地であるが、近年の研究によれば、当時の江戸は単なる寒村ではなく、太平洋海運の湊としての機能があり、後北条氏の関東支配の中核的拠点であったことも明らかになってきた。また、家康が江戸を選んだのは、実は秀吉の大坂城の繁栄を模倣した、という新説もある。最新研究を基に、家康がなぜ江戸に拠点を置くことを決断したのか、江戸開府400年の謎に迫る。

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