『最高の教師』容疑者は30人の生徒…前代未聞の学園サスペンス開幕

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『最高の教師』容疑者は30人の生徒…前代未聞の学園サスペンス開幕
「最高の教師 1年後、私は生徒に■された」を見る

「あなたたちのために私はなんでもします」

新学期が始まって初めてのホームルームで、鳳来高校の教師・九条里奈(松岡茉優)はそう宣言した。それは、生徒への媚びやへつらいのニュアンスが含まれた、白々しい台詞だった。ところが、その約2週間後、再び似たような宣言を生徒たちの前でする。

「わかってると思いますが、このあと、鵜久森さんに何かしたら、私がなんでもやりますので」

「なんでもします」と「なんでもやります」。意味はほとんど同じなのに、こんなにも響き方が違うのは、後者の台詞に九条里奈の覚悟が見えたから。

2019年に大きなセンセーショナルを巻き起こした『3年A組 -今から皆さんは、人質です-』(日本テレビ系)と同じプロデューサー・監督が仕掛けた新ドラマ『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(日本テレビ系、毎週土曜22:00~)。タイトル同様、衝撃的な幕開けで視聴者を打ちのめした。

寄り添うのではなく戦う。覚悟を決めた松岡茉優の瞳に戦慄


令和6年3月10日、九条里奈は、担任を受け持つ生徒たちが卒業式を迎えたその日に、何者かによって校舎の渡り廊下から突き落とされた。死の直前、九条が目撃したのは、自分を突き飛ばした犯人の腕につけられた「3年D組」の胸章。

「今、私、生徒に殺された……?」

次の瞬間、気づけば九条は1年前の始業式にタイムリープしていた。なぜ自分は殺されなければいけなかったのか。容疑者は、目の前にいる30人の生徒。前代未聞の学園サスペンスの始まりだ。

1年後の死を回避するには、1度目の人生と同じ轍を踏んではならない。九条は、生徒たちの抱える問題を解決するために、生徒と「寄り添う」ことを決める。

しかし、学費をまかなうためにお金の無心をしてきた瓜生陽介(山時聡真)に50万円を貸した結果、騙され笑いものにされる。そこで九条は気づいたのだった、寄り添ったところで問題は解決しない。世界を変えるには、「戦う」しかないのだと。

この覚醒した瞬間の松岡茉優の表情が、鳥肌が立つほど美しい。

「まず変わるべきなのは、あの子たちの教師である私自身だ」

モーツァルトの『レクイエム』をバックに、九条が視線を上げる。その目のすごみに圧倒される。単に目力が強いとか、そんな安易なものではない。むしろその逆。瞳そのものは空っぽで何の感情を宿していないようにも見える。けれど、その空洞の中に火が灯されたのが、はっきり伝わる。虚ろなのに、煌々としている。どんな境地に至れば、こんな目ができるのか。まさに凄絶としか言いようがない、松岡茉優の渾身の表現だ。

そして、そこから文字通り火がついたように物語も熱を帯びていく。

1度目の人生で、不登校の末命を絶った鵜久森叶(芦田愛菜)を救うべく、彼女を苦しめた原因にクラスのいじめがあったことを暴き、生徒を容赦なく断罪する。その手法も手加減なしだ。盗聴・盗撮と違法行為も辞さない。この心なき怪物たちと戦うためには、正攻法など選んでいられない。まるでダークヒーローのような気迫が満ちていて、そこにはもう生徒の顔色を窺っていたありし日の九条里奈の面影はない。

腹を決めた瞬間、人はここまで変われるのか。そんな恐怖に近い驚きすら湧いてくる。日本テレビの学園ドラマといえば、出色なのが『女王の教室』。世界を変えようと決意した九条里奈の姿は、どこか天海祐希の演じた冷血教師・阿久津真矢を彷彿とさせる。

放送当時、『女王の教室』はその過激な内容から賛否を呼んだが、令和5年になった今も阿久津真矢の残した数々の名言はSNS上でバズを起こし、高い評価を受けている。

『最高の教師』も今だけでなく、後世でも語り草となる傑作となるか。そんな期待を抱かせるに十分な第1話だった。

「人間じゃない何か」になった現代人に告ぐ


すでにその片鱗を示しているのが、第1話のクライマックスで視聴者を圧倒した九条と鵜久森のやりとりだ。

いじめを受けているであろう鵜久森に対し、九条は「自分がされた嫌なことを自分で口にするのはとても苦痛です」と胸中を慮った上で、「でも、ここにいる人は自分がしたことがどういうことなのか誰一人自覚していません。だから、あなたが何をされ、どんなに苦しみ、どんなにも痛んだのか、それをはっきりと告げることが、この無自覚な動物たちにできるまず最初の攻撃なんです」と教える。

近年、立場の弱い者が被害を告発することで世の中を変えて行こうとする運動が大きく取り上げられている。傷つけられた者が声をあげなければ、加害者は自分が傷つけたことさえ自覚できない。九条は「逃げることを否定してはいません」としながら、逃げた先に幸せがないのであれば、共に「戦う」ことを誓う。この小さな教室で起きる「戦い」は、私たちが生きる大きな世界を変えるための革命でもあるのだ。

その後も引用しはじめたら全文書き起こしになるような鋭い台詞が続く。

中でも鵜久森の「自分の力でどうにかできる希望もこの人たちはゲームのように壊してくる。その姿を見ていたら、この人たちは人間じゃない何かに見えました」は、誹謗中傷の渦巻く現代社会そのものに向けた強烈なメッセージだった。

誰かが命を落とすまで、自分の発言がどれだけ相手を傷つけているか理解もできない。あるいは、誰かが命を落としてもなお、また別の獲物を標的に変えて同じことが繰り返されるこの社会で生きる私たちは本当に人間なのか。あるいは人間じゃない何かなのか。

面白いのは、語り口だ。九条の台詞も、鵜久森の台詞も、理路整然としている。「えっと」などのフィラーは一切なければ、「〜だよ」といった語尾の変節もない。当然、「わかりみ」「それな」などの若者言葉も入らない。口語とはかけ離れた、韻律の美しさや意味の正確性を重視した、極めて流麗な文体で胸の苦しみが語られていく。

この違和感が、ある種の虚構性と中毒性を高める効果を果たしているし、同時に「告発文」のような響きを備えることで、罪という名の釘を聞く者の心に串刺す。

はたしてその釘は、注射針となって私たちの全身に流れる毒を解くことができるのか。あるいは、どんなに悲痛な叫びをあげても、世界なんて結局変わらないのか。

答えは、まだわからない。「世界を変えることはできますか?」は坂元裕二の名作学園ドラマ『わたしたちの教科書』(フジテレビ系)のテーマでもあった。あのドラマから16年経った今もこうしたテーマが繰り返されるということは、やはり世界は変わらないのかもしれない。だけど、このドラマのつくり手たちが本気で世界を変えたいと願っていることだけは確かだ。

九条と鵜久森の戦いに賛同するのか、反発するのか。あるいは、関係ないふりをして変わらず下を向き続けるか。すべては、視聴者1人ひとりに委ねられている。

『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』は、TVerにて最新話に加え、見どころを徹底解剖する動画が配信中。ディレクターズカット版では、本放送にはない未公開シーンも盛り込まれており、よりこの物語を深く味わえるので、オンエアを観た人もぜひチェックしてほしい。