ご招待から5年! 錦鯉を愛するポーランド少女から驚きの報告が!:世界!ニッポン行きたい人応援団

公開: 更新: テレ東プラス

33年間「単身赴任」状態の金萬福さんが抱える負い目とは?

続いては、海外に暮らしながらニッポンのあるものが好きすぎて来日。そのまま住むことを決意した外国の方たちを応援する、「ニッポン住んじゃった人応援団!!」です。

やってきたのは、栃木県・宇都宮市。ニッポンが好きすぎて住んじゃった外国人の方と待ち合わせ。
すると登場したのは、90年代に放送されていたテレビ番組で活躍した金萬福さん!

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テレビ東京で放送していた「浅草橋ヤング洋品店」、通称“浅ヤン”で、当時、出演していた人気シェフ・周富徳さんが指名した「香港一の料理人」として登場。強烈なキャラクターもあって一躍人気者に。

22歳という異例の若さで料理長に抜擢されたのち、33歳にして料理人なら誰もが憧れるという香港の名店、「好彩酒楼」の料理長に就任するという超一流の料理の実力でした。香港料理界のエリート街道を歩み、金さんの腕を認めた周富徳さんが活躍の場を提供したことで来日。以来、炎の料理人、タレントとしてニッポン在住33年。

金さんは今、宇都宮で何をしているのでしょうか?

「ウチのお店がすぐ近くです。行く、行く!」と初めて宇都宮に来たスタッフに餃子通りを案内しながら15分ほど歩くと…。

「これだよ、ホテルの中に僕のお店あるよ」と、金さんのお店があるという「宇都宮東武ホテルグランデ」に到着。広東料理を中心とした本格中国料理のお店「中国料理 竹園」です。

14年前に招かれ、総料理長に就任。コロナ禍のため、厨房スタッフの数は普段の半分ですが、総料理長として自慢の腕を振るう金さん。当時と変わらず、サービス精神旺盛で、お玉を回しながら料理するパフォーマンスも健在です。そんな金さんの今のイチオシが、「福建風パイチーつゆそば」。これを食べるため、遠くから来店するお客さんもいるという人気メニュー。

「浅ヤン」出演により、ニッポンで有名人になった金さんでしたが、故郷の香港には残してきた妻と2人の子どもがいました。

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ニッポンへは30年以上、単身赴任中。料理人の仕事とテレビ出演で忙しく、香港の家族に会えない状態が続いたといいます。「家族…奥さんにめちゃめちゃ怒られた」と話す金さん。来日以来、香港に戻らず、今なおニッポンに住み続ける理由とは…?

「ニッポンの人は優しい。めっちゃめちゃ優しい。尊敬しますよ。だからニッポンのこと好きになった」とのこと。栃木県宇都宮で暮らし、香港一の料理人としてテレビ番組で有名となった金萬福さん。久しぶりに上京しました。と、ここで応援サプライズ!

金さんには内緒で「浅ヤン」時代、お世話になった恩人とご対面! その恩人とは、テリー伊藤さん。
金さんはその姿を見るなり、「テリーさん! 会いたかった!」と駆け寄ります。

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金さんがテリーさんんと会ったのは6〜7年ぶりとのこと。じつはテリーさんについて、金さんは、「一番お世話になったのはテリー伊藤さんね。困ったときも助けてもらったし、大恩人」と話していました。当時、テレビのディレクターだったテリーさんの考えた、奇想天外な企画に全力で応えた金さん。2人はいわば“戦友”だったのです。

「テリーさんいないと今の金萬福いない」と話す金さんに、テリーさんは「カメラの前だからこういうこと言ってる。たぶん俺のこと、怒ってる。いろんなことさせたから」と返します。金さんは「怒ってない」と即答しますが、笑いながら「怒ってるときもあった、ロケ。毎回毎回死んじゃうかと思ったよ」と当時を思い出します。

金さんを「浅ヤン」で起用し続けた理由についてテリーさんは、「一番はキャラクターです。話はうまい、けど、何言ってるかわからない。でも一生懸命。本当に逸材、タレントとしてスゴいものがあったので、次はどういうふうに金さんを使おう、どういうふうにやったら面白くなるか、ばっかり考えていた。(浅ヤンは)無法地帯だった気がする。あの頃ってコンプライアンスみたいなものが、おそらくテレビ東京にはなかったですね」と、回想します。

じつは金さんがテリーさんを恩人と慕うのには、理由がありました。28年前の「浅ヤン」スタジオ収録後、金さんはテリーさんにある相談をします。「浅ヤンに出ていることがバレちゃった」と話す金さん。当時、人気絶頂の金さんは、本業で一流ホテルの料理長として働きながら、「浅ヤン」に出演し続けていたのですが、ホテルの規則でテレビ出演は禁止でした。

「次、浅ヤンに出ると、クビになっちゃう」という切実な相談でした。「前々から金さんそれ言ってたからな」とテリーさん。香港に残してきた家族に生活費も送らないといけないので、クビは困るとのこと。「テレビに出たいのか、料理をやりたいのか、その辺はどうなの?」と尋ねられた金さんは、「テレビやりたいのは当たり前、もしテレビやるとしてもコックもやりたい」と答えました。

するとテリーさんはどこかへ1本の電話をかけます。「ウチって、使えるお金どのくらいある?」と自分が社長を務める制作会社に相談。そこで下した結論は、金さんとテリーさんとで一緒にお店をやる、というものでした。なんとテリーさんが資金繰りや物件探しなどをバックアップし、金さんのお店をオープン! テレビ出演を続けながら、料理人も続けられるようにしてくれたのがテリーさんだったのです。

「金さんの存在って 『浅ヤン』に必要だった。“金さん、好きな名前つけて”といって(お店を)始めた」とテリーさん。オープン前からお客さんが並んで寝ていた、という時代もあったそう。「テリーさん、今まで本当にお世話になってありがとうございました」と金さんは深くお辞儀をして、改めてテリーさんに感謝の気持ちを伝えることができました。

金さん人気に乗って、お店は大繁盛。ピーク時には月の売り上げが3800万円に上ることも…。ところが「浅ヤン」が終わり、やがて料理人ブームも去り、店はおよそ7年後に閉店。金さんには他の店から声はかかるものの、店舗などの出資に失敗して数百万円の借金を抱えた時期もあったそう。

そんな頃、「金さんを迎えてもっと元気な街にしたい」、という理由で招かれたのが新天地・宇都宮でした。ここ宇都宮に移り住んで14年。では、金さんはどんな生活を送っているのでしょうか?

仕事が終わると職場から徒歩約10分のご自宅へ。1LDKのマンションでひとり暮らしだそうです。帰宅後の楽しみは「You Tub鑑賞」だそうで、観るのはいつも香港発信の料理の動画。「楽しみですよ、料理人として。今ニッポンにいるから、香港のレストランとか、新しいメニュー観たいですよ」と67歳になった今も、料理の勉強は欠かさないといいます。

33年間ニッポンへ単身赴任中の金萬福さん。香港のご家族に会えるのは年に1回ほど。それも今はコロナ禍で、昨年から会えていないのだそう。そこで、インターネットを通じてご家族に集まってもらうことに。奥さま、お嬢さんと2人のお孫さん、そしてご子息とその奥さま・お孫さんが集まってくれました。

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「去年、ニッポンに来る予定だったけど残念だったね」と金さんが話し始めると、奥さまが「コロナが落ち着いたら、みんなであなたに会いに行くわ」と答えました。33年間もニッポンで仕事を続ける金さんに対して、2人のお子さんは…「2人とも定年になったらゆっくり会えるんじゃない?」と長男の家旗さん。ニッポンで働いたお金をずっと送り続け、家計を支えてきた金さんですが、子どもたちの世話をすべて奥さまに任せてしまった負い目があるといいます。

すると長女の頴姫さんが、「小さい頃はお母さんの大変さはわからなかった。今はもっとお母さんのことを助けてあげなきゃと思っているのよ」と自分も子どもを育てるようになって母親の大変さがわかったそうです。

「良くやってくれてるよ」と話す奥さまでしたが、「お父さんの分まで頼むね」と金さんがお願いすると、「わかってるわよ」と頴姫さんは笑います。そして金さんにはある夢が…。「これから先70歳くらいになったら一緒に住みたいよね?」と聞くと、「当たり前よ!」と答えた奥さまの返事に、とても嬉しそうな金さんでした。長年、離れて暮らす家族ですが、その絆はしっかりつながっていました。

1人ニッポンで頑張る金さん。お店に来る常連さんは、「『浅ヤン』で金さんを知り、宇都宮でその金さんの料理が食べられるとのことで来てみたら、さすがのおいしさだった。これからもずっと宇都宮にいてほしい」と話してくれました。「浅ヤン」当時と変わらず、金さんを必要としてくれる人たちがこの街にもいたのです。

さらに…金さんの厨房で修行中の菅家暁成さんは、地元の仲間の息子さん。実家の中華店を継ぐために金さんの技術を学びたいとの申し出があり、預かっているそうです。菅家さんは「お父さんを超えて一流になりたいです」と大きな目標を持って修行に励んでいます。

金さんは自分の店はもちろん、ホテルの披露宴でも腕を振るい、列席者に向けてスピーチもこなします。さらに宇都宮の料理学校では特別講師を務め、時には栃木県をPRするために作られた、とちおとめ25の「GYO‐ZA Party(餃子パーティー)」(2013年)という楽曲のミュージックビデオに出演、自慢の特製餃子で協力する、という八面六臂の大活躍。新天地でも、相変わらずの人気者です。

地元への貢献とともに、応援してくれる人の恩は絶対忘れない金さん。お世話になった方にはPRで恩返しをしています。

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金さんに現在の気持ちを聞くと、「こっちの気持ちになっちゃったから…宇都宮の。今の気持ちはまだ帰りたくない、香港」とのこと。最後には「大好きなニッポンの皆さん、金萬福です。これからもみんなを満腹! 満腹! おいしい料理作りますよ! 中華料理、負けないよ〜!」とみんなを元気にしてくれるメッセージをいただきました。

金さん、これからもニッポンの人たちのために素敵な笑顔でおいしい料理を作り続けてください!

5月10日(月)夜8時放送! 月曜プレミア8「世界!ニッポン行きたい人応援団」は…。

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どうぞお楽しみに!

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